ダメな自分でも実践できる心構えのデザイン
「心構え」考。
軽いと思って一気に持ち上げようとしたらものすごく重く、腰を痛めるということがある。逆に重いと思って持ち上げたらすっぽ抜けて転んでしまうということも。
甘いと思ったらしょっぱかったり、塩味だと思ったら甘くてとっさに吐き出したり。思ってたのと違うと私達は混乱する。
子どもが正解にたどり着けないと、イライラする。これは、心構えが「早く正解にたどり着きなさい」という期待になっているから。そして教えたくなる。それは、私達が「正解を教えたほうがよい」という心構えを持ってしまっているから。子どもが自分自身の力で答えを導き出すのを待てなくなる。
子どもが失敗してもそこで教えずに待ちましょう、教えずにいましょう、と言っても、心構えが「早く正解を出せばよいのに」とか、「なんでそこでそんなことするんだよ、こうだよ、こう!」と、正解を心のなかに思い描く心構えがあると、イライラが止まらない。子どもにもそれが伝わってしまう。
ところが「子どもがどんな失敗をするのか、観察して楽しもう」という心構えでいると、イライラせず、教えずにいられないという焦燥感も湧いてこない。「へえ、面白い失敗するなあ」「あ、そうアプローチしたか。ということは、ああ勘違いしてるんだな」と、落ち着いて観察を楽しめる。
無理なくその行動を導き出せる心構えを持っておくと、自然にそう行動できる。だから「心構えのデザイン」が極めて重要。
私達は、「怒っちゃいけない」と禁止しても、怒らずにいられない。なぜなら、子どもにちゃんとしてほしい、という心構えはそのままだから、ちゃんとしてないと腹が立つ。
「怒らないでおこう」というのは、実は心構えのデザインができていない。怒らないでいようと思った理由が「子どもに最終的にきちんとしてもらう」のが狙いだから、その狙い通りにならなければ、自分に禁止していてもムダ。期待通りにならなかったら怒らずにいられなくなる。
そこで「子どもと言えど他人、思う通りに動くはずがない」という心構え、「きちんとさせようなんて諦めて、この子がなぜそう行動するのか観察してみよう」という心構えになると、イライラしにくくなる。観察から、行動の原因が見えてきて、次はどうすればよいか、仮説も浮かび上がってくる。
どんなふうに心構えをデザインしておくとよいのかを決めておくと、自分の次の行動がおおよそ決まる。だから、「心構えのデザイン」は極めて重要。次に自分がこう行動するように仕向けたい、と考えるから、そう行動することが自然になるような心構えとは何か、を考え、その心構えに到れる道筋も自分に用意してやる。
もし自分を厳しく律したいなら、逆説的だけど、自分に優しくすることが大切。自然にそうしたくなるような心構えのデザインをするには、その心構えに至る道がそうしたくなるような、ごく自然なものである必要がある。水が低きに流れるように。
私は自分の行動が、ある程度の幅に収まるように、心構えのデザインをしている。そしてその心構えに自然に到れるよう、無理のない道筋をデザインしている。すると、自分の行動を律しやすくなる。自分を律するには、自分に優しくしないといけない。
優しくすると言っても、自分に「よしよし」するという意味ではない。自分のだらしなさ、みっともなさ、不真面目さ、すぐサボりたくなる気持ちも全部受けとめた上で、そんな自分でも動く気になる筋道を考えるということ。基本、楽しめるようにすることが大切。楽しいと、進んで取り組むから。
だから、自分を「あれしちゃダメ、こうしちゃダメ」というように、禁止事項で動かそうとするのは無理がある。「こっちの方が楽しんで取り組めるかも」という筋道を用意する。そうした心構えだと、すんなり採用したくなる。弱い自分を許し、むしろ面白がる。「お前はそんな生き物なんやな」と。
そんな生き物が楽しそうに、無理なく進める道筋、心構え。そういうものをデザインすることに力を注ぐ。すると、結果的にそれが自分を律することになるのだと思う。