【人生#1】驕り昂りは百も承知で
人類は皆分かり合えない
1日20時間勉強したことがあるかどうか。毎日の習い事に追われ移動中の車で食事をしたことがあるかどうか。社会人でありながら酸欠になるまで体を追い込んで、過呼吸でぶっ倒れたことがあるかどうか。識字率が100%となる恵まれたこの日本においても、育ってきた環境、今までの経験で考え方や価値観は大きく違ってくる。
だからこそ、自分の生き方を全人類に理解してもらったり、応援してもらおうなんて微塵も思ってもいない。でもせめて、自分の邪魔だけはしないでくれ、と最近の自分は心の底から願っている。今日はそんな気持ちを文字にしたいと思う。
イチロー選手の引退
大学3年次に大学で「自我論」の哲学の講義を受けてから、自分はこの世の中になぜ生まれたのかずっと考えていた。いざ就職活動を始めてもその答えは出ず、「自分に内定をくれた会社が自分の行くべきところなのだ」とさえ考えていた。
就活を終え、就職を目前に控えた2019年の3月、マリナーズのイチロー選手が日本で行われていたオープン戦で現役を引退することを発表した。イチローに憧れて野球を始め、高校まで全力で打ち込んだ自分にとってこの事実は衝撃的で、会社の社宅に引っ越すために荷造りした荷物からテレビだけを引っ張り出し、散らかった部屋の床の上でその試合を見守った。そんな試合後のインタビューの中でイチロー選手が言った言葉が今も忘れられないでいる。ファンに伝えられた生き様はなにか?と聞かれたイチロー選手は、「生き方という風に考えれば、先ほどもお話ししましたけど、人より頑張るなんて事はとてもできないんですよね。あくまでも秤(はかり)は自分の中にある。それで自分なりに、その秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていく。ということを繰り返していく。」と答えた。
自分の価値観とは
目標があってそれを目指して頑張るのではない。昨日の自分を今日の自分は少しだけ超えていく。それを毎日繰り返すことだけでたどり着ける場所があるのだと自分は理解し、これからの人生の指針とすることにした。
昨日と今日の自分を図る物差しとして、「心技体」を設定した。精神や思考、能力や知識、そして身体、それら3つの軸のいずれかで、毎日少しづつ成長することを考えるようになり、毎日が充実し始めた。自分は仕事だけでなく水泳にも真剣に取り組んでいるが、「働くこと」「泳ぐこと」を目的にしていない。会社で昇進することや成功すること、水泳でメダルを取ったりすることを考えていない。この点が多くの人と考えが異なる点かと思うが、自分の人生の目的はあくまで「心技体で毎日成長すること」であり、仕事や水泳はそのための「手段」でしかない。
あえて言えば、手段でしかないのだから、仕事や水泳がなくなったっていい。今の仕事や水泳以外に真剣に打ち込めることをまた探し、それによって心技体を極めていくだけだ。
道を阻むもの
イチロー選手の引退から今年で5年目、同級生である野球の大谷選手やフィギュアの羽生選手に比べたら視界にも入らないゴミのレベルだと思うが、驕りを百も承知で言えば自分は頑張ってきたと思う。それらを目指してやってきたわけではないが、結果としてとたどりついたのは、仕事では部内でMVPを取って昇給もし、水泳でも自己ベストを更新し続け、FPや宅建士の資格も取ってきた。
一方でこの4年間、いろんな要因に自分の足を引っ張られてきた。人間関係や職場での出来事、コロナウイルスの蔓延だってそうだと思う。気にせず自分のことに集中すればいいとは思うものの、どうしても気になってしまう。物理的、精神的に自分の道を阻む存在があることに気づき、いつも試行錯誤を繰り返してきた。そしてその度に「なんで俺の邪魔をするんだ」と心の底から叫び苦しんできた。
試練の正体
そんな試行錯誤の最中、自分に立ちはだかる物の正体は「正義」であるとわかってきた。冒頭に書いた通りの、様々な経験をしてきた自分と、そうでない人たちの考え方や価値観は大きく異なる。そして自分の生き方は圧倒的にマイノリティであり、自分の周囲を形作るマジョリティにとって、自分の方が邪魔者であったのだと理解できた。この世の中の主流たる人々の「正義」「普通」「当たり前」に逆らって泳いでいるのは自分の方だった。
だからこそ今、誰かを非難したり環境に文句を言ったりする気もない。むしろ自分が「邪魔」と感じるものは全て、次のステップへの試練であると考えた時、その試練のもとでなお結果を残してやろうと怒りを力に変えることもできる。それが同時にどれほどのストレスを生んだとしても、自分の人生の目的は「心技体を極めること」だからそれでいい。人生を終える間際になった時、目的を果たせたか自問をし、その答えが肯定であればそれでいい。
何よりも大事なこと
イチロー選手の引退が2019年3月だったが、同じ2019年の3月1日に自分は結婚をした。仕事を始める前の大学4年の出来事であり、つまり自分という器には何よりも先に妻の存在が入っていた。
妻はマイノリティの自分の価値観に理解を示してくれる数少ない存在だと思う。結婚しているからといって、100%価値観が合っているわけではないが、彼女だけは常に自分のことを応援してくれる。その事実だけで十分だし、この家族の存在で自分は今後も頑張ることができる。だから家族との時間、思い出、それらは自身の何よりも大事なことで、優先されるべきであることを忘れることはできない。
まとめ
自分にとって仕事や水泳はあくまで手段であり、「心技体を極める」という目的に向かえるのであれば、いつなくなったって構わない。その時は代わりの手段を見つければいい。
目的に向かって邁進する中で「邪魔」に感じることが多々あるが、実はそれは自分がマイノリティだからであり、周囲を責めることはできない。だからこそ「邪魔=試練」と考え、それを乗り越えて更なる高みを目指す。
このことは今まで書くつもりがなかったが、自分の中で湧き上がるものが抑えられなくなり、文字にすることで気持ちを落ち着けようと思った。多くの人がそうしているように、もっと力を抜いて、楽しいことを考えて生きていけたらどれほど幸せかと思うが、その幸せを享受したがらない、自分の損な性格を心から恨めしく思う。