『縁起でもない』その言葉が大切な瞬間を奪っています:医師として伝えたい大事な瞬間
縁起でもない
その言葉が大切な瞬間を奪っています。
その時は突然訪れます。
病院に運ばれ、治療を受けている大切な人の主治医がこう告げます。
「●●さんは残念ながらもう助かりません」
その言葉はあまりにも重く、残された家族にのしかかります。そしてこう告げられることがあります。
「ですが、今なら移植をすることが可能です。ご本人は助からなくても、今困っている誰かを救うことができるかもしれません」
告げられるのは本人ではありません。間違いなくご家族です。
このように告げられたご家族のおよそ9割が精神的負担を感じたと答えています。
そしてこの「移植」できる時間は限られています。時間が経てばやがて、心臓もその他の臓器も停止し、移植ができなくなってしまいます。
移植の話を、本人と「ご家族」のためにしてみませんか?
移植、と聞くとどうしても困っている人のためにしてあげる、という印象を持つ人がまだいらっしゃるかもしれません。
そして元気な時にその話をしようと思っても
縁起でもない
と避けられてしまうことが多々あります。
しかし移植はある意味、亡くなるご本人の希望、望みの一部であると考えます。
移植に対する考え方は様々あります。
自分は脳死になったら、心臓含む全ての移植を希望します
という人もいれば、
いや、怖いから私はしたくないです。
という人もいます。また、
心臓はちょっと怖いけど、それ以外ならいいかな、って思います。
という人も。
どれにせよ、いざというとき、本人は答えられません。なので、生前から、せめてどうしたいか、ご家族に話してあげることが、いざというとき残された大切な人の負担を少しでも軽減させてあげられるのです。
自分の両親、子どもが、移植なんてとんでもないと思っていると思っていた人の中に、ひょっとしたら、
いざというときは心臓移植を希望します
と考えている人もいるかもしれません。それはその人の思いを誰かに繋げる大切な縁になるかもないのです。
縁起でもない話から縁のある話へ
自分のため、残される家族のため、今一度考えてみませんか? 移植のこと。