30年以上旅行に興味がなかった男が多拠点生活を始める
|はじめに
僕は1987年大阪生まれの35歳
これまでの人生でほとんど旅行経験もなければ
海外に行った経験などももちろんない
生まれて30年住んだ大阪から外の街を眺めてみたいという気持ちが芽生えたのも
34年目の年を迎えた時の話だ
やがて旅行をほぼ経験してこなかった反動で
一気に目覚めたのか
2022年1月より定住する場所も働く場所も持たない多拠点生活を
いきなり始めることとなった
これまでの30年分の人生が地層のように積もり重なった生活用品の中から
一次審査と最終審査をくぐり抜いた選抜メンバーのみを
スーツケースとリュックに詰め込んで
365日毎日止まることなく転々と移動暮らしを始めたのである
日本という国は世界地図で見れば小さい島国だが
実際旅を始めて足を動かしてみると
恐らく一生費やしても日本の全ての地を周ることは不可能だということを
早い段階で既に悟ることとなった
日本は広い
ただ旅行して
ご当地グルメを食して
観光スポットを周るだけでは
その街のことはわからない
もちろん全国47都道府県一周が目的ではない
知らない土地があろうと気にならないし
知りたいという願望も強くあるわけではない
"流れに身を任せる"という言葉が
これほどまでに自分に当てはまるのかと思うくらいに
僕の旅には行動基準がないのだ
季節?グルメ?イベント?
全く調べない
なんとなく西へ行きたい
なんとなく北へ行きたい
サイコロを振って出た目の数だけ歩くような
そんな感覚だ
30年以上旅行経験がない男なんてそんなもんだ
いかにこれまでの人生
旅行に関わる情報に関心がなかったかが
今の行動基準に根強く反映されているのかもしれない
旅行先で何をするといったプランは
初期設定で持ち合わせていないのだ
しかし
34年目にして旅を始めたのにはもちろん理由がある
そして実際
いろんな地域に足を運んだことで
これまで色んな旅人が語ってきたことと同じ気づきや
逆に旅に興味がない人間だからこその気づきも多々あった
これから綴る話は
そういった旅の動機と旅の気づきといった部分が中心となっている
体験したことをできるだけ格好つけずに着飾らず
土臭く、小学生の作文のような無垢な心で
体験したことを可能な限り鮮明に感情のまま語るつもりだ
そして予め断っておきたいのは
多拠点生活に憧れている人にとっては
僕は多拠点生活をしている人間ではあるが
冒頭での話からもわかる通り
かなり例外的なサンプルだと思うので
情報としてはあまり参考にはならないかもしれない
だが、多拠点生活に限らず
必ず新しい生活を求めている人にとって
人生を測る定規に新たなひとメモリが刻まれることと確信している
|旅の準備はすでに擬似体験済み
僕の多拠点生活は入念の計画や準備などなく
あっさりと始まった
なんとなく始めただけなので
合わなければすぐやめればいいし
すぐに飽きるだろうとも思っていた
しかし思っていたよりは長く続いているし
自分の価値観にも旅を通じて変化が生じてきていることを実感している
まず、多拠点生活の準備段階で既に考え方に新しい刺激が加わり始めていたのかもしれないと後から思い返す
少なくとも自分のこれまでの生活を見直せる良いきっかけになった
なぜなら
旅には持っていける荷物の数に限りがあるからだ
それ以外の荷物は
全て捨てるか実家に送るしかない
預けた荷物は、もちろんいつでも手の届くところで
取り出したり預けたりできるわけではないので
スーツケースとリュックが生活の全てになるわけだ
そうなると
あなたなら自分が今暮らしている部屋の生活品の中から
何を選んで持っていくだろうか?
何度も言うが
持って行けるものの数は制限されている
実は
僕はこの荷物を整理している作業中に
どこか懐かしい感覚を思い出していた
旅をすることはもちろん初めてだが
懐かしいというこの感覚は
どこかで体験したことがあった
しばらく思い出せなくてもやもやしていたが
ようやく思い出した
ポケモンだ!
