【結婚#1】妻との10年間
はじめに
本当にどうしようもないクソガキ、一人っ子でAB型という厄介者の純血の血統書つき。そんな自分が妻と出会ってもうすぐ10年。この10年で妻は僕の人生を大きく変え、常に正しい道へと自分を導いてくれた。一緒にいろんな所に行って、たくさん笑って泣いて、数えきれない思い出を作ってきた。そんな大切な記憶を忘れないように、この機にまとめてみたいと思った。
高校生、出会い
地元の公立高校に進学して、自分のクラスは108、妻のクラスは107で隣の教室だった。廊下に1人1つずつロッカーがあって、そのロッカーから荷物を取り出そうとしてる姿が今でも記憶に残ってる。茶色の地毛を長く伸ばして制服が似合っていて、すらっと背が高く本当に美人だと思った。
3年生になって初めて同じクラスになって、1年間色々あって卒業式の日に付き合うことになった。卒業式のあとクラスのみんなで食事をしていて、なんとなくゲームセンターに行く流れになった。男子はクレーンゲーム、女子はプリクラに群がっていて、そんな中彼女に声をかけて2人で抜け出した。
実は卒業式の前日、2人で会っていた。自分は大学受験の結果待ちという状況もあって先のことが見えず、告白したかったけどなんとなく言い出せないでいた。解散して家に帰ってから告白しなかったことを後悔して、電話をかけて告白しようとした。メールで「今日言い忘れたことがあるので今から電話して良いか」と聞いたら、彼女からは全てを悟ったように「明日言ってくれ、お休み」と返信があった。
そんな状況だったので、卒業式はずっと上の空で、2人でクラス会を抜け出すまでの記憶がほとんどない。逆にそこからは鮮明に覚えていて、駅までの道中で告白をし、彼女はそれを受け入れてくれた。改札の奥に消えていく袴姿の彼女を、目に焼き付けるようにずっと眺めていた。
浪人と大学生活
妻と自分は浪人をし、その後大学へ進学した。浪人中も大学生活でも基本的に会うのは月に一度だった。お互いの私生活を尊重していたし、部活やアルバイトもあって自然とそんなペースになったけれど、ちょうど寂しくなった頃に会うような感じだったので、毎月のデートを楽しみに日々を頑張ることができた。
大学3年の頃に自分がジュネーヴに留学した際、クリスマスの前後に彼女が会いに来てくれた。長らく会っていなかったので待ち遠しく、授業中にフライトレーダーというアプリで妻の乗った飛行機の現在位置をずっと追っていた。ジュネーヴを巡って、ローマにも行って、最後お別れの時が来た。滞在中は僕が普段使っていたポケットWi-Fiに妻も接続していて、空港まで見送りに行き、妻が保安検査を抜けた後でも僕のWi-Fiにつながっていた。LINEの返事があるうちは彼女がまだ近くにいると感じられたが、離れるにつれアンテナが一つずつ減っていき、やがてLINEの返事が途絶えた時、寂しさで涙が溢れた。
大学4年生での結婚
大学4年生の冬、結婚した。卒業式のとき既に結婚指輪をつけていた。就活が終わってから卒論も年内に落ち着き、自分の次のステップはなんだろうかと考えたら、結婚だ、と思いついた。そのときすでに5年近く彼女とは付き合っていた。もし今後何かが起こって彼女と別れたとしても、一生彼女のことを忘れないだろうなと確信するほど、たくさんの思い出や記憶が積み重なっていると感じた。クリスマスに羽田空港でプロポーズした。渡したのは空の指輪の箱だった。学生だったので高い婚約指輪を買うお金はなく、明日揃いの結婚指輪を買いに行こうと約束した。帰りの車の中でRADWINPSのラストバージンが流れ、彼女が泣いていたことが今でも忘れられない。愛車の86が2人を乗せて首都高に入ったけれど、あの時間を大切にしたくて、生まれて初めてゆっくり走りたいと思った。
社会人、そして10年目
たまたま2人とも東京近辺の配属となり、自分の会社の社宅に入ることになった。築年数はかなり経っているが2LDKの広い部屋で、初めての同居生活を送るには申し分ない部屋だった。家事のやり方や価値観の違いで喧嘩したりもしたけれど、好きな人がそばにいる生活は楽しかった。夜にたまに2人でドライブに行くことがあり、みなとみらいの日本丸の横を抜けて赤レンガ倉庫へ右折、最後は大岡川を渡るのがお決まりのルートだった。近くには美味しいパン屋があり、コーヒー豆のお店、インドカレー、ケーキ屋さんなど、地元の行きつけもたくさんできて充実した日々だったと思う。彼女と手を繋いで朝、バス停まで歩いて、駅まで揺られるその20分も間違いなくデートだった。
そして付き合って10年経った今、自分が単身赴任で東京を離れた関係で、何度目かの遠距離恋愛をしている。でも日本とスイスで遠距離していたことに比べたらずっと近いし、月に一度は会えるので大学生活に戻ったみたいで逆に新鮮さを感じる。あと一年ほどで東京に帰任できる予定だが、東京に戻った後にどこに住むか、どんなライフプランで進んでいくかなど2人で考えるのも楽しい。自分の仕事のせいで妻の人生も大きく振り回してしまっているが、それでも好きでいてくれる妻に心から感謝したい。
これから
冒頭にも書いたが、妻は常に自分を導いてくれる存在だった。大学4年で結婚した後、3月の末、入社直前に逗子へドライブしてカフェに入った。店内には画家の方がいて、その方が結婚の記念に絵を描いてくだざることになり、僕たち2人のキャラクターや関係性を伝えたところ以下の絵を描いてくださった。
妻とは時折、「俺がエンジンで、君がドライバー」なんて自分たちの関係性を話していたけれど、まさしくその通りの表現をしてくださり、この絵がとても気に入っている。
自分は男なので子供を産むこともできないし、人から好かれる性格でも、常識を備えた人望ある人間でもない。一方妻は自分にないその全てを兼ね備えているから、そんな妻の指し示す方向へ、自分はこの家庭という車を推し進めるべく命を燃やして唸りをあげていきたいと思う。次の10年も彼女と一緒ならきっと楽しい、そんな結婚ができて本当に良かった。
「生まれてはじめて」と「最初で最後の」
「一世一代」の約束を
あぁ ここでしよう 今この場でしよう
何も始まることのない 終わりまで
(ラストバージン/RADWINPS)