Day95_エルサレム
こんにチワワ。しんたんです。
イスラエル2日目は、エルサレム旧市街!
ヤバすぎた…(語彙力喪失)
◾️聖墳墓教会
神が降り立った場所から少し離れた、キリストが死に復活した場所。
岩のドーム付近からヴィアドロローサを通り、辿り着く。
キリスト教の聖地に相応しい壮厳な空間…
キリストが処刑されたゴルゴダの丘、遺体を香油で清めた場所、埋葬&復活した墓、全てが歴史的な重みを感じる美しい場所だった。
さらにキリストの墓を囲んで様々な宗派の祈りの場所があり、修道士達の役割も他のキリスト教会とは違って、伝道ではなく、聖地を守る役割らしい。
【追記】
元々イエスのお墓があって→ローマ時代(2世紀)のジュピター神殿→ビザンツ時代(4世紀以降)にキリスト教の聖墳墓教会へと変移していったそう。
◾️ヴィアドロローサ(痛みの道)
キリストが死刑宣告された場所を起点に15の祈りの場所があり、それを連ねたロード。
キリストが歩いたのは旧市街が出来る前だったので、途中で商店街の中を突っ切ったりしたのが面白かった。
各祈りの場所では、キリストに関するストーリーがあり、そのキリストの行動や言動を振り返り、自身の行動や言動を振り返る、ある種の振り返りシステムである点が、個人的には新しい発見だった。
例えば、十字架の重さに耐えきれずキリストが倒れた時に信徒の女性が駆け寄った場所では、その女性に「私の心配はしなくていい。それよりもこの街の人々の未来を心配しなさい」と言ったらしい。
その言動をふまえて、自分に置き換えた場合、自分は自身だけを心配していないか?周りの未来の事を想っているだろうか?と振り返る。といった具合。
キリストが歩いた道を歩きながらポイントポイントでストーリーに触れて振り返る、という仕組みが、より内省を深める仕掛けとして機能しており、凄いと思った。
そして、最後の14&15はキリストの墓の前で、死と復活に触れてフィニッシュ。
この復活が特に重要らしい。死んで終わりではなく、復活から始まるとのこと。
ロザリオが15セクションに分かれていて、祈りの儀式ごとに球部分をずらしていくというのをこないだ知ったのだけど、それとも連動してて凄いと思った。
ちなみにキリストの死刑裁判にまつわる解釈も諸説が色々あるらしいが、面白かったのが、
ローマ裁判官、ユダヤ裁判官全員がイエスを死刑だと言ったものの、ユダヤ裁判官は死刑にしたくてしたのではないが、死刑にせざるを得なかったという話。
当時ローマの力が強過ぎて、ユダヤが反乱を起こしたら民族滅亡させられるような状況だった。
しかし、重税を課せられて虐げられていたユダヤの民の間では不満が募っており、今にも爆発しそうな状態だった。
イエスの裁判のタイミングでは、ナザレのイエス意外にもう一人死刑候補のバラバのイエスという人物がおり、どっちを死刑にするか悩んでいたそう。
バラバのイエスは過激派で力には力タイプだったので、殺すとまた暴動が起きる可能性があった。
一方ナザレのイエスは力に精神(非暴力)タイプだったので、殺しても暴動は起きないだろう&民衆の心を折って鎮められるだろうという思惑があったらしい。
そして、イエスもまたそれを理解していて、自分が死ぬのが1番収まりが良いと悟っていたそう。
そしてイエスは、ユダヤ教の始祖アブラハムが息子イサクを神に捧げようとしたように、自らの命を神に差し出し、アダムから続く人類の罪を赦して貰うことを願ったそうな。
この人類の罪とはなんなのか?我々は罪という言葉をしばしば使うが、罪とは何か?と問われると、実はよくわかっていないなと思った。
IDS(京都芸術大学大学院)で習った「伝統とはなんなのか?」普段何気なく使ってるけど、実はよくわかってない、を研究する課題を思い出した。
なので聖書や罪に関する先行研究ちゃんと読もうと思った。
十戒、聖書における罪の定義などをみてみた。
聖書においては、罪=「的外れ」という意味でズレているという事を指している。人が神様に背を向けているということが、人間の根本的なズレでたり、罪である、と言っている。
