ミッちゃんが死んだ
ミッちゃんが死んだ。
親父からの連絡で、仕事中にそれを知った。
親父だってなんでまた仕事中に、知ったところでどうすることもできないのに、わざわざミッちゃんが死んだことをオレに連絡してくるのか。
イヤ、親父はそれがオレにとって、親兄弟が死んだも同じくらいに一大事だってコトをわかってたんだろう。
ミッちゃんは近所に住んでるオィさんだ。
親父の幼馴染みで、歳は親父よりもふたつかそこら上だ。
いわゆるガキ大将とか番長とかいうキャラで、小学生の頃は親父もよくいじめられたりしてたようだ。ミッちゃんから、小学校の帰りに親父をからかいながら歩いてたら、山から爺さん(親父の父親)が飛び出してきてミッちゃんの前に立ちふさがり、「なんでいじめるんか!」と怒られたって聞いたことがある。
ミッちゃんは中学校を出たら九州の海員学校に行って船乗りになった。海員学校の頃の話や、船乗りの頃の話もよく聞いた。「油でベットベトにした学生帽をかぶってた」とか、「屋根裏にケンカ用のクサリを隠してた」とか…。「船の荷室にヘビが出たからデッキから空気銃で撃った」とか「中国で、アララ?と思って道端に生えてる草を刈り取ってたら、地元の人に怪訝な顔で見られた」とか…。オレらからしたらマンガや映画でしか知らない世界を体験している魅力的なオィさんだった。
それに、ミッちゃんは大人なのに、平日の昼間っからウチの前の川で釣りしたり、寺の駐車場で焚き火をしたりしているから、小学生のオレにはワクワクする「大きなお友達」だった。船乗りは、何ヶ月か乗船したら、戻ってきて今度は次の出航までずーっと休みなんだって聞いた。だからミッちゃんがいる間は、学校から帰ると毎日のようにミッちゃんを探した。鯉やナマズをミッちゃんが釣って、オレらの作った堤防の中に入れて生かしておいたり、焚き火をして、近所のオィさんの納屋にサツマイモをもらいに行って焼き芋にして食べたりした。
ミッちゃんは時々、子供には見せない方が良いものを普通に見せたり、川で遊んでいたら友達が溺れたりするもんだから、オフクロはオレらがミッちゃんと遊ぶことをよく思ってなさそうだったけど、親父や近所のオィさん連中からすれば、別にそれがミッちゃんだから、なんてことはない日常だった。
ミッちゃんは独身だった。自治会の行事にはひとりでプラッとやってきて、グラウンドゴルフでもソフトボールでも、観音様のお祭りでも、飄々と楽しんで、酒を飲んで、危ない話や面白い話をして、プラッと帰っていく。
いつしかオレも酒を飲むようになり、オィさんらと混ざって自治会の集会所で昼から夜までずーっと、飲んで話して、タフなパーティを楽しむようになった。ミッちゃんは酔うと船乗りの頃のノリなのか、簡単なロシア語が口から出ていた。ダメな時には「ダバイ ダバイ」みたいに。
その頃にはミッちゃんは船を降りて、年金を貰えるようになるまでは、細々と、酒とタバコを摂取して生きているみたいな生活をしていた。紙巻きのピースを輪切りにして、キセルに入れて吸っていた。酒は集会所で、剣菱をスイスイ飲んでいた。
オレらは一緒に飲むたびに、同じような話をした。滑らない話。中でも一番は、近所のオィさんらで魚釣りに行った時、ひとりのオィさんがデカくて緑色の、気持ち悪〜いフグを釣って、イタズラ心でミッちゃんのバッカンにこっそりそれを入れておいたら、気づいたミッちゃんが烈火の如く怒ったって話。
この話のシャレにならないオチはこうだ。結局そのフグを持ち帰って、船で調理員をしていたミッちゃんが捌いて鍋にした。「しかしな…あの気持ち悪い見た目のフグだし…」と、ミッちゃんと釣ったオィさんがふたりで牽制し合って鍋を眺めているところに、小学生のオレが習字教室の帰りに遊びに来た。
「オイ、シン、フグ鍋あるぞ」
喜んで食べるオレをじーっとオィさんふたりが観察して、どうやら良ェみたいじゃの、ってようやく食べ始めた、っての。この話を100回くらいコスった。
ミッちゃんが死んだ、ってションボリしていたら、幼馴染みが「人はみな、天命を全うして死んでいく」ってことを教えてくれた。これは歳をとって老衰で死んでも、幼児のうちに大人からの虐待で死んでもみな同じで、その生涯に四季があり、作物のように収穫があって死んでいくものなのだそうだ。だからミッちゃんもおよそ70年の人生を全うして、心は安らかに逝ったのだと思いたい。
それでもやっぱり、通学中、通勤中にいつも横目で気にしていた、窓から姿が見えたら手を振っていた、犬の散歩の途中で、息子を見せに寄っていたミッちゃんがもういない。さっき仕事帰りに完全に真っ暗になったミッちゃん家の前を通った。割と早めに自治会の人が気づいたとは聞いたけれど、人知れずひとりで死んだミッちゃんのことを思うと胸が痛んだ。ミッちゃんに身寄りがなくったって、寂しくないように、オレらがたくさんで看取ってあげたかった。
ミッちゃんが子供のオレにしてくれたコトが、オレのすごく狭い範囲の「自治会」への愛着を作ってくれた。大人になって、それをオレなりに再現したことが、近所の子供たちのために夏休みで開いた「しんちゃんのサマースクール」っていう寺子屋であったり、「童拳坊主」であったりした。
晩年のミッちゃんの穏やかさ、気ままさから学んだことも多かった。集会所で飲んでても、夕方頃「ダバイ」になっちゃうミッちゃんを、幼馴染みと担いで家まで送って行った。オレらは誇らしいような、寂しいような気持ちで「またやろーね!」って声をかけて、また戻るのだった。
ミッちゃん、寂しいがお別れだってさ。
ロシア語で「またやろーね!」はなんて言うのかな。