僕は、小学校の時にゲームボーイのポケモンシリーズの
初代グリーンをプレイした世代だ
わからない方は読み飛ばしてもらっても良いが
長くはならないのでもう少しだけ付き合ってほしい
ざっくり説明すると
ポケモンは、ゲーム内で自分のポケモンを連れてさまざまな場所へ冒険をする内容になっているが
その旅のために背負っているリュックには
入れることができるアイテムの個数が制限されているのだ
そしてゲームの中盤になると
リュックの中のアイテムが増えすぎて
そのアイテムを捨てるか使うか選択しないといけなくなる瞬間が出てくるのだ
ああ
まさにこれだ
これを持って行きたいのだが
リュックがいっぱいで入らない
実際に多拠点生活でも
持ち物を減らさないといけない瞬間はよく出てくる
つまり僕は、小学生の時にすでに
常に厳選したアイテムを持ち歩くことをゲーム内で経験し
多拠点生活をポケモンの中で擬似体験していたのだ
その体験も役に立ってか(気のせいかもしれないしきっと気のせいだが)
抵抗感があまりなく僕は多拠点生活をスタートさせることができたのだ
|荷物を考えるは自分の生活を見つめ直すきっかけ
もちろん旅にはモンスターボールは持ってはいけない
草むらからピカチュウが飛び出してくる心配もない
旅に必要なものかをイメージして必要なものを準備し
あとは実際に旅を進めていく中で取捨選択していくしか
本当に必要なものかどうかは判断できない
こうして
当時旅を始める前に住んでいた、東京のワンルームの部屋に
ぎっしりと詰め込まれた生活品全てを
ひとつひとつ品定めして3つのタイプに仕分けした
・持っていく(スーツケース&リュック)
・置いていく(実家に送る)
・捨てる
幸いにも、人よりもあまり物に執着しない性格だったので
意外にもさくさく仕分けは進んだ
持っていくものはスーツケースとリュックに入れて
置いていくものはダンボール10箱ぐらいに収まった
棚類は分解して粗大ゴミに出して
服類はほぼ全てゴミ袋に捨て
本やDVDはブックオフにすべてブッコんだ
「これが俺の30年の歴史の物量か」と思うと
これでいつでも死ねるなと
何故か終活的な気分も少し湧き起こった
さて
仕分け作業はさくさく進んだとは言ったが
この作業に置いて唯一手を動かすのに悩んだ物はなんだと思う?
それは
アウター系の服だ
Tシャツはもう気が狂ったようにゴミ袋に捨てていくことができたのだが
一番上に着るジャケットなどのアウター類だけは
ゴミ袋に投げ入れる手がピタッと止まってしまったのだ
僕が野球のピッチャーだったら完全にボークだ
なぜアウターだけ?
僕は何事に対しても
なぜそれが起こるのか
なぜそう思ったのかの行動や心理を
分析して考えるのが好きで
さらに言うと
ネットで調べて然るべき答えを探すより
合ってるかどうかはわからないが
自分の頭で納得する答えを出す方が好きらしい
情報としての正確さは調べる方が良いのかもしれないが
自分の頭の中のソースや処理能力だけでいかにそれらしい答えが出せるかに
挑戦することを楽しんでいる部分がある
脳科学には詳しくないが
そっちの方が答えを導いた時の脳内物質の報酬がドバッと出るのかもしれない
常に頭の中はグ〜ルグルの検索モードというわけだ
GoogleVSグ〜ルグルという対立構図だ…
そんなくだらない話はさておき
Tシャツは捨てれるのに、なぜアウターは捨てれないのか?
理由はこうだ
アウターは値段が高い!
しかも買うまでに時間をかけて迷う!
そして何度も迷って手に入れたアウターというのは
それだけ思い入れも強くなっているからだ
なんとか 1枚ずつアウターを広げる度に
これを着ていろんな場所に行って
いろんな経験をしたなと
いちいち思い浮かべては
思い出と折り合いをつけ
最終的に仕分けは無事完了した
他にも普段箱にしまっていたりしていた
懐かしのグッズなどをひとつひとつ取り出すことにもなったので
こういった準備の作業をすることは
ある意味、自分の生活を見直すことにも繋がっているなと
後から気がついたのである
"その頃と比べて今の自分はどれぐらい成長した?"
