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【人生#3】幸せ恐怖症候群

禍福は糾える縄の如し

 ラジオで「安住紳一郎の日曜天国」を聞いていた時、初めてこの言葉を知った。仕事でいい成果を出し、同僚と祝賀会をしたものの、そこでの食事でアニサキスを貰い、明け方まで苦しんだという話だった。良いことと悪いこと、それらは交互にやってくる。良いことだけの人生もありえないし、悪いことだけが続くこともない。今まで自分が認識していた法則に名前があることを知った瞬間だった。

野球の場合

 幼稚園から始めた野球、小学生での軟式野球時代はキャッチャーでレギュラーだった。5年生の頃はキャプテンと4番を務め、何かの大会で優勝したのを覚えている。その直後から右肘を痛め、剥離骨折だと判明し半年ほどボールが投げられない時期が続いた。6年生のシーズンはほとんど試合も出ず、いつの間にか卒業を迎えていた。
 中学の時は名古屋のシニアチームに所属した。心機一転またレギュラーを狙うつもりでいたが、市内外から集まった選りすぐりの選手たちの能力や体の大きさに圧倒された。今振り返ると、中学生〜高校生の時期は成長期の時期如何によって体のサイズが大きく異なり、それがパフォーマンスの差に直結する。そこまで考えの至らなかった自分は、自分の能力の低さを呪い、がむしゃらに練習した。平日の夜は父親と夜22時まで公園でバットを振った。結果は3年間で一度もレギュラーにはなれなかったし、中学生特有の思春期真っ只中の不良らによるチーム内でのイジメも経験したが、日本4位になったチームのベンチメンバーに入ることはできた。神宮球場で試合もできたし、トップレベルの野球を肌で感じ、野球の動き、作戦、深みを勉強することができた。
 高校では公立高校に進学した。私立高校から誘いの話もあったが、元々六大学野球で活躍したいという目標があった自分は、勉強との両立のため公立高校を選んだ。前述の中学での経験もあり、高校では楽しく野球ができたと思う。クセのある監督の存在も忘れられないし、何より野球部の部室にいる時間が本当に楽しかった。

勉強の場合

 中学の時は通っていた塾の全国模試で7位になったり(その模試の1位と2位が実は同じ高校にいたことを後に知る)、内申点は45だったりと、苦労もあったが充実した時間だった。高校入学後は周囲が全員天才に見えるほど自分の蛙具合を痛感し、野球にひたすら打ち込んだこともあってしっかりと浪人した。
 浪人の1年間は今までの人生の中で最も最悪な1年間だった。苦しかった。勉強しかやることがなく、勉強しかやっちゃいけない。1人の人間として社会になんの価値も生み出しておらず、中学時代の同期で高卒で仕事してる人たちが心底格好良く思えた。名古屋駅の河合塾で浪人していたが、そこに向かう途中で見える、「東京行き」を掲げた新幹線を見るたびに、俺も東京に行くんだと自分を奮い立たせていた。
 結局希望通りの大学に行くことはできなかった。国公立後期は塾のチューターが勝手に選んだ大学で、そこを第一志望にしていた方々には本当に申し訳ないのだが、後期試験の時に初めて場所も調べたくらい興味がなかった。国公立の後期試験は、前期で希望の大学に合格した人は会場に来ないため、自分の受験した部屋には30席近くあったが2人しかいなかった。2時間だけの試験を受けてそのまま東京駅から名古屋駅に帰った。その時、まだ16時だったのを覚えている。
 運良く後期試験で受かったものの、夢見た上京は思い描いたものとは違っていた。母親が引っ越しの手伝いに来てくれたのだが、別れ際に一緒に寿司を食べたあと、駅まで自分が見送った際、母親は息子のことが心配で名古屋に帰りたくなく、新幹線の車内で、東京駅から名古屋駅までずっと泣いていたらしい。大学生活はおろか生きる気力もない息子を案じ、1週間後の入学式に名古屋からお忍びで来ていた。大学の最寄駅で母親に会った際は心底驚いて、親に心配かけちゃいけないなと、流石に少しだけ前向きになった気がした。
 その後はなぜが水泳部に入ることになり、そこでの素晴らしい出会い(ここでは到底書ききれない)のおかげで生きる楽しさを覚えてきた。その後は部活を満喫しながらも勉強に打ち込み、交換留学の試験にも受かって留学もして、就職活動を無事終えることができた。自分の努力もあったと思うが、水泳部での出会いが自分を変えてくれた。先輩同期後輩共に今でも連絡を取り合っているし、定期的に会ってる人たちもいる。改めてお礼を言います。僕の人生を変えてくれて本当にありがとう。

人生の教訓

 前置きが長くなってしまったが、自分は人生で良いことと悪いことが交互に来ることを経験していて、本能的にそれを理解していた。それらが自分の努力/怠惰の結果だったとしても、大きな運命の流れの中でそうなってるんだと思えてしまった。だからこそ幸せが怖くなった。
 1日の中で一瞬でも楽しいこと、嬉しいことがあると、きっとこの後に辛いことが来ると思えてしまう。逆に明日楽しい予定があるとなると、それまでに何か苦しんでおかないと、明日が楽しくなくなってしまう。僕と時間を共有した人はわかってくれると思うが、「ジム行ってから向かうので少し遅れる」とか、「これから水泳の練習あるから11時(午前)で解散ね」なんて言うことが多い。それは全て楽しいことの前後に苦しみがないと怖くなってしまう性分のせいで、いつも迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない。
 そしてさらには、その楽しい時間の最中でさえ怖い。楽しければ楽しいほど怖い。盛り上がってる食事中、素晴らしい景色を見た旅行中、こんなに大きな幸せの後にどんな不幸が来るんだろうかとスッと冷静になる瞬間がある。冷めるとまではいかないが、あんまりはしゃぎすぎたらダメだと自分を抑えて感情のレベルを下げる。もうこれはクセになっていて、治らないと思うし、治そうとすら思ったことはない。

幸せ恐怖症の幸せ

 自分と同じ考えの人がこの世にいるかどうかわからないが、もしいたとすると、我々の真の幸せは「死」だと思う。昔、会社の研修で人生の目的は何か?と言う議論があり、自分は「死ぬこと」と答えた。その場はとんでもなくシラけたがが、真剣にそう思っている。
 「死」を目的とすると「生」がそのための手段となる。たくさん苦しむ「生」を送ることで、より良い「死」を得ることができる。「死」の瞬間まで気を抜かず、人生における幸福のバランスが、辛いことや苦しいことの方が多ければ、幸せな死を迎えることができると考えている。

やりたくない

 水泳の試合がある時、決まってその1週間前に1番きついメニューの練習をする。それをすると酸欠になり、手足は痺れ、血流が止まって、高い確率で昼食が食道から逆流する。果てしなく苦しくて、決まって練習を始める前には「やりたくない」と叫んでいるが、終わった後、プールで倒れながら大きな満足感に包まれる。「これだけ苦しんだのだから、試合はきっといい結果が出る」
 もちろん望むような結果が出ない時もある。その時は苦しみが足りなかったとまた練習に向かう。「やりたくない」。心の中で唱えた言葉ランキング1位だと思う。でもやりたくないことをどれだけやったかが、成長に繋がっていると思えてならない。もちろんこんな精神論だけでなく、技術的な研究ができているかが大前提であるが、「やりたくない」の中にしか幸せはきっと見つからない。



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