一生物のロレックス ティファニーダブルネームとホノルルマラソン
偽物も多く出回っているロレックスのティファニーダブルネームですが、これは間違い無く本物です。
ティファニー直営店で自分で購入した物ですので、自信を持って言い切れます。
憧れの時計
「一生物」という響きに惹かれる男性は多いのでは無いでしょうか?
良い物を手にして永く使い続ける。
その事自体にとてもロマンと歴史を感じると同時に、一生物として使い続けるに相応しいその物との出会い自体にも何かのご縁を感じ、思い入れを持って使い続けること自体が幸せなのです。
私にも一生物と呼べるものがいくつかありますが、その中でも一番思い入れがあるのが、冒頭のロレックス ティファニーダブルネームです。
この時計との出会いは1993年にまで遡ります。
そもそも時計に興味を持ったのは、社会人になった1991年でした。
きっかけは当時良く購入して読んでいた雑誌Beginの別冊本です。
今でも大切に保管してある雑誌の一つですが、時計、靴、鞄を特集したムック本だったのです。
自分でも如何なものかとは思っていますが、若い頃からメディアに影響を受けて来てしまったタイプだと自覚していますので、この本にも大きな影響を受けた事は否めません。
靴と鞄についてもまた別の機会に改めてお伝えしたいと思いますが、まず時計に関してはこの雑誌をきっかけに、初めての本格的な機械式時計としてロレックスを手に入れたいと思ったのでした。
そこからロレックスについて色々と調べたところ、ティファニーダブルネームの存在を知りました。
ティファニーというブランドはもちろん知っていましたし、そのティファニーとロレックスのダブルネームという特別感がとても魅力的に感じたのでした。
こうして、ロレックスのティファニーダブルネームは私にとっての憧れの時計になったのですが、当時から日本ではなかなか手に入らない貴重なモデルとして有名でした。
今ではティファニーダブルネームは既に作られていないため、ロレックスの中でも特別なモデルとしてさらに希少性が増し、中古価格も高騰しています。
しかし、私が購入した1990年代初頭は、実は海外のティファニー直営店では普通に販売していたのでした。
それを知ったのは、初めてのハワイ旅行でした。
ホノルルマラソンへの挑戦
社会人になってから、いつかは日本を離れて南の島に住んでみたいと思う様になり、ハワイに憧れを持つようになりました。
当時はサラリーマンでしたので、会社を休んでハワイに行く為の理由を作るべく、ホノルルマラソンを毎年走ることに決めました。
結果的に8年連続でホノルルマラソンを完走することになるのですが、初めてのハワイそしてホノルルマラソンへの挑戦は、社会人2年目の1992年でした。
その年はホノルルマラソンの20回記念大会ということもあり、3万人以上が参加した大会の半分以上は日本人参加者だったと思います。
初めてのフルマラソンは完走こそ出来たものの惨憺たる結果に終わりましたが、初めてのハワイはとても魅力的な場所でした。
気候の素晴らしさや、美しいビーチと街が共存しているワイキキの魅力に魅了されました。
そして、巨大なショッピングセンターであるアラモアナセンターもとても魅力的な場所でした。
当時は円高だった為、一流ブランドの商品が日本で購入するよりもかなりお得な金額で購入することが出来たのです。
そのアラモアナセンターにはティファニーの直営店があり、その店内のショーケースには、なんとあのロレックスのダブルネームが当たり前の様に並んでいたのです。
憧れのロレックスのティファニーダブルネームを見て、すぐにでも購入したいと思いましたが、残念ながらこの年はまだ社会人2年目で蓄えも無く、さらには学生時代から抱えていた借金の返済に追われていた為に購入出来る余裕は無く、泣く泣く見るだけで満足して帰ったのでした。
色々な投資を経験した今にして思えば、カード払いで何本か購入してしまい、日本に帰ってから転売すれば借金を返済した上で、自分用の一本を残す事も出来たなと考えられますが、当時はそんな考えは全く思い付きませんでした。