|間違った自立を追求しすぎて孤立した
多拠点生活を始める上で
生身は当然四六時中旅をするわけだが
日本人である以上
どこかしらの場所には住民登録をしておかなければいけない
僕は旅の直前まで住んでいた東京の賃貸は
旅を始めると同時に退居したので
住民登録は必然的に実家という選択肢しかなくなっていた
多くの多拠点生活者もきっと同じ選択だとは思うが
問題は郵便物・配送物の受け取りだ
社会的な義務として支払うものは
可能な限りオンラインで解決できる状態にしているので
ほとんど重要な書類が実家に届くことはないとは思っているが
それでも少なからず何かしらの書類や荷物の受け取りには
実家の家族が手伝ってくれている部分がある
それに関して旅を始める直前まで
あまり良い気分ではなかった
何故なら
「そんなの人に頼むようなことじゃない」
「それくらい自分でなんとかしろよ」
という類のことだと思っていたからだ
大人になってからは実家の家族の手を借りずに自分の2本の足で立ちたかったし
大人というのはそういうものだと疑う余地もなかった
いつまでも親に頼っている子供を見ると良い気分はしなかった
何を30代半ばにもなるいいおっさんが
10代でもわかるようなあたり前なこと言ってんだと思われるかもしれない
もちろん極端に親のすねをかじる続ける子供世の中にはいるので
何かと"要はバランス"という言葉で片付けてしまえるほど
本当にバランスは重要だということだが
僕は
親には頼らないというこれまでの考えを
この度によって180度改めることになったのだ
いや
180度真逆の考えになったというよりかは
自立という経験を積んでからでないと気づけないことでもあるという意味では
考え方を一周半の540度改めることとなったと
表現するのが正しいかもしれない
どういうことか?
自立したいと強く思う気持ちというのは
きっといつまでも子供みたいな感覚を持ってしまっている人ほど感じるのかもしれない
実際僕もそうだ
このことに僕自身、全く自覚はなかったが
考えれば考えるほどまだまだ子供だと思ってしまうし
自立を心掛けているのに
周りに支えられて生きていることに気づいてしまうのだ
それに加えて自分の言動に無責任でいたかったのだから
どうしようもない
幼少期は仕方ないにしても
20代の10年も割とそんな時期を過ごしてしまっていた
振り返ってみれば僕は10代から現在まで
人の手を借りずに自分だけの力で何かを成し遂げたいという
自分のあるべき姿・あるべき理想像に
とても執着していたように思う
その執着心が強かったせいか
人の手を借りないことが自立だと強く思い込んでいた
なので
30代を迎えるまでずっと一匹狼で
相談する友達や仲間の輪に入るようなことが一切なかった
しかしそれは自立ではなく
ただの孤立であることにようやく気づいたのである
誰にも頼られないし誰にも頼らない
その方が気楽で良い
こういった孤立した考え方で
社会と接点を持たなくても
時代の流れは段々こういった考え方も許容されるようにもなってきているので生き辛さなどを感じることはなくなってきているのかもしれない
僕の場合は完全に勘違いパターンだったので
自立の皮を被った孤立の状態に
いつまでも気づくことができないでいてしまった
これの何が怖いかって
20代も後半に差し掛かると
社会ではいちいちこんなことを人から注意されたり
教えてもらうことがなくなるから
下手したら一生気づけないなんてこともあるわけだ
僕はこの多拠点生活をきっかけに
孤立無縁の人生から
実家の家族にお世話になることが避けられないことになった瞬間
今まで疑いもしなかった自立とはなんだということを
再定義するきっかけができたのである
そしてその考えは前述通り
540度1回転半ジャンプを華麗に決めることとなったのだ
|スキルシェアという時代の波
自立を再定義するきっかけは
僕の中では仕事面と家族面の2つあった
多拠点生活をすることを決めた時
もちろん僕は、財を蓄えて余生を過ごせるような成功者ではなかったので
旅をしながら仕事もこなす必要があった
決まった職場に出勤する必要があるとなると完全に旅だけの暮らしを続けることはできないので
