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「息をしていることを許せ」

昔、スペインに留学していた時に、通っていた学校の先生に、「君は、努力すれば誰でも相手のことを理解できるようになると思い込みすぎているから、理解できないと傷ついたり、ショックを受けたり、許せなくなる。努力しても自分が理解できない人や価値観があることを認めたほうがいい。そういう相手のことを好きになる必要はない。友達になる必要もない。でも、その人がそこにいて、息をしていることを許せ」と言われたことがある。
「息をしていることを許せ」という表現が強烈で、強く心に残った。

子供の頃は想像もつかなかったことだけど、僕は日本語以外に、英語と、スペイン語と、フランス語も話せるようになった。でも、色々な言語が分かっても、全然理解できなかったり、共感できないこともたくさんある。むしろ言葉が分かっても理解できないし伝わらないから、余計に、そこに対して、自分のキャパの限界を感じて、無力感に苛まれることもあって、そういう時に、先生に言われたこの言葉を思い出す。

本当に、息をしていることが許せなくなるくらいなら、分かり合おうとする必要なんて全くないよなと思う。

実際に、様々な異なる民族や宗教や文化の背景を持っている人々が共存している国を訪れるたび、そこでは、それぞれが違いを尊重してお互いを分かり合って仲良く暮らしているわけでは、必ずしもないことを実感する。その代わり、「相手のことを好きになる必要はない。友達になる必要もない。でも、相手がそこにいて、息をしていることを許す」というミニマムのマインドがあるから、争いがなく共存できているのかなと思う。

僕は多様性とか平和を考える時、歌のWe are the WorldとかImagineとか、子供の頃に行ったディズニーランドのit's a small worldのようなものをどうしても思い浮かべてしまう。でも、現実にはそういうものじゃなく、ミニマム「互いが息をするのを許し合う」ようなものなのかもしれない。だからこそ幻想が尊いとも言えるかもしれないけど。

一度自分の固定概念を手放して、改めて、自分にとっての多様性や平和のあり方を、見つめ直す時期に来ているのかもしれないと感じている。

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