ルチアーノ・パヴァロッティとの22日間

1993年5月から6月にかけてのことだったと思うので、もう31年と半年前のことになるのですね。当時、ジャパンアーツがニューヨークのメトロポリタン・オペラを招聘した際に、その中にルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ジェームス・レヴァイン、キャスリーン・バトルという名だたるアーティストが入った大引っ越し公演でした。

上記5名だけは特別にそれぞれ単独の通訳が同行したのですが、幸い、私はたまたまご縁があって、私はルチアーノ・パヴァロッティ付きの通訳に選んでもらい、22日間同じホテルに宿泊し、文字通り限りなく寝食を共にした、に近いスケジュールで仕事をしたことがありました。
パヴァロッティが日本を発ったのが、令和天皇のご成婚の日でしたから、1993年6月9日だったことはすぐにわかります。その日、まだ梅雨には入っていませんでした。そしてご成婚のおかげで、パヴァロッティを乗せた車はすいすいと早すぎる時間帯に成田に到着したのでした。

31年前というと、まだ大谷翔平さえこの世に影も形もない時代。時間ってある意味残酷ですね。

当時ロンドンから帰国して間もなかった私は、ロンドン時代も含めてその後もルチアーノ・パヴァロッティのコンサートやオペラには何度か足を運んだのですが、この時のメットの引っ越し公演は、彼がまともに歌える最後の日本での公演だったと今も思います。

彼クラスのアーティストなのに物凄い緊張下いたり、推し軍団やら、いろいとなことがありました。追って少しずつ書いていきたいと思います。


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