行き詰まった時に思い出すマキャヴェッリ
自分でも記事を書いている方もたくさんいらっしゃると思います。そんな人に聞きたいことがあります。
これ書いても誰も読んでくれないんじゃないかな、とか書いても意味あるのかな、って。
・スキつかない
・PV伸びない
・コメントもない
これ……書く意味あんのかな。
私はしょっちゅうあります。そんな時いつも決まって思い出すのはこの人なんです。
歴史上の数ある恐ろしい独裁者も愛読したという恐怖の書とも言われる「君主論」を書いた人です。
なぜこの人を思い出すのか?
おそらくあまり馴染みのない人からしたら、このマキャヴェッリという人。ひょっとしたら怖い人、というイメージがあるかもしれません。実際に中身を少しかじってみると、書いてあることは残酷かつ冷酷で、人の心を完全に無視した戦略がずらずらと述べられています。とてもそこに温かみは感じません。
しかし、どうやらこの人自身は冷たい人だったわけではないのでは、と私は思っています。そもそも君主論とはどうやって生まれたのか、その経過を知ることによって、私は時々勇気をもらっているのです。
君主論は自分が採用されるためのアピール本だった?
マキャヴェッリは優れた外交官として、戦乱のイタリア半島(フィレンツェ)を渡り歩きました。その時代、兵隊はお金を払って雇う「傭兵」が主流だった時代に珍しい自国から兵士を育成する「徴兵制」というアイデアを生み出したりしました。
しかし、そんなマキャヴェッリの努力も虚しく、愛する祖国フィレンツェは優柔不断な大統領ソデリーニのせいで簡単に降伏してしまい、国がなくなってしまいました。
敵国の側近だったマキャヴェッリも例外なく反逆者として逮捕されたり、その後釈放されましたが、その後も前科者として過ごすことになります。再び国の仕事に就きたいと思ってもそれは叶わず、山に閉じこもっていたのです。
そんな彼に朗報が届きます。
新たにフィレンツェを統治したメディチ家の3男ジュリアーノが今後国を作る、という情報を得たのです。マキャヴェッリはその国の外交官として自分を雇ってもらうために、自分の持っているノウハウを一気に詰め込んで、自分がいかに優れているかアピールし、採用してもらおう、そう思って君主論を書き上げたのです。
しかし残念ながら、マキャヴェッリが日の目を見ることはなかったようです。それどころかその書は「悪徳の書」として世の中から排撃されつづけることになったのです。
この君主論が再び注目されたのは、マキャヴェッリ死後200年以上も後になります。ドイツの哲学者ヘーゲルがその価値を見出すことにより、君主論は再び日の目をみることになりました。おそらくマキャヴェッリ本人は、まさか自分の書いた本がやがて世界のリーダーになる人物に愛用される書になるとは思いもよらなかったでしょう。
今求められなくてもとりあえず書こう
今私たちが書こうとしていること、それは少なくとも私たち自身にとっては素晴らしいことであるはずです。それが受け入れられるかは時代背景だったり、その他色々な要因次第です。
幸い私たちはネットの海に放流さえすればもしかしたら数百年後、誰かが拾ってくれるかもしれません。そしてそれをもらって「書いてくれてありがとう」と言ってくれる人がいるかもしれません。まずはその人のためにも書いてみませんか?
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