大学事務職員の醍醐味
そういえば、「カルピス」って、「カルシウム」の「カル」と、サンスクリット語で「最上の味(醍醐味)」を意味する「サルピス」を組み合わせた造語だそうですよ。浄土真宗のお寺の住職が開発したんですって。
ちなみに英語では「Caw piss (= 牛の小便)」に音が似ているので、わたしがワーホリ時代にメルボルンで売っていたのは「Calpico (カルピコ)」って名前になってました。
さておき、大学の事務職員を14年もやってて、いまだに咎められるけどあんまり改める気がない、というかむしろなんでみんなもすればいいのにな…と思っていることがあります。
それは「学生の指導」。
わたしは、大学の職員である以上、それが教員だろうと事務職員だろうと、学生を社会人として育てることは職務だと思っています。
だから、窓口に来局した学生が、話してる間もイヤホンをつけっぱなしにしていたら外せと言うし、
奨学金の申込用紙を
「なんか親が持って行けって言うんできました」
って言って封筒ごと差し出す学生には
「オイ、ママのおつかいじゃないんぞ。奨学金は誰が何のために借りるんや」
と一喝していました。
なので学生からはうっとうしがられるし、同僚からは前述のとおり咎められることしばしばでした。
「学生の指導は教員の仕事」
「わたしたちは事務職員。事務を粛々と進めるだけ」
「授業料を納めている学生はお客さまです」
この14年間で何度これらの言葉を聞いたことか。
わたしが丁寧に「お言葉ですがお客さま…」みたいな態度でやっていれば、誰も気にしなかったんでしょうけれども、良いように表現すれば、学生と真剣に向き合っていると、ナメた態度を取られると真剣に腹が立ちます。それで、オイなんやその態度は…となるわけです。
(これはわたしの態度にも問題がありますが…)
コロナ禍で学生のサークル活動が制限され、体育会サークルが試合に参加するにもいろいろな書類と資料の提出が必要な時期がありました。
あるサークルの学生が窓口にやってきて、
「試合に行く申請のやり方を教えてください」
と言いました。わたしは
「それはあなたのサークルのキャプテンに訊いてください。キャプテンがよく分かっていなかったら体育会に問い合わせてください」
と答えました。するとその学生は
「いや、あなたやり方知ってるんでしょ? 教えてくれればいいじゃないですか。なんでそんな意地悪みたいなことするんですか?? 時間の無駄じゃないですか」
と反論してきました。なのでわたしは
「コロナ禍のサークルの行事参加の申請については、体育会の主将会議で体育会から連絡しています。そして感染防止対策や申請のルールについて各サークル内で徹底するように指導しています。あなたがそれを知らずにノコノコ窓口に来て、簡単に『答えだけ教えろ』と言っているということは、あなたのサークルでは体育会の指導が守られていない、主将会議の内容がシェアされていない、つまり体育会公認サークルとして統制が取れていないということになります。そんなサークルがこのコロナ禍、大会参加を申請してきたとして、わたしが受け付けると思いますか?あなたのような学生にいちいち毎月10回も20回も対応する『時間の無駄』を省くために主将会議で一発で済ませているんですが」
という旨のことを、気持ち語気強めの山口弁で説明したうえで、
「それでも、なにか気に入らないことがあったのをちゃんと訴えてくる骨のある学生は最近少なくなりましたよ。その気概はいいですね」
とフォローすると、ちゃんと理解してくれました。
注意すると「怒られた」と捉えて、それ以降ブスッとしっぱなしとか、次から窓口にわたしがいると避けるようになるとか、そういう学生も少なくありませんが、やんちゃな学生や、意外とオタク気質な学生には、わたしのキャラが受け入れられやすい傾向を感じています。
わたしが学生の頃も、ガンガン関わってくる事務職員の先生や他学科の先生はたくさんいたし、理不尽な大人、厳しい大人、優しい大人、甘い大人、いろいろな大人と、自分は半人前の大人として接することができたのが高専(= 高等教育機関)でした。
コンプライアンスが、アカハラがパワハラがセクハラが、と手も足も出ず、腫れ物を触るように学生と接するのが現代だと言われればそれまでですが、なんかそれじゃむしろ学生に失礼じゃないかな…と思うんです。それに先に言った大人との交流の機会が減って不利益ではないかと。
あからさまなハラスメントは許されませんが、事務職員もロボットじゃないんだから、それぞれの個性を出しつつもっとガンガン学生に関わったほうが大学全体の活気につながると思います。イヤなら教育機関で働かなければいい。
「ヒゲメガネ」とか、あだ名つけられて陰で文句言われるぐらいが事務職員の華よ。たまに悲しくなるけど。