そして、翌年の1993年12月、2回目のホノルルマラソンへの挑戦をしにハワイに戻って来ました。
それまでに、サラリーマンになってからもらったボーナスは全て借金の返済に回し、なんとか全て返済し終わっていました。
その年は、ホノルルマラソンの完走はもちろんですが、タイムとして5時間を切ることを目標としていました。
フルマラソンを5時間で完走というのは、1キロを7分ペースで走れば良いタイムですので、マラソンを趣味にしている方にしてみれば大したタイムでは無いのだと思いますが、当時の私にとっては大きな目標でした。
そして、途中諦めかけた瞬間もありましたが、なんとかギリギリ5時間を切るタイムでゴールすることが出来たのでした。
そして、ホテルに戻ってシャワーを浴びて、ホノルルマラソンの完走Tシャツに着替えると、フルマラソンを完走した直後だという疲れも忘れて、すぐにアラモアナセンターに向かいました。
もちろん、もう一つの目標であるロレックスのティファニーダブルネームを手に入れるためです。
ティファニーに着くと、店内に入ってすぐに時計のショーケースを覗き込みました。
ダブルネームのロレックスがいくつか展示されていましたが、あまり欲しいと思うモデルは並んでいませんでした。
そこで、スタッフの方に他に在庫は無いかと聞いてみたところ、ショーケースの下の引き出しからいくつかの時計を出してくれました。
運命の一本との出会い
その中に、ブルーの文字盤のエアキングがあったのです。
見た瞬間に「これにします。」と言いました。
エアキングは、ロレックスの男性用の時計の中では一番廉価なモデルです。
元々エアキングが欲しいと思っていた訳ではありませんでしたし、ブルーの文字盤の時計が欲しいと思っていた訳でもありませんでしたが、見た瞬間に「これだ!」と思ったのです。
この時計がいつから在庫として店内にあったのかは分かりませんが、きっとショーケースに並ばずに、私が買いに来るのを待っていてくれたのだと勝手に運命を感じたのでした。
当時の価格は、円高の影響もあり日本円で20万円以下で購入出来ました。
現在のロレックスの価格を考えるとびっくりする様な安い金額ですが、それでもやっと借金を返済し終わったばかりの当時の自分にとっては高価な買い物でした。
しかし、今考えるととても良い買い物だったと思います。
もしもこの時計を今売りに出したとしたら、200万円でも購入したい人は居るだろうと、老舗の時計屋さんに言われたことがあります。
今まで色々な投資をして数多くの失敗もして来ましたが、この時計は投資として考えても良い買い物だったと思います。
でも、もちろんこの時計を売るつもりはありませんし、「一生物」として使い続けるつもりです。
他にも大切にしている時計はありますし、これから欲しいと思っている時計もいくつかあります。
しかし、どんなに高価な時計を手に入れたとしても、私にとってのNo.1はずっとこの時計だと思います。
時計に興味を持ち初めて欲しいと思ったロレックスであり、しかもティファニーダブルネームという希少性、そしてホノルルマラソンを目標の5時間以内でゴール出来た日に出会ったご縁と良い、これ以上に思い入れのある時計は多分今後も現れないと思います。
たまたま出会ったのがブルーの文字盤でしたが、デニムにもスーツにも合う汎用性があり、さらに文字盤のサイズが34ミリ径と小振りなため、どんなファッションにでも悪目立ちせずに、毎日普通に着けられるのも気に入っているポイントです
私にとっては、まさに「一生物」と言うにふさわしい宝物なのです。
これからも大切に使い続けていきたいと思っています。
ただ、大切過ぎる余りオーバーホールになかなか出せないでいるのが悩みです。
オーバーホールに出している期間でさえ、手元から離れてしまうのが寂しく感じてしまうのです。
それでも、今年は寂しさを堪えて、オーバーホールに出してあげたいなと思っている今日この頃です。