鍼の先生に恋をした
「どこで診て貰ってもだめや。」
僕は、極度の腰痛に悩まされていた。
パソコンで、ネタ動画の編集をするようになってからだ。
本当に困っていた。
ドラマを観ていても途中で話が入って来なくなる位、腰がしんどくて、立ったまま観たりしていた。
何で家の中で立っとかなあかんねん。
本来、座ったり、寝転んだりして疲れを癒す筈の家の中で、何で立っとかなあかんねん。
座ったり、寝転んだりしてる時間が、本来の状態より少ない訳で、
座ったり、寝転んだりする事、込みで権利を獲得しているのだから、これは家賃が少し安くなるのではないか?
なるとしたら誰に言えばいいのか?
Googleで何て調べたらいいのか?
大家さんに言うべきか?
いや、まずは管理会社のエイブルか?
変な奴に思われるのか?
変な奴に思われた位で安くなるのなら全然、思われてもええけどな。
その線で動き出すか?
いや、一旦、地元のまともな感覚を持った友達に相談してからにしよか?
そんな事を考えていたら、脳から煙でも出て来そうになった。
実際に出ていた。
その煙のせいでテレビが見えない程、部屋が煙っていた。
換気扇を回した。
そんなある日、腰痛に苦しんでいる事を、通っている近所の定食屋のおばちゃんに話した。
すると、
「駅前に新しく出来た鍼灸院に行ってみたら?」
と言われた。
最近、駅前に新しく鍼灸院が出来ていたのは僕も知っていた。
ただ、本当に効く鍼灸院って、ボロボロの建物で、
僕が生まれる前からやってました、みたいな雰囲気が漂ってて、
奥から太極拳でも使いそうなヒョロヒョロのジジイが揺れながら出て来て、
「はい。」言うて、2、3本の針を刺しただけで、
「いや、そんなんで治らないでし、え?嘘ん!治ってる!?」みたいなイメージがあるから、
正直、出来たばっかりの鍼灸院ってどうなんやろ?と思っていた。
でも、そのおばちゃんの言う、
「私、昔、この近くでやってた、今は、もうその方が亡くなったからやってないんだけど、盲目の方がやってた鍼に通ってて、
その人、凄く上手くて、鍼を刺してもらったら、神経にツーーーンと刺激が走るんだけど、
それが本当に気持ちよくて、良く効いたのよ。
それで、こないだ腰の調子が良くなかったから、試しに駅前の鍼灸院に行ってみたら、
その先生と同じ感覚で、凄く良く効いたから、あそこは間違いないと思うわよ。」
の、言葉が信用出来たので、早速、行ってみる事にした。
翌日、電話で予約を入れようとすると、「今からなら大丈夫ですよ!」と言われたので、部屋着のまま出掛けて行った。
到着し、自動ドアを開けて、中に入ると、「いらっしゃいませー!」と、元気な声で出迎えられた。
院内は出来たばかりだと言う事もあって、綺麗に整頓されており、簡単に言ってしまえば「今風」の内装。
僕が生まれる前からやってます感は、微塵も感じられない。
大丈夫なのか?
本来、院内は綺麗で整頓されていた方が良い。
しかし、事、鍼治療となれば話は違う。
人体の仕組みを解明する事にしか興味がなく、
患部の、「凝り」や「張り」を取り除く事に人生の全てを捧げている、
だから、院内は散らかっているし、汚くても、それは仕方のない事だし、
そんな事に時間や労力や神経を使う位なら、一人でも多くの患者の痛みを取り除きたいと思っている感が、大事なのだ。
騙されないぞ!
そんな事を考えながら、受付で渡された問診票に答えていると、
「本日、担当する〇〇です!よろしくお願いします!」
声の方に顔を向けると、そこには、20代中頃の小柄な女性が、こちらを見て笑っていた。
一瞬、可愛いな、と思い掛けたが、
直後に、こんな感情が湧いて来て、可愛いは消し飛んだ。
「こんな小娘に本当に治せるのか?」
「全てを犠牲にして人体の神秘に迫ろうとしている、あの老人鍼灸師に勝てるのか?」
「東洋医学を舐めるなよ!」
「謝れ!」
「一旦、謝れ!!」
僕が、医療への冒涜すら感じる、この女性に苛立ちを覚えながら睨みつけていると、
その女性は、
「こちらへどうぞ!」
と、屈託のない笑顔で、そう言い、僕から問診票を受け取って、施術台に案内した。
早速、治療はスタートし、うつ伏せの状態で、腰や、背中、首や、臀部に至るまで、鍼が打たれ、更に、その鍼に電極を繋ぎ、微流の電気が流された。
確かに気持ちいい。
しかし、一回の施術で、5500円。
僕にとっては高額の治療費を払うのだから、これ位は当然で、本当に腰痛が治るかどうかが全てなのだから、僕は心の中でひたすら、繰り返し唱えていた。
「騙されてはいけない。騙されてはいけない。騙されてはいけない。」
すると、その女性は、
「かなり辛かったんじゃないですか?腰以外も張ってますね。肩も首も疲労が溜まってますよ。」
僕は、
「あ~、そうですか?」
と言いながら、心の中では、
「悪魔の尻尾が目視で確認出来たぜ!
隠そう隠そうと思っても、消し切る事の出来ない獣臭は微かに俺の鼻腔を刺激しているんだ!
絶対に騙されない。
こうやって問題のない箇所も治療が必要だと言って、治療回数を稼ぎ、俺から金銭を搾取するつもりなんだろ?
なんて卑劣な団体だ!
消費者庁に駆け込もう!
