等速直線運動から光の速さの真実を考えてみる
等速直線運動ってあるじゃないですか。あれを見つけた人ってすごいなって思うんです。だって、日常生活で、物は動いても必ず止まる。ずっと動き続ける現象は原則絶対無いので、それを思いつくはずがない。
目の前で起きていることは確かに大事です。でも経験のみに縛られていたら、真実を見落とすことがあるんだろうなと思います。
でもどうして気づいたんだろう、物事は一度動くとずっと動き続けるって。
そこでどこかの教科書に書いてあったことを見て、腑に落ちたものがありました。
自然はいつでも美しい
坂道を下ると速度が増える。
坂道を登ると速度が減る。
であれば、平坦は普通に考えれば、
速度は変わらない。
になるはずなんです。
まずこれに気づくこと。
それとそもそも動いているって誰から見てのこと? に気付けるかです。
中学の時、ある友達が言っていました。
君、今止まっていると思う?
実は地球ってすごい速さで回転してるんだよ。だからそこに乗っている僕らも実はすごい速さで動いているんだよ。
これに気づけばかなり答えに近づけると思うんです。
動いている、止まっている、ということはあくまで相対的な話で、動くことに何かエネルギーが必ず必要なんだ、と思ってしまうと真実に辿り着けません。
動いていると思っているけど、そちらからみたら、こっちが動いているんだ、となれば今の動きをずっと続けることこそが、動いていない(力が加わっていない)状態なんだ、と。
やり方自体は中学生でも気づく
と、答えを知っていれば、中学生でもわかる事実から、真実に辿り着けるわけです。特殊相対性理論だって、頭のいい中学生もひょっとしたら仮定くらいはしていた人もいたかもしれません。
ということで本題です。
光の真実に挑戦してみる
ある日、あなたは車を運転していたとします。
今8時で、残り30kmあるとします。8時40分に間に合いたい、とします。
時速30kmで走れば、60分、つまり9時につきます
時速60kmで走れば、30分、つまり8時30分に着きます。これで間に合います。
もし残り5km、今8時30分だとします。
時速30kmで走れば、8時40分につきます
時速60kmで走れば、8時35分に着きます。
長い距離が残っていれば、速く走れば走るほど時間の短縮ができますが、もう時間が迫っている時は、いそいでもなかなか間に合いにくくなります。
そして、どんなに速く走っても、時間をさかのぼることはできません。
8時45分になってしまったら、どれだけ速く走れても、8時40分には間に合いません。当たり前のことです。
しかし本当にそうでしょうか。
もし仮に無限大の速さで走れたら、8時39分であったとして、あとどれだけ距離が残っていても、8時39分に辿り着けるわけです。それが50kmであっても、1000kmであったとしても。
そしてそれより速く走れれば、時間を遡れます。
8時45分であったとしても、8時40分に間に合うわけです。普通に考えて意味がわからないと思いますが。
無限大という時点であり得ないことで、想像するに難いかもしれませんが、それより速い速度はどうやって表現するんでしょうか。
速さは距離➗時間ですで、距離が60kmだとしたら、時間はー5分とすると、
60km ➗ ー5分 = ー720km/hr
というマイナスという速さで走れれば、なんとかなりそうです。
マイナスはおいておいて、ひとまず最も速い存在について考える
光が世の中で最も速い、ということになっています。
となると、私が思うには、光の速さって本当は無限大なんじゃないか、ってことです。
つまり、8時39分に発射されたものは10m先も1000km先も一瞬で辿り着ける、ということです。
にもかかわらず、光の速さは時速30万kmという、宇宙規模では非常に遅い速さとなっています。これはどういうことなのでしょうか。
ここで私はいくつか仮説を立てました。
仮説① 実際はそうなんだけど、私たちが感じられるのがこれだけ
光って、全方向に広がっていきますよね。
これが時間の概念でもあてはまるとしたらどうなるでしょうか。
つまり、ぱっと光った時に、無限大の速さの光も実際はある。
それはまさに、地球から銀河の果てまでも一瞬、つまり時間を使わずに到達できる光もいるってことです。
しかし、我々はそれを認識できません。それはなぜか。
なぜなら我々が物事を認識するには「時間」を必要とするからです。
今私が「光の速さを測定しよう」と思って、測定している間に時間は進んでいきますよね、例えば、「測定しよう」と思う前に存在するものは測定しようとする前のものなので、認識できないのです。