まず仕事が完全フルリーモートでできることが必要最低条件であった
だがこれは実は順序は逆で
僕は多拠点生活を始めたくてフルリモートを目指したのではなく
偶然にもフルリモートで働ける状態になったから
旅を始める選択肢が浮かんだのだ
僕は、これまで安定した職にも就かず
ずっとフリーターとして過ごしてきてしまっていたのだが
ある時に自分の考えたサービスがノーリスクノーコストで
いくらでも挑戦できるスキルシェアという時代の波がやってきたおかげで
これまでに感じたことのない自分自身への可能性に胸をワクワクさせたのである
どうせアルバイトから大出世コースは無理なら
いっそのこと自分の好きに考えたサービスをやってみようと
玉砕覚悟で思い立って
今の仕事に繋がるオンライン講師やイラスト制作や動画制作などのクリエイターなど
とにかく自分ができそうなことは思いつく限りすべてサービス化してみた
もちろん専門学校で訓練してきた下地があるわけでもない
完全フルシロウトから始まり
幸運にも恵まれ結果的に
完全フルリモートにまで登り詰めたのである
実際には登り詰めたというよりかは
偶然コロナなどの影響もあり
状況がそうなっただけという感覚がしっくりくるが
こうして自分で考えたサービスひとつひとつをかけ合わせて
なんとか生活がやりくりできる収入を得られるようになった
柔道でいうと"一本"でも"技あり"でもなく
"有効合わせて一本"といった感じだ
"自分で考えたサービスを収入に繋げる"
これだけ聞くとすべて自分の力で成し遂げたようにも聞こえるかもしれないが
実はスキルシェアの時代の働き方の根本的な部分には
人と分け合うという要素が含まれていると思っている
つまり僕の仕事はシェアができるプラットフォームがあってこそ成立するわけだ
これまでの時代では、何か自分の考えたサービスを仕事にするためには
コストやリスク、集客や仲間などのいくつものハードルがあって
とてもアイデア一本だけで行動に移すには
動機としては不十分だった
それが今のスキルシェアの時代では
ネットでカンタンに自分のアイデアをサービス化することができる
コストとリスクというハードルがごっそり根こそぎ取り除かれたのである
おまけに営業経験ゼロの人間からしたら
集客までプラットフォームが頑張ってくれる
これほどにまでありがたいことはないと思った
これが自分の力だと思うこと自体馬鹿げてる
自分は変わっていない
周りが勝手に変わってくれたのだ
ただのラッキーボーイだと今でも思う
フリーターで30代を迎えようとしていた社会不適合の人生が
思ってもみない時代の流れによって
僕の心は
丸裸ふんどし一丁で太鼓を叩くように鼓舞したのである
そこで気づいた
これは自分が自立したから得られた成果ではない
まずこんな働き方が許されるようになった時代の流れ
プラットフォームを用意してくれた人たちの努力と知恵
自分ひとりでは絶対にどうにもできない力によって
この働き方が成立していることを
嫌でも感じざるを得ない
何度も言うが
1人の力なんて全く及ばない時代の流れに
乗ることができたのは
ラッキーでしかない
これまで追い求めていた自立の定義は改めさせられた
自立は
人の力に支えられていることが大堰堤で自分の足で立っていること
大人になろうが
人の支えがない限りはひとりでなんて立てないこと
僕の中の自立2.0が始まった瞬間だ
|家族孝行なくして自己実現はない
自立を再定義した
家族面でのきっかけは
多拠点生活を始める上で
住所登録を実家にして郵便物も家族に協力してもらって
ひとり旅は一見ひとりで動いているように見えて
見えない協力者が必要であるということに気づく
家族になるべく頼らないことが自立だと考えていたし
そこの部分だけ切り取れば聞こえ方は良いかもしれない
しかし仕事での自立のあり方に気づきを得た今の僕は
さらにこう考えるようになった
僕は生まれて今を生きるまで
家族もひっくるめて僕は人生を一緒に生きている
直接的に家族に支えられていた幼少期
大人になってからは直接支えられることはなくても
間接的にはやはり支えられているのだということ
まったく気づけないでいたどころか
間違った自立を追い求めるがあまり
