見出し画像

「傍目八目」100日間毎日チャレンジ17日目

今日の言葉:

「第三者には、当事者よりもかえって物事の真相や得失がよくわかること。」傍目八目

令和7年1月6日月曜日あと83日:

書斎机の上には常に数十冊の本が並んでいる。座右の書と呼ばれるよう大袈裟なものとは思っていない。何度も繰り返し読んでいるうちに自然に机の上がその本の居場所になった、それだけの事である。要するにいちいち本棚に戻す手間を省いたのだ。

いつものようにリプトン紅茶の出す完璧な色が机の上の片隅を彩っていた。ガラス戸の外に広がる、40日ぶりの雨音を懐かしく聴き入っていた。

思考は「自分の書いた文章」、こんな掴みどころのない言葉から始まった。

自分の書いた文章を読み返すと、時折、恥ずかしく感じてそれを世の中から消し去りたいと思うことがある。しかし、不思議なことに、同じような内容の文章でも、他人の目には自分とは違った形で映る。一方で、人の文章を読むときに、首を傾げたくなることもある。何故か。それは文章の背後にある書き手の意図や背景が見えないからだ。

自分の文章を書くとき、私はその意図や背景を知っている。だから、自分の中では文章に明確な意味が宿る。しかし、それは他人の目には映らないこともある。

自分が見ているものと、他人が見ているものが一致するような文章を書きたいものだ。

いつの間にか紅茶が放つ湯気が弱まっていた。角砂糖を入れるのを忘れていた。思考する時間と紅茶の時間が同時に流れていたことに気付いた。読書をしている時でも、紅茶の温度は下がり続ける。

その時、スマホの通知音が静寂の中に優しく響いた。私の投稿した「100日間チャレンジ」の文章に付いたコメントを知らせていた。今までコメントなど付いたことがなかった。ティーカップを静寂を乱さぬよう音を立てないようにして机に置いた。コメントにはこう書かれていた。

 「あなたの文章には起承転結がないのよ。でも私は嫌いじゃないわ。ハリマ」

スマホの左上をふと見ると、「100日間チャレンジ」のタイムリミットの夜10時が迫っていることに気付いた。私は起承転結のない文章を慌てて投稿した。

100日間チャレンジの始まり: