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貧しさ(2019年6月27日)
Mayra ArenaさんのTed Talk、youtubeでスペイン語の字幕しか出てこなかったのですが、とても考えさせられる内容だったので、日本語に訳してみました。僕の意訳なので、必ずしも真正な訳ではない点ご了承ください。
改めて文字起こししてじっくり聞いてみると、ほんとに強烈な内容で、自分が見落としてた、気づいてなかった、そう感じさせられる視点がたくさんありました。国際協力にそれなりに長く関わってきましたが、貧困問題に携わっていたつもりで、本当にそういう生活をしている人から、その人の言葉で、気持ちや、考えていることを聞いたことって、ほとんどなかったような気がします。英語は、どこの国でもある程度ユニバーサルだけど、実は、英語話せる人って、ほとんどの場合、ある程度教育受けた人なんですよね。
言葉の違いによる壁は、発信のしやすさ、受け取られやすさ、といった面でも実はとても不公平な形で存在しているということにも、今回気づかされました。
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「貧しい人々は何を考えているの?」
貧しい人々は何を考えているんだろう?
多くの人が考えたことのある問いなのではないでしょうか。
この問いは、例えば、次のような場面を遭遇した時に、皆さんの頭の中をよぎると思います。
貧しいにも関わらず彼らにたくさんの子供がいるのを見かけたとき
彼らが暴力をふるったり、野蛮な行為をしているのを見かけたとき
彼らの生活からはかけ離れた、派手な靴を履いているのを見かけたとき
そして、何より、彼らが貧しい生活を続けているのを見かけたとき
なぜ貧しい人々は貧しさから抜け出せないんだろう。
なぜ貧しい人々は同じ歴史を繰り返してしまうのだろう。
貧しい人々は、今の生活を続けたいのだろうか。
私はMayra Arenaといいます。私は、貧しい人の特徴をほぼすべて備えています。母親は10代で私を生みました。父親はいません。兄弟姉妹はたくさんいて、彼らの誰も父親のことを知りません。学校は13歳で辞め、14歳で私自身も母親になりました。
でも、そういう話をして皆さんを滅入らせてしまう前に、一つ、私がまだ小さな子供だった頃に起きたことをお話させてください。これは私だけの秘密で、誰にもしたことがないものです。
小さいころ、私は、Caracolという、Bahia Blancaで最も貧しい地区の一つで育ちました。私が住んでいた家には、トイレがありませんでした。私たちの町に住んでいる人は、誰も、自分の家にトイレがありませんでした。もちろん、トイレというものがあることは知っていました。学校のトイレとか、公衆トイレとか。でも、家のトイレ、というものに行ったことは、一度もなかったんです。
ある日、友達が私を家に遊びに呼んでくれました。遊び終わった後、私は「トイレに行きたい」と言いました。すると、その友達は、私を、その家のトイレに案内してくれました。
(トイレの写真を見せながら) 初めて家のトイレというものを見た私は、びっくりしました。「同じ場所にトイレが二つある!」
「どうして二つもトイレがあるんだろう」「一つは大人用、一つは子供用なのかしら」「一つは女の人用、一つは男の人用なのかしら」
(ビデ用の便器の写真を見せながら)二つのトイレをよく見てみると、二つ目のトイレには、穴がなく、代わりにこんな、小さな排水溝がありました。それを見た私は、こう思いました。「わかった、きっと、こっちのトイレはおしっこ用なんだわ」
私が皆さんにお伝えしたい話というのは、このことです。それから長い間、私は、その友達の家でトイレに行くとき、ビデ用の便器でおしっこをしていました。そして、大人になるまで、それがビデ用の便器だということが分からなかったのです。とても恥ずかしい話です。墓場まで持っていきたい秘密です。
さて、貧しい人々は何を考えているのか、というテーマに話を戻します。私たちが貧しさについて最初に気づくのは、なにより、初めて学校に行く時です。私は小学校に始めて行った時のことを、よく覚えています。私の同級生の子たちは皆、自分の好きなアニメのキャラクターのデザインの文房具を持っていました。私は、国から寄付された文房具で、スパイダーマンの筆箱と、オートバイのファイルでした。それを見た同級生の女の子たちは、私のところに来て、無邪気にこう言いました。「あら、それ男の子用のじゃない」