家族との関係には見て見ぬ振りさえしていた
俺は俺の人生
他人の人生には首を突っ込まない
他人に貸しを作らない
他人のための面倒臭いことはなるべく避けたい
たとえ家族であっても他人は他人
遠い昔のように語っているが
恥ずかしながらほんの少し前までこういう人間だったのだ
そんな自分が
考え方を改めることができた
今も尚
僕は家族とともに力を合わせて生きている
祖父・曾祖父 先祖代々力を合わせて
子孫を残してきたのだ
自分の力だけで動かせるものは何ひとつない
亡くなった先祖も合わせて家族で
生き残っていく
そのためには
当然家族を大切にしないと
もっと協力しないと
もっと感謝しないと
協力する力は大きくならない
そう思うようになった
ここでもまた僕の中の古い価値観は改められた
自立は
家族も含めて協力して生きていける関係性になることだ
そう考えると
周りを見ると若いうちから気づいて行動してる人はたくさんいることにも気づく
僕は30代になってようやく気づいた
こういうことは遅いとか早いとかじゃないのはわかっているが
少なくとも家族が生きているうちに気づくべきだとは思う
気づくのが遅かったことで失ったものもある
でも何も絶望することはない
気づけたというそれだけでも良かったのだから
もちろん自立という部分にフォーカスを当てているが
家族の在り方という部分においては
もちろん全ての家族に当てはまる訳ではない
80億通りある理想の家族の在り方のひとつだ
自分の思考やスキルが積み上がると
それに伴って見える視野も広がり
それによってやりたいこともたくさん出てくる
でも何を成し遂げるにも
足元の根っこにある家族が幸せかどうかは
最優先で気にかけるべきことかもしれない
人に手を差し伸べてもらいやすい人
人に手伝ってもらいやすい人
人から頼られる人
人に頼るのが上手な人
この旅の道中で何人も会って見てきた
孤立していた僕のこれまでの人生とは対極にいる人たちだ
この人たちは
あたり前のように友人や仲間や家族を大切にしているのが
話す内容のところどころで垣間見える
しかも無意識であることが多い
意識的になんて不自然だから当然かもしれないけど
その当然ができない人間からすると無意識でそれができるのは
本当に素晴らしいことだと思う
その人たちは僕の目指すべき道の延長線上に立っている
自立を再定義してからまだ1年
いきなり全ての環境がひっくり返ることはない
何十年と過ごした一匹狼のカラダには癖や匂いが残っている
だからきっと長い年数はかかるが
人に頼って頼られる存在に
僕はなりたい
そして家族孝行なくして自己実現ない
忘れずに胸に留めておきたい
|多拠点生活を1年続けた結果
2022年の1月から旅をスタートし、現在に至るまで
旅先では似たもの同士を引き寄せるのか
同じ考えを持った旅人に出会う
しかし出会った地で共に過ごす時間は限られている
まさに一期一会
意識的に連絡を取り合わない限りは
再び会うことなどほとんどない
だからこそ
その1回の出会い
コミュニケーションを大切にするようになる
旅を始める前は
自分のやっていることを社会にどうにか発信したかった
自分という人間を理解して承認してもらうことに必死だったが
不思議なことに
旅を始めてから徐々にそういった考えが薄らいでいった
とにかく日替わりで新しい人に会うわけだから
その度に毎回自己紹介から始まって自分のことを話すのに
自分自身が飽きてくる側面もある
そうなると自然と自分のことなんかより
会う人の話の方が気になりだす
人である限り
自分のことをもっと知ってほしいという承認欲求は消えないかもしれないが
多拠点生活で出会う人達に関しては
少なくとも僕は自己主張を最優先に置口ことがなくなった
そして出会う人たちが共通して言葉にするのが
「旅をしていると価値観の違う人たちに会えるのが新鮮で楽しい」
年齢もばらばらの人たちに会えることで
価値観の交換ができて学びになると
それに関しては僕も同感だ
多拠点生活をする人たちが
どういった考え方なのかを説明するには
それだけでも十分だが
あえてもう一歩掘り下げて分析してみた
前述の通り
承認欲求が最優先にはない
それならこの人たちの心の軸には何があるのだろう?
