ICF TOKYOにて 雑感
先日、都内で Innovatie City Forum というトークイベントが三日間開催されるとのことで、全日参加してみた。
都市とライフスタイルの未来を描くというテーマを主軸に置いて、各界で活躍されている方々が専門分野を超えてセッションするという見応えのある内容だった。
将来の働き方、医療、建築、人工知能 etc...
トークの内容は多岐に渡るが、その中でももっとも身近なテーマであり、時間を使って考えたいと思った内容は、
人工知能にアートは作れるのか
というセッションだった。
この問いに私たちが答えるとき、まずアートとは何なのかという定義を考えなければならない。
人に感動を与えるもの?
素晴らしく緻密で繊細なもの?
それともただの人工物全般?
ちょっと複雑すぎてまとめきれない。
しかし、果たして人工知能が芸術をすることにどれだけ意義があるだろうか。
アートが機械に作れるからといって、絵を描く人間がいなくなるわけではないと思う。
アートは労働ではなく、瞑想なのだから、代替はできないのでは?
そう考えていくと、私たちが大切にしなければならない時間というものがうっすらと姿を現してくる。
将来、機械が労働を代替して行うと言われているが、そういう時代がやってきたとき、人はアートを通して人生をデザインしていくようになると思う。
アートという定義はますます哲学的に、美学的に、あるものとあるものの仲介役的になっていくだろう。
そのとき重要なのが、論理ではなく、信仰であるような気がする。
信仰といっても、宗教に属することを言っているのではなく、論理の分割分類の方法から逃れで出た、あっけらかんとした思想のことである。
ようは堅苦しく生きるのではなく、やわらかく生きることである。
こういう意見を、このフォーラムの登壇者の一人である森美術館の館長に直接質問をすると、
信仰という言葉はわれわれの通常の感覚とは違って飛躍しているね
と返された。
うーん。。
とにかく、これからもどんどん変容していくアートというものを、もっと長い目でみて知っていきたい。