当時は自分でもよく分かっていなかったのですが、あの時、私は、ほかの女の子達と同じようなものが欲しくて仕方がなかったのだと思います。私は彼女たちにこう返事しました。「そうよ!私は男の子のが好きなの!」そして、突然、何の理由もなく(外から見たら、何の理由もなく、ということになります)、私の文房具を男の子用だと言った女の子の髪をつかんで引っ張りました。学校の先生は何も理解してくれませんでした。確かに、これは外から見たら、何の理由もない暴力、ということになりますから。
暴力は、モノを持っている他人、持っていない私たち、という構造に対する報復の一つの形として始まるのです。でも、それに加えて、これは完全な誤りなのですが、暴力を振るうことで、ある種の尊敬を勝ち取ることができるような気持になるのです。なぜなら、私たちが暴力を振るっているとき、人々は私たちに対して、どうしてぼろぼろの靴を履いているのかとか、どうして鞄がそんなにくたびれてるのかとか、先生が持ってこいといったものをどうして一回も持ってこないのかとか、どうして私たちの文房具は男の子用なのかとか、聞いてこなくなるからです。
私には子供の頃の写真はほとんどないのですが、植民地時代の格好に仮装した時の写真をお見せします。(仮装するための服がなかったので)セロハンの帯を使って仮装しました。この写真さえ、カメラマンのおじさんが知り合いだったからもらえたものです。
特に貧しい若者たちが、彼らの生活水準にそぐわない、高価な靴を履いているのを見たことがある人は多いでしょう。Matias Carricaが歌で歌っているような300ペソの靴、今は300ペソでは買えませんから、300ユーロの靴、とでもいうでしょうか。皆さんは、何の必要があって、こんな高い靴を買うんだろう、と思うでしょう。こんな、蛍光色で、大きくて、ひどいタイヤみたいな靴を。
長い長い間、ごみ箱に捨てられた靴や、どこかで拾われた靴や、政府から寄付された文房具や、親せきから譲られた服や、教会やご近所から寄付された筆箱や・・・そういったものと育ってきた私たちは、ついに自分のお金で靴を買うことができる、となったとき、これは自分で買わなければ絶対手に入らないような、自分で買った、ということがすぐわかるような靴を買いたくなるのです。この靴のおかげで、私たちは、自分たちがそんなに貧しいと思わなくて済むようになるのです、この靴があれば、人々から、私たちが、ずっと、ごみ箱に捨てられた靴を履いて育ったような人間だと気づかれずに済むのではないか、と思うのです。
これまで話してきたことに加えて、私たちは怠け者です。皆さんも、タイル職人の家に彼らが連れてこられて働いていて、でも次の月曜日に行ったらもういなくなっていた、みたいなところを見たことがあるかもしれません。こんな時、人々は言います。「なぜ彼らは働こうとしないのか?働きたくないのか?何か別の計画があるのか?好きで、ああいう生活をしているのか?」 まず、何か計画があるわけでも、好きであんな生活をしているわけでもありません。こうなってしまうのは、子供の頃からずっと私たちが貧困の中で生活してきたことによって刻み込まれた、皆さんとの大きな違いによるものです。「構造的貧困」は「散発的貧困」と違う、ということです。
「散発的貧困」は、多くのアルゼンチン人が経験していることだと思います。お父さんお母さんが仕事がなくなり、食費を切り詰め、車の代わりに歩くようになり、何とか生活していく。こういう貧困の家庭では、少なくとも、お父さんお母さんが働いている、少なくとも、仕事を探して毎日家を出て行っている、何より、毎日子供を学校に行かせている。
私たちが育った「構造的貧困」の家庭は違います。社会から疎外されているのです。私たちは、行ける時にだけ学校に行きます。月曜日から金曜日まで、毎日学校に行く人はほとんどいません。毎日朝起きる、という習慣自体が身についていないのです。皆さんもご存じの通り、こういった習慣を子供の頃身に着けなかった人が、成長してから身に着けるのは非常に困難です。よく、雇用者の方が、「貧しい若者を雇ったけど、仕事に全然来ない。いつもバスに乗り遅れたり、何か言い訳をしてばかりだ」と言い、それを聞いた誰かが、「なぜ彼らは働かないのか」と言っているのを耳にしますが、それは、仕事のリズムが、私たちには身についていないからなのです。
