勝手に酔うし、勝手に酔ってね。ビールでものんで気持ちよく話してよ。わたしもそうするから。

久しくnoteに触れていなかったけれど、酔った勢いでビールを造っている身として、ビールを飲んでいる身として徒然なるままに書いてみよう。ゴールは決めていないし、道筋も描いていないし、書きはじめだして早々に道端の石ころに躓いて頭を打って書き終わるかもしれない。これは酔って書くのが面倒になることの比喩だ。こういった文の書き方は知らないいし明喩も暗喩もわからないので比喩だと明記する。

どうしてビールを今造っているのだろう。就職活動をするときに何を思っていたのかが手掛かりになりそうなので記憶の糸をたどってみる。

酒が好きだった。いや酒を飲む場が好きだった。

高尚な飲み方なんてしていなかったし、今もしていない。学生の頃は第三のビールと甲類焼酎のオレンジジュース割で酔えて楽しかったし、それから酒造りの世界に身を置いて10数年経っても飲み方はたいして変わりない。日頃そこまではしゃがないし、自分語りをしないかわりに飲んだときにあの人意外と喋るのねと思われることもたいして変わりないだろう。

じゃあなにが好きだったかというと酒を飲んだ時の心が軽くなって浮ついて分別がすこしなくなって、そういった自分が若くて浅はかでそれでいて人が好きになる感じがたまらなく好きだったのだ。

コミュニケーションが気持ちよくなるといえばそれまでだがきっとポイントは自分が気持ちよくなることだ。自分が気持ちよくなっているときに他人への配慮はたいしてできていないだろう。飲んでも周りに気をくばれる大人な自分でいたいからそう振舞うし、そう見えているときもあるだろうが、自分が話すと結局自分視点で自分だけが気持ちよくなる。友人が話していると内容よりも相手と飲んでいることに、うれしそうな相手にうれしくなる。酔えば酔うほど自分本位だ。だからこのスタンスを許してくれる、いや許すというより気にもしないで私と同じように勝手に酔って勝手にうれしくなって酔う友人がいまでも残っている数少ない飲み友達だ。それも久しく飲んでいないけれどね。

そんな世界に身を置きたかった。でももちろんそれだけが理由ではないし、いろんな業界を考えたし、そんな若い気持ちだけで就職活動をするほど向こう見ずでもないし勇気もなかった。それでも明るくて楽しそうな業界に身を置くことは魅力的だったのだ。

お酒の種類も、歴史も、うんちくもたいして詳しくなくてもビール業界に身を置いて10年を超えました。

ビールを飲んで自分を表現することが軽くなる人がいればいいなと、自分のように自己表現の助けになる人がいればいいなとここまで書いていてあらあためて思いました。

ここまで書いて、やっぱり書きはじめるときにはラフな構想くらいもっておくべきだったじゃないかと、これじゃあ道端の石ころに躓くようなオチにもたどり着かずひとり徘徊しているだけじゃないかとおもう。

最初に書いたこの投稿のタイトルは「ビールは誰も救わないし、いつも誰かを救っている」だった。ここまでたどりつくにはあとどのくらい徒然と書けばよいのかわからないな。だからタイトルを変えよう。

「勝手に酔うし、勝手に酔ってね。ビールでものんで気持ちよく話してよ。わたしもそうするから。」

そろそろ冷蔵庫に次のお酒を取りにいかなければならないので今日はここまで。

読んでいただいたあなたが良いお酒をのめますように。気持ちよく酔えますように。気持ちよく眠れますように。

ではまた。

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しん太/ビール醸造とエッセイ
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