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努力・一生懸命

「オーストラリアに行っても努力を忘れるなよ。努力はシンタの一番の才能だからな。」

大学3年生の冬、僕はオーストラリアに留学した。ラクロス部に所属していた僕は、大学4年の最後のシーズンをやらずに、オーストラリアに留学する道を選んだ。

そういうとカッコよく聞こえるが、実際の僕は3年生でAチームに入ることができない状態だった。そんな状態で留学するんだから、逃げたと思われても仕方がない。白状すれば、そういう要素もゼロではなかった。チームメイトにも、応援してくれる人もいたけど、厳しい意見を言ってくれた人もいた。

冒頭のメッセージは、それでも留学に行くと決めた僕に、チーム一の努力家だったチームメイトが贈ってくれた言葉だった。彼は僕が留学に行くのに反対だった。リーグ戦で活躍するって決めてラクロス部に入ったんだから、それを実現するまで頑張れよ!と。それでも留学を選んだ僕に対して、寄せ書きのメッセージで、彼は冒頭の言葉を贈ってくれた。

当時の彼は本当にすごい努力家で、元々運動能力が高いとか、最初から上手かったとかじゃなく、とてつもない努力をしてどんどん実力をつけていた。そんな彼の姿を近くで見ていて、僕はいつも、こいつには到底敵わないと思っていた。だから彼にこういう言葉を贈ってもらって、嬉しかったけど、恥ずかしかった。
同時に、そう思ってもらえていることに恥じないように、努力だけはいつでも続けようと心に誓った。

このメッセージをもらったのは2003年の冬。
それから21年が経ち、僕はもうとっくにラクロスから離れ、色んな仕事を流れ歩き、今、アフリカのジンバブエのカフェで、この文章を書いている。

そして、改めて振り返ってみると、僕が今まで何とかやれてきたのは、どんな環境でも自分なりに努力をしてきたからだと感じる。

今の僕は、才能とまでは思えないけど、自分の一番の強みは「どんな環境でも、自分なりに一生懸命、努力ができること」だと思えるようになった。何でも目の前にあることを一生懸命やってきた結果、昔の自分には思いもよらなかったチャンスや出会いがあり、当時は思いもよらなかった未来を生きている僕がいる。

今、色んな仕事をしていて、色々な人に会う。特に若い子は、自分のスキルとか、専門性を身に着けて、磨いて、活躍したいと思っている人が多いなと感じる。目に見える、手触りのあるものに、注目が向きがちだなと感じる。僕も若い頃そうだったから、気持ちはすごく良く分かる。でも、この年齢まで仕事をしてきて分かったことは、スキルや専門性で、代わりが利かない唯一無二になるのって、本当にすごく難しいということだ。

もちろんスキルや専門性を磨くのはとても大切なんだけど、上には上が永遠に居続けるから、それだけじゃ足りない。そこに「何でも一生懸命・誠実に努力する」という要素が掛け合わさって初めて、「この仕事はこいつに任せてみよう」というonly oneに思ってもらえるようになるんじゃないかと、自分の経験を通じて思う。

一昨年、尊敬している先輩が病気で亡くなった。先輩は、亡くなる直前に「いつも一生懸命な姿がかっこよかったよ。何度も励まされました。」というメッセージを僕に贈ってくれた。先輩は国内外の色々なアワードに表彰されるものすごく優秀な弁護士で、英語も素晴らしく堪能で(あんなに英語が上手な人に今まであまり会ったことがない)、スキルや専門性で圧倒的な実力を備えていた人だった。その先輩に、僕がそんな風に思ってもらえたこと、最後にそういうメッセージを贈ってもらえたことは、僕の人生の数少ない誇りだ。

「何でも一生懸命頑張る」って、今の時代にはあまり受けが良くないかもしれない。それを人に押し付けると、パワハラになってしまったり、古い考えだと思われてしまうかもしれない。でもたぶん、いつの時代にも絶対に変わらない大切なものも、その中に必ず含まれていると信じている。

だから僕はこれからも、できればよぼよぼのお爺さんになるまで、努力・一生懸命を続けて、生きていこうと思うし、努力・一生懸命の素晴らしさ・カッコよさを、関わってくれた人にも伝えていきたい。

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