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羅愼伝~序章【1】

地と空を二分するかのように聳える山脈の一角、中心でひときわ高く聳える宇宙の管理者が住まう聖なる場所とされる須弥山。
その中腹には何人の侵入も許さない城壁がある。東西南北それぞれに門があり、それぞれを一騎当万の武神が預かり守護している。
その城門を見上げるようにして、崖ともいえる急斜面を一気に駆け上がってきた男が足を止めた。少しの間、城壁を眺めてから、地響きとともに近付く音の方へ、いま駆け上がってきた山の麓の方へと視線を流した。
溜息をひとつ零し、再び視線を城壁へとむけると、慌ただしく乱れる気を感じることができた。予定外の客に対して、対応すべき右往左往しているのが伝わってきていた。
上も下も、騒がしいことこの上ない。
男は、服を整えるかのように襟をパンと音がでるほどの勢いで引いた。
服装の所為か、麓から駆けあがってくる巨漢の戦装束の輩の所為か、華奢な体躯が際立っていた。正直、追いかけてくるように上がってくる軍神たちが怖くて、「逃げてきた」と言われれば納得する人の方が多いかもしれない。
それ以前に、その流麗なるシルエットは女性的であり、とても武骨な男たちと戯れるように戦場に足を入れるようなタイプには見えない。
「置いていくなよ」
ようやく追いついた武骨な筋肉質の男が呟くように言った。
「…来るなと言ったよな」
城門を眺めながら華奢な男が返した。何処か寂しげでいて、何処か嬉しそうでもあった。
照れ臭そうに言う男を見て満足げに頷きながら、天王は、肩で息をしながらも上がってくる郡勢の方へと視線を向けた。戦という言葉から縁遠くなって何千年過ぎたのだろうか。平和ボケの中で弛んだ身体に鞭打つようにして男たちは駆け上がってくる。
「その言葉に、従う奴がいると思われるのは心外だね」
天王は、満足そうに言った。
地響きが収まるにつれて、しっかりと隊列を組む者たちは天王よりもがっしりとした体をしている。にもかかわらず、天王が高々と上げた腕の振りに従うように陣形を整えた。
不思議な光景だった。
一人の男を挟んで、山の上と下で布陣が進んでいく。
ただ一人、戦装束に身を包まない男の異質さが際立っていた。
真っ白な服装。どちらかと言えば女性的な体躯。表情すらも優男。女と言われればそれを信じない奴はいるのだろうか。
「まぁ多少はその言葉に従っているものもいるがな」
遅れて到着した軍勢を眺めながら男は、竜王はニヤリと笑った。どうしようもない無頼漢の集まりである龍神族の戦士たちに続き、夜叉一族、迦楼羅一族が集結していく。彼らには、この戦いに参戦する意味はなく、意義だけが存在する。とは、口が裂けてもあの男には伝えないだろう。
どの一族も単騎で駆け上がったこの男が好きだった。だからこの無謀な戦いに赴く阿修羅の背を追うようにこの地に集結した。麓で「来るな」と言われても…
「なぁ、天…死ぬなよ」
阿修羅は、苦笑を浮かべながら天王に言った。元はと言えば、この男に口を滑らせたのが始まりだ。だからいち早く軍勢を率い、阿修羅よりも先にこの地に辿りつけていた。もっとも単騎駆けする阿修羅にあっという間に追い抜かれたが…
「その約束はできないな。奴らには奴らの思いがある」

「多門! どうなっている」
怒声を張り上げながら、増長天の方へと視線を移し多聞天は苦笑で応えた。満足できる答えなどない。これまで須弥山に責め上がってきた者はいない。それも道なき道を駆け上がる様な無謀としか思えない行軍をする者は…
「阿修羅め、何を考えている」
「いきるな増長。相手の考えなど全てを終えてから聞き出せばいい。我らがするのは、ただ伝説を継承することだ」
「…それしかないか」
増長天は、伝令兵に何か耳打ちをされてから答えた。
高ぶる感情に振り回されるのは増長天の悪い癖だ。多聞天は、視界の端で増長天とその伝令のやり取りを眺めながら、小さく息をついた。
戦況は…まだ戦いすら始まっていない。阿修羅王が単騎で来ていれば、まだ気付いていなかっただろう。大群が動いたがために対応できているに過ぎなかった。
―向こうも統率は…
多聞天は、布陣の指示を出しながら、進行を止めた阿修羅王の居るあたりに視線を向ける。烏合の衆と揶揄しても問題ない程度に、粉塵を上げながら塊として集結しつつ軍勢を確認するために…
すでに迎え撃つための軍勢は集結している。たとえ相手が天武八部衆の率いる軍勢であろうとも、伝説は何も変わらない。多少の痛手はあるだろうが、この門も、城壁も越えられることはない。何人の侵入も許しはしない。その程度のことだ。
問題があるとすれば、天帝の軍と称される天王率いる天軍が、向こう側についていることだ。聡明な天王にして、一時の感情で一族を危険にさらすような真似はしないだろう。それだけに、その覚悟を慮るものがある。
反旗は褒められた行為ではない。勝っても負けても付きまとう汚名がある。それを被る覚悟は自分だけが持てばよいものではない。家族も一族もその汚名を被ることになる。その影響は…
―それにしても…らしくはない、か
阿修羅王は軍略家ではない。特に多勢を指揮し戦うタイプでもない。単騎駆けで切り込み、対陣を混乱させることを得意としているが…そこに在る目的は味方被害の減少にあると多聞天は考えていた。
「指揮者は布陣が整いしだい本陣に集結!」

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