僕も含めた多くの旅人は、
自分には持ち合わせていない価値観を取り込みたがっているのかもしれない
違う言い方をすると
みんな自分が何者かであろうとすることに必死に生きている
旅を始めた僕もその中の1人だ
みんな個々それぞれの
旅を始める前の自分の生活のルールや考えた方を引っ提げてくるが
誰ひとり
これまでの自分の生き方や習慣や考え方を
旅で出会う人たちに強要することはない
裏を返すと
自分自身の生活や習慣や考え方をアップデートしたいのかもしれない
昔、僕がまだ旅行に関心がなかった頃
世界一周旅行をする人たちに旅行をする動機は何かという話を聞いたことがある
共通して「自分探しの旅」というフレーズが目立ったことに
非常に違和感を覚えたのを思い出した
"自分探し"
自分なんて探して日本の外に出たからって世界には自分は落ちてないよ
いつだって"自分"は鏡の前に立ってるんだから
そんなことを心の中で思っていた
今の話の流れから
では旅を始めた自分はどうなのか?
自分探しの旅という自覚は全くなかったはずだったが
出会う旅人たちが合わせ鏡となって自分のこともよく見えてくると
自分が何者であるかを知るために夢中で
考え方や生き方をアップデートしたがっていることに気づいた
これもある意味で自分探しの一種なのでは?
そう気づいた
"自分探し"という言語化が正しくないだけで
世界一周旅行をする人たちもきっと
自分を探すというよりかは
価値観をアップデートしたいと思っていたのかもしれないと思うと
すべてが腑に落ちた
自分を自分と証明するためには
苗字は?名前は?どこに生まれてどこで育って血液型は?干支は?星座は?
いろんな情報によって情報としての自分は定義づけされる
そんな基本情報として自分探しをして自分を証明したいわけではない
要するに
自分がこの世界で、この街で、この社会でどういった立ち位置で
何を目指して生きているのかという視点で見ると
途端に自分が何者かであるかの定義がぐらぐらと揺れ始める
どこで生まれたか?という物体として存在意義ではなく
僕はこの世界に、この社会に何の役に立っているのか?
社会的な存在意義を知りたがっている
その答えが欲しくて旅をしている
直接的な動機でなくても心の中の旅のテーマとして秘めている
そうなると
自分探しの旅に出る世界一周旅行者に抱いた感情と
今の自分は一体何が違う?
何も変わらないじゃないか
同じじゃないか
そうか
自分が身をもって体験したことで理解することができた
|地元への貢献をもって旅は帰結
さて多拠点生活というものは
もちろん食や観光は娯楽として楽しい
どこの地域が良かったかとか
景色が夕陽が体験が…
挙げれば尽きない
そういった部分は
自分の足で目で確かめてほしい
この話を読み始めた人は
もっとそういった地域の情報的な内容を期待していたかもしれない
良い意味で裏切っていることを祈りたいが
そこは読む人の感性に任せる
僕は僕のフィルターを通して見た多拠点生活を伝えたい
観光としては"最高"という言葉以外に補足することは何もない
日本の歴史を学んでから各地域を周るとさらにまた違った景色になるのだろうと想像もする
しかし観光ではなく生活としていろんな地域で過ごすと
どこの地域にもそこに住む人々の今抱えている問題や
それに対して取り組んでいることがあることが見えてくる
保守的な地元民と移住民、改革したい地元民と移住民
離れて行く若者、帰ってくる若者
それぞれの想いがぶつかり
バランスボールのように転ばないように何とか並行を保っている
こういった人たちの想いを見たり直に聞いたりすると
多拠点生活を始める前や始めた最初の頃は
全然考えてもいなかったことだったが
これらの問題は当然自分の地元にも当てはまることでもある
考えの矛先を他所の地域から
自分の地元に向けて見たときに
自分は自分の地元のことをどれぐらい知っているのだろう
あたり前すぎて疑うことすらしないのが地元でもあるが
外の世界を体験してみたことで
必然的に自分の地元のことも見えてくるのだ
こうしていつのタイミングかはわからないが
この多拠点生活の道中に芽生えたひとつの道
もっと地元に貢献したい
その想いが強く湧き起こったのだ
観光地に行くとその街のことを詳しく説明してくれる人がたくさんいる
そのおかげでその街のことが知れる