これを踏まえて、人は罪から逃れることは不可能&罪を知覚した時に反省し心と行動を改め続ける事が大事、と解釈した。
また、ガイドさんが話してくれて印象的だった話が、「ユダヤ人は、我々は後ろを向きながら前に進んでいる、と言っていた」という話。
前を向いて進むと後ろ(過去)は見えない。
過去をしっかりと見て学びながら、しっかりと進む。
他にもユダヤ人は0→1が得意でアプリも30%くらいの完成度で出して、どんどんverupしていくという話も。
日本人は作り込みすぎるという話もあったが、村上隆のもののけ展では、まさに30%の状態で展示して徐々に加筆していた。このアプローチは現代風で良さそうに感じた。最近だと呪術廻戦の新宿駅?広告も同じようなアプローチだと思った。ラフ画から展示して、そこから加筆していく形。極端な話、コンセプトレベルでまずは出しちゃう方がいいのかも。
◾️岩のドーム
元々はダビデ王の頃にユダヤ教の聖地として神殿を建て、古代ローマが攻めてきてジュピターの神殿を建て、さらにその後、イスラムが岩のドームを建てて今に至る地。
【追記】ジュピター神殿の件は、岩のドームでなく聖墳墓教会でした🙏
ユダヤ教の歴史でいうと、始祖(厳密にはユダヤ教の始祖はモーセで、アブラハムはユダヤキリストイスラムを信仰する啓典の民の始祖)アブラハムが息子イサクを神に捧げようとして神から信仰心を認められた山。
イスラム教徒以外は中に入れないが、外観は3つのフェーズに別れており、1段目の白い部分は大地、2段目の青い部分は空、そして3段目の金色のドームが神の世界を現しているらしい。金色なのは、神々しすぎる神の光のパワーを表現しているらしい。
◾️嘆きの壁
元々ユダヤの神殿があった土台部分。神殿部分はイスラムエリアとなってしまったため、ここがユダヤ教の聖地となる。
通称、嘆きの壁(wailing wall)だが、ユダヤ人は西の壁(western wall)と呼んでいる。
ユダヤの考え方では、なるべく多くの人に誤解なく伝わるように感情を排除する思想があるため。
旧約聖書も登場人物の心情や特徴があまり描かれていないのもそのため。
◾️マリアの永眠教会
聖母マリアが亡くなったと言われる場所に建てられた教会。
最近リニューアルされたらしく、めちゃくちゃモダンな作りになってた。
一階はぱっと見シンプルでフランシスコ会系っぽいと思ったけど、周辺の窪み部分にギリシア正教っぽい鮮やかなモザイク画が施されていて、シンプル&複雑が絶妙なバランスで成り立っていた。
さらに中心部にはサモトラケのニケや天使?を描いたナイロン素材?の布のようなものがあり、よく見ると描き方も引っ掻いたり、化学反応?させたり、複数の技法で描かれていて、印象的だった。
地下一階に降りると、聖母マリアの遺体を模した像が中心に安置されており、その天井には聖書の主要女性キャラとイエスが描かれていた。マリアを中心に円周上の壁には様々な宗派?や時代の特徴的な技法で描かれたアートが設置されており、聖母マリアという1つのテーマを様々な表現が取り囲んで、様々な想いが1つにまとまり、より深みと多様な美しさを感じさせるアートになっている印象を受けた。
そして、アレ?トルコでみた聖母マリアの家はなんなんだ?どっちが本物?と思って調べたら、これまた諸説色々ある模様で真相分からず。
さらに聖母マリアとは別にイエスの弟子にマグダラのマリアなる割と重要な人物がいて、更にややこしくなった。
◾️最後の晩餐&ダビデ王の墓
地味スポットだったけど、ここも三宗教一体の場所。
◾️まとめ
宗教って、2000年以上続く人類の問題&仮説検証の積み上げなんやなーと思った。
その時代時代で先人達の積み上げたものをしっかり学んで巨人の肩を借りて、直面している環境や問題と向き合い、考えて考えて考え抜いて、新たな解釈を生み出し、それが民の抱えるペインに刺さって心が動き、今に続いている。
その意味だと、イスラエルはまさに研究最前線。
マジで行ってよかった。