小学校からの友達で一人弁護士もいたな。
久しぶりに電話して相談に乗って貰う事にするか。
全ての人脈を駆使して、法律を盾に、正義の鉄槌を喰らわしてやる!
国からお灸を添えて貰おう!
鍼灸院だけにな!
ヒャヒャヒャヒャヒャー!!!」
と、思っていた。
「大丈夫ですか?〇〇さん!大丈夫ですか?」
「は、はい!」」
「あの、、大丈夫でしょうか?」
「だ、大丈夫です!」
「本当に大丈夫ですか?引きつった様な呼吸をされていたので。」
「大丈夫です!くしゃみが出そうになっていただけですので。」
「それなら良かったです。初めて鍼をされる方で稀に気分が一時的に悪くなる方もおられますので。
もし、そうなら我慢なさらずに仰って下さいね?」
「ありがとうございます。本当に大丈夫です。」
「それでは、終わりましたので、ゆっくり起き上がって下さい。」
そう言われて、僕は起き上がった。
その時、明らかに感じた異変。
腰の痛みが消えていた。
消えていたと言うのには語弊があるが、明らかに楽になっていた。
それは、はっきりと分かる程の違いだった。
効いている。
認めざるを得なかった。
間隔を詰めて、3回程、通えば劇的に良くなると言う事だったので、次回の予約を取って鍼灸院を出た。
「お大事になさって下さい!」
振り返ると、その女性が深々と頭を下げていた。
2日後。
予定より早い時間に鍼灸院の前に立っていた。
僕は、一軍の服を身に纏っていた。
何故、前回は部屋着だったのに、今回は、お洒落に気を遣ったのか自分でも分からなかった。
自動ドアを開けて、院内に入った。
すると、前回担当してくれていた、あの女性鍼灸師が、
「いらっしゃいませー!」
僕は、
「こんにちは!」
と返していた。
自分の吐いた言葉に驚いていた。
前回まで消費者庁に駆け込んで、この鍼灸院を廃業に追い込もうと考えていた人間の口から出る言葉ではなかったし、
僕の姪っ子にしか見せない弾けんばかりの笑顔が出た事に対して衝撃を感じたからだ。
「どうぞこちらに!」
そう言われ、施術台に案内され、うつ伏せになった。
「かなり良くなってきてますね。〇〇さん、鍼が効きやすい方かもしれませんね!」
「へ~。そう言うのあるんですね!」
「そうですね!体質とかもありますんで!」
そう言われながら、鍼を打って貰った後、腰のマッサージをして貰っている時に、僕ははっきりと理解してしまった。
僕が何故、一軍の服を身に纏っていたのか。
好きになっていた。
勿論、直接、体を触ってくれて、人恋しい気持ちが満たされた事に対しての嬉しさはあったかもしれないが、
それを差っ引いても、はっきりと感じた恋心だった。
施術が終わり、次回の予約を入れ、鍼灸院を出た。
腰の痛みは、ほぼ消えていた。
2日後。
僕は、予約の時間の、45分前に、再び、一軍の服を身に纏い、鍼灸院の前に立っていた。
自宅で一度、婚礼用のスーツを着用し、流石にこれはやり過ぎだろう、と思い、私服に着替えてからの到着である事は言うまでもない。
予約の時間になるまで、その鍼灸院の入っているビルの周りをグルグルと周り、
女性鍼灸師が、何故、鍼の世界に身を投じたかを、
北海道から上京して来たと言う設定にして、細かく想像し、
時には、訪れた困難に興奮し、
乗り越えた感動に涙を流し、
初めて患者さんから感謝の言葉を掛けられたクライマックスのシーンでは大きな拍手をしながら時間は流れた。
そして、約束の時。
自動ドアを開ける。
屈託のない笑顔。
この鍼灸院を営業停止に追い込もうとする奴なんかが、もしこの世にいたら、
俺は、全てを投げ打ってでも阻止するし、
小学校からの友達の弁護士にも勿論、相談するし、
万が一、そいつと肉弾戦になっても立ち向かえるよう、キックボクシングのジムにも通うつもりだ。
二言三言、言葉を交わし、
施術台に。
鍼を打って貰い、電気を流して貰い、マッサージをして貰う。
その時、気付かない振りをしていたけど、もう誤魔化しも効かなかった、この言葉が頭に浮かんだ。
今日で治療が終わる。
今まで、どこに行っても治らなかった腰。
一日でも早く治って欲しいと願っていた腰。
でも、今は違う。
治って欲しくない。
治ったら、もう会えなくなる。
残り僅かな時間を噛み締める余裕もなく。
施術は終了。
「お疲れ様でした!本当に良くなりましたね!なるべく疲れを溜めないようにして、また辛くなったらいらして下さい!」
僕は、
「あ、ありがとうございました。」とだけ返して、鍼灸院を後にした。
僕の背中に向かって飛んで来た、
「お大事になさって下さーい!」
は、背中にぶつかり、地面に落ちて、やがてアスファルトと馴染んで、同化し、消えて行った。
僕は、ゆっくりと、やがて早足になり、そして、気が付けば走り出していた。
何をするべきかは決まっていた。
家に帰ると、直ぐに、冷蔵庫の前に立った。
そして、部屋の模様替えの予定も無いのに、冷蔵庫を持ち上げたり下ろしたりした。
「ぎっくり腰なれぇぇぇー!!!!!」
こんな思想を持っている人間が、普段、一体どんな漫談をしているのか?
気になった方は、是非、こちらを観て頂きたい。
脳、揺れる位、笑かすつもりだ!