じゃあ自分の地元のことについてどれぐらい知っていて
人にどれぐらい説明できるか
どこの学校に行ったか
どこでアルバイトをしていたかなど主観的な情報しか語ることができない
関西人の得意技の自虐ネタに
「こんなとこ来ても何もないで」とはよく言ったものだが
よくよく考えて客観的に見てみると
自分の地元の情報というのを知らない自分がいることに気づいた
自分の地元を知るための旅
これが旅の課題なのかもしれない
もっと地元のことを知るために旅をしよう
今旅で経験していること
見たものや聞いた話は
すべて自分の地元に貢献していこう
そして自分の地元が抱えている問題に取り組もう
シンプルすぎて関西人的にはもうひとひねりオチが欲しくなるが
これが正直な気持ちだから仕方がない
大阪市阿倍野区は天王寺駅周辺は昔に比べて劇的に進化を遂げた
シンボルとなったキューズモールにハルカスのおかげで
土日には信じられないほど人が集まり
その光景に思わず「阿倍野にこんなにも人が隠れていたのか」と
地元民の自虐で言ったほどだ
しかし
そんな駅周辺も10分も歩くと途端にシャッター街になった商店街があったり
まだまだ商売の街としての活気は取り戻せていないと感じる
都市開発で古い家は取り壊されて
新しいマンションが建設されていく傾向にもあるが
やはりどこの地域に行っても
新しく立ったマンションについて
真っ先に自分の地元の情報として語る人はいない
昔ながらの家の歴史を語りながら
この街は昔、どんな街だったのか
どういった問題に取り組んでどう進化したか
そういった近現代の歴史の話に繋がっていくことに
初めて魅力が生まれてくるのだ
新築マンションでは近代的な見栄えの素晴らしさはあるかもしれないが
語れる歴史はない
僕は地元にある歴史を知って守っていきたい
知るだけでなく、もっと人に伝えられるように
そしてそれを世界中の人たちにわかるように表現していきたい
そのために自分ができることは何か?
それをこれからの人生のテーマとして行動していきたい
30年育った大阪阿倍野の地元
あべの筋とあびこ筋
2本の大きな道に
心地良い賑わいの風を吹かせようじゃないか
どうやって?
わからない
これまでの話でもご察しの通り
あいにく僕は賢くない
世間様に誇れるステータスは何もない
35年の人生かけて得られたのは
たった1ミリ一歩前に踏み出す勇気
35年全力かけて得られたものはそれだけ
すまん!父よ母よ!
東京に行ったが富と名誉なんて土産はない!
旅に出たが嫁や子供の土産話もない!
バックグラウンドには学歴も資格もない!
アルバイト経験のみの職歴凡人が
なんとか今を食い繋いで生きているぞ!
若者が目指したい人生のお手本にはなれない
格好悪い
不甲斐ない
面目ない
申し訳ない
お前変わったなって言われるのが怖い
人前で綺麗事語るなんて恥ずかしい
それでも動ける!
たった1ミリ前に動ける!
10年かけて1センチ街を動かすぞ!
何も変わらないかもしれないが
俺はやる!
見届けろ!
|おわりに 新生活を迎える人へ
気持ち前のめりの言葉となったが
締めくくりとして
今回の話のテーマにも触れて終わろうと思う
"どこでも住めるとしたら"
僕なりに言い換えると
"選択肢が増えた時代をどう生きるか"
おそらくこのままいけば
近い将来、一生ネットで検索しても追いつかないぐらいの
情報と選択肢が増えるのかもしれない
魅力的な進路が増えれば増えるほど
そのあまりにも多いキラキラした情報量という輝きに
自分という存在感が埋もれてしまうかもしれない
競争相手が人ではなくなり
ロボットと肩をぶつけて競争しなければいけないだろう
僕も含めた今の若い人たちは
自分の存在感がこの無限に広がる光輝く情報の波に飲み込まれないように
必死で何者かを定義し主張し続けるだろう
きっとそれは
最初からひとりの力ではどうしようもないことを悟り
より他者と支え合って主張していく必要性が求められてくるのかもしれない
冒頭にも話したが
僕はまだ日本の外に足を踏み出したことがない
観光客と会うことで英語も少しずつ話せるようになっていながら
意外だと周りからよく言われるが
事実だ
キッカケが出来れば日本の外に行くかもしれないし
このまま海外を体験せずに一生を終えることもあるかもしれない
それに対して
僕はどう思うか?