更に、「貧しい人は何を考えているのか」という問いを皆さんが持つのは、私たちに、貧しいにも関わらず子供がたくさんいるのを見たときだと思います。ここまで、貧しい人たちのことを皆さんに話してきました。暴力を振るうのは、それによって、尊敬を得られると誤って考えてしまっているから。派手な靴を買うのは、それによって貧しいと思われなくて済むと思っているから。怠け者に思われてしまうのは、仕事のリズムが身についていないから。
そんな私たちには、なぜ子供がたくさんいるのか。その理由は、より逸話的で面白く、そしてシンプルです。
私たち貧しい人間に子供がいるのは、子供が唯一、私達が持つことができるものだからです。そして、たくさんいるのは、一人一人の子供の中にだけ、どれだけ貧しくとも、私達が1日起き続ける理由を見出すことができるからです。
皆さんは、私が、どうして今日ここに、こんな話をしに来たのか、疑問に思われるかもしれません。ごもっともな疑問だと思います。
それは、小さいころ、私を家に遊びに呼んでくれた家庭は、トイレのことよりも、沢山のことを私に教えてくれたからです。今と違う生き方がある。そういう生き方に挑戦することができると。そして、私がそれを彼らから学んだだけではなく、その家庭も、私や私の家族から、私たちの生き方、あり方を学んでくれました。皆さんに、私たちのような境遇のお友達がいるかはわかりません。しかし、トイレが違うような、違う生活水準の人と一緒に過ごすということは、良いこともあると、私は今は思っています。それは、そうすることで、私が、「人は、結局、生まれる場所を選ぶことができない」ということを学ぶことができたからです。文房具のこと、衣装のこと、靴のこと、そういったことにずっとコンプレックスを感じてきた私は、このことを学ぶのにとても長い時間がかかってしまったのですが。
アルゼンチンの社会は、これまで、本当に素晴らしい進化を遂げてきたと思います。昔、ホモセクシュアルであることは、それだけで犯罪でした。今は、逆に、セクシュアリティを理由に誰かを攻撃するようなことがあれば、そのこと自体が社会から顰蹙を買うようになりました。昔は、女性が家事以外の仕事をしようとするだけで顰蹙を買っていたものですが、今は、女性であることを理由にして仕事を割り当てるようなことがあれば、それはスキャンダルになります。とても素晴らしいことだと思います。でも、そんな社会になっても、まだ、ずっとスキャンダルにされていないものがあります。それが、「貧困」です。悪天候の中道で寝ている人を目にしても、物乞いをしている子供、ものを売りつけてくる子供を見ても、それはスキャンダルになっていません。
私が今日ここにスピーチをしに来たのは、皆さんに、毎回、そういう人々を見るたびに、それを問題視して声を上げることをお願いするためではありません。お伝えしたかったのは、貧しい人々は教育されていない、という非難はあっても、私たちが教育を受ける機会がない、ということを問題視する意見が出てこないのは、不公平ではないでしょうか、ということです。貧しい人々はよく、他者への尊敬の念が足りていない、と非難されます。でも、私たちが一度でも、尊敬を持って接してもらえたことがあったでしょうか。少し情緒的な話ですが、貧しい人々は、冷たく、人に愛情を注がない、と言われます。でも、この社会で、私たちが愛を与えられたことが、あったでしょうか。
皆さんにとって、貧しい人達がどんな風であるか、何を考えているのか、私たちの立場で理解することは、きっととても難しいことだと思います。そして、私たちを街で見かけて、嫌な気持ちになることもきっとたくさんあると思います。でも、これから、スラムを通りかかったり、貧しい人たちを道で見かけたら---貧しい人々は本当にたくさんいますし、透明人間ではありませんから、必ず見かけると思うのです---、嫌な気持ちになったり、「この人たちはいったい何を考えているのだろう」と考える前に、こんなことを考えてみてほしいのです。はじめて、家のトイレを見て、ビデでおしっこをしてしまった女の子に対して、嫌な気持ちになるだろうか、と。
どうもありがとうございました。
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