ひょっとしたら、今私がつけた懐中電灯の光は、実際には速度無限大から、時速1兆km/hr、1000万km/hr、そしてさらにゆっくりな100m/hrも存在しているのではないかと思うのです。
しかし、諸作業によって、我々は時間をつかって物事を認識するため、我々が認識できる時間の流れはその中で、どうしても一つだけになります。それがちょうど時速30万km/hrなんじゃないかと。
この30万km/hrが何を意味するのか、それは私にはわかりません。私は以前ブレーキングファクターなるものが存在して、光の速さは何者かに遅くさせられているのではないか、という仮説を立てました。
それとは別に、そもそもその速さしか認識できてないからそう見えるだけなのでは、という仮説も立てることができます。
光はいくつもの速さを持っていますが、認識できるのは赤線で示した部分だけだから、その速さだと思っているという仮説です。
そして認識できるのはこの緑の時間ー空間軸だけなので、それが全てだと思ってしまっているわけです。他の光は見えませんし、測定もできませんから。
ここで一つ実験をしてみましょう。
わたしとあなたが30万km離れているとしましょう。これをまるで5mくらいの距離で感じられると仮定します。
そして光を発したら、一時間してあなたに届くわけです。
ここで、30分ごにもう一回光を発射してみます。するとどうなるでしょうか。
赤い線がいわゆる30万km/hrの線なので、1時間30分後にあなたにひかりが届きます。しかし、光の中には60万km/hrのもの(水色の線)も含まれているはずです。それは最初に発した光が届くのと同じタイミングであなたに届くのでしょうか?
我々が感じられる、存在できる時間ー空間軸はあくまで緑のみです。青い線がたどりついたあなたのものとは別のものとなり、それを認識することはできません。しかし、ピンクの時間ー空間軸をもったパラレルワールドが存在すれば、ひょっとしたらわたしが30分後に発した光を認識できるかもしれません。
しかし、それはクロスしていることから分かるようにほんの一瞬ということになり、果たしてそれを認識できるのかどうか。
認識できないくらいわずかでしょう。
でも「認識できない」と結論づけたほうが夢が膨らみます。もし認識できるなら我々の緑の時間ー空間軸にはパラレルワールドからの膨大な数の光が来ていないと辻褄が合わないことなり、この仮説が破綻してしまうからです。
光の面白い挙動
この光の速さが全方向の時間に放散すると仮定すると面白いことがおきます。
縦方向の無限大の話はすでにしました。どんなに遠い場所でも0秒で辿り着ける遅刻知らずの光です。
一方で真横はどうなるでしょうか。
どれだけ時間を使っても動かない光です。
今ここにある光がずっとそこにい続ける。永遠に光り続けるわけです。これで電池切れの心配はありませんね。
当然我々は観測できません。
我々の時間−空間軸は緑の斜めにありますから、その光真横に走る光の存在を認識できるのは光が発射された最初の一瞬だけということになります。
この光は時間を遡る
全方向というからにはこんなことも起こるはずです。
この「紫」に当てはまる挙動です。これは一体どのようなものでしょうか。
右が時間の経過ですから、過去に戻ってしまっています。
つまり、私があなたに、
「今から光を発するよ〜」
と言って、あなたは一時間後に光を認識していたのですが、あなたが、その場所に1時間前から準備していたとすると、すでにそのとき、私が発車する光を一瞬だけ認識しているということになります。つまり「未来からの光」を受け取っているということになります。
これも上述のとおり、時間ー空間軸が異なりますから、パラレルワールドでの話になりますが、ひょっとしたら我々の緑の時間ー空間軸にも、パラレルワールドから発せられた光が時間をさかのぼって届いているのかもしれません。
その他、右下と左下
同様に、右下に伸びる光は、光を東方向に発したら、なんと、西方向に進んでいきます。
また、左下に伸びる光は、過去にさかのぼれば西に向かって伸びる、というある時点では正しい挙動になります。懐中電灯のように一方向しか伸びない光では当てはまらないかもしれませんが、西から東にずっと伸びている光の一部分については、左下の光は我々が体感する、時間と空間の概念に近いものがあります。
終わりに
いかがだったでしょうか
これは完全に私の妄想によるものですが、あったら面白いな、という仮説だと思いませんか。
もし似たような理論がもう出ていればどなたか教えていただければ幸いです。
もし出ていなければ、これを「木沢の光時空多元理論」と命名します。
何かのブレークスルーに繋がったりしたら面白いですね。
ではここまで読んでくださった方、ありがとうございました!