答えは実はもう見つかっている
これまで話したことが全てだ
外の世界と内の世界は表裏一体なのだ
僕が外に出ようが内に留まっていようが
結局はどちらも体験している
自己の内側を追求すれば外側が理解でき
外側を追求すれば自己の内側を理解する
これが全てだ
僕が地元の阿倍野に帰って一生を過ごすことにしたとしても
自己の追求をやめない限りは
同時に外側のことを理解していくだろう
もし僕が世界中を飛び回っていろんな人種や文化に触れたとしても
他者への理解と探究をやめない限りは
同時に自分の内側のことを理解していくだろう
どっちのプロセスを辿ろうとも
行動を止めない限り、行き着く結果は同じだ
細かな考え方や価値観は
これからどんどん変えていくことはあっても
大きくは変わらない
むしろ細かい部分に関しては
変わることの余白を残すことも重要だ
人の意見を受け入れる余白なくしては
知識の幅も
感情の幅も
人間としての器も
広がらないだろう
僕は35歳にして
まだまだ伸び代だらけだと気づいた
そういった観点からすると
僕はこれから新生活を迎える人と同じ立場であり同じ気持ちかもしれない
スポンジのように人の意見を吸収したいし人間として成長したい
あなたの新しい生活は
不安?それとも期待?
不安なら早く慣れて解消したいと思うかもしれないが
不安と期待はただの波で周期的に起こるものだ
新しい生活なんてものは存在しない
唯一挙げるならあなたが産声を上げた時が新しい生活で
それ以降は全部
これまで積み上げてきた生活の続きだ
新しくなった場所や職場や人付き合いで
これまで培ったものがどれぐらい活かせるかを試すのにワクワクする
何ひとつ通用しなかったら
それは逆に伸び代しかないと捉える
歳を重ねると
成長できた達成感への喜びよりも
まだ自分が成長できることがわかる喜びが勝るし
ワクワクする
絶望ではなく
希望のある結末を
どの角度からでも描けるように
ふんぞり返って生きていく
時間はかかっても良い
どうせ人生は遠回りだ
人は遠回りするために生まれた
そうでないと
人生最短距離で良いなら
なぜに100年も生きれるのだ?
ヒト科という種が子孫を反映する目的であるなら
寿命が100年というのは
全くもって無駄ではないか
つまり無駄には意味があるのだ
僕もあなたも
これからの自分の行動や考えには
全て今後のためのに何かに意味のあることだと思いたい
行動が無駄だったなんて思いたくない
基本的にみんなそう思うだろう
でももしその行動の結果が無駄だと分かったとしたら
絶望感に押しつぶされそうになるかもしれない
そんな時こそ思い出して
無駄を経験するために僕らは生きている
一攫千金を夢見て宝くじを買う
1日中パチンコに入り浸る
食べたらダメなことがわかっているのに夜にお菓子を食べる
何時間も近所の奥さんと長話をするし
潰れるまで酒を飲む
無駄!
無駄だとわかっているのに
人との会話の中では
急にこの無駄なエピソードが笑い話になるから不思議だ
無駄は人と共有すると楽しいということかもしれない
つまり100年無駄に生きれるということは
その無駄を人と共有して楽しむためなのだ
無駄とは自分が行動したことに対して期待した報酬や対価が得られなかったこを
指すことのかもしれないが
唯一の副産物があるとしたら
その行動への期待を裏切る無駄にこそ
人に語れるすべらない話ができあがるわけだ
新生活を迎える人よ!
この文章を読んだ今
無駄な時間を費やしたと思うかもしれない
つまりそれは良い人生を過ごしている裏返しだ
無駄に終わった不安や失敗が
あなたにとって人に語ることができるエピソードとなり
それは死ぬ間際に思い出せる良き勲章となる
僕は今はまだ多拠点生活の途中だ
新潟県佐渡島で静かな夜の通り道を窓越しに眺めながら
魂を込めてこの話を綴っている
(この記事のサムネイルは佐渡島で撮った日本海の夕陽)
人に話したくて
人に喜んでもらいたくて
人の笑顔が見たくて
明日も無駄に遠回りしてしまうんだろうな
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