あえて言語化しない事も大切にする(本質を伝える#47)
あえて言語化しない事も大切にする
言語化すればするほど情報が失われる
言語よりも画像、画像よりも映像+音声の方が情報が多い
さらに現実世界では体感覚からの情報も入ってくる
それらの情報を言語という形で単純化するのではなく
その複雑な情報を自分の持っている感覚全てで記憶する
しんさんの本質を伝える解説
良く「言語化したい」という言葉を聞きます。これはこれで素晴らしい事だとは思うのですが、言語化するという事の弱点も知っておいてください。
言語化するという事は、"情報を極端に切り捨てて表現する"という事です。
例えば、今目の前にふわふわしている雲があるとしましょう。
そしてその雲を「ふわふわの雲」と表現(言語化)したとします。
そのふわふわの雲の実際と「ふわふわの雲」という言葉を見比べてみてください。
どの程度正確に表現出来ているでしょうか。その目の前の雲は「ふわふわ」だけで表現してきれるものでしょうか。
本当は、大きさだったり、色や濃淡だったり、もしくは風で流れている感じだったり、いろいろな情報が他にもあるはず。
これと同じような事が様々なところで起きます。
特に頭の中にイメージがあるけど、相手に伝えようとしてもそれをどう伝えたらよいか分からない・・・という時がありますが、これは、言語化能力が低いのではなく、脳内で出来ているイメージが切り崩せない程、大きい為です。つまり言語化出来ない事が正解です。
長嶋茂雄さんも「シャーッときてググッとなったらシュッと振ってバーンだ」という言語を使って教えていたという話があります。
これは、これで正しいんです。
「シャーッ」、「ググッ」、「シュッ」、「バーン」の中にはかなり情報が詰まっているのでそれ以上情報をきり落としたら、長嶋茂雄さんの打ち方が表現できないからです。
(でも、本当は、言語化したいんじゃなくて、脳内のイメージを見せたいんだろうなと思います)
このように、言語化はした方が一定程度伝わるようになりますが、一方で言語化するという事は重要な情報が失われます。
言語化というのは情報をチープにしてしまうという事だけ理解した上で、言語化するようにしましょう。
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