裏庭を失った社会①
ニュースで、若い人たちの寿司屋での「いたずら動画」が問題になっていることを知った。
このニュースを見ると、「承認欲求」からくることだろうとしか思っていなかった。
ある一定数の子どもたちが承認欲求を満たすための行為としていたずら動画をあげているのだと。
実際以下の記事にもそうした論調で識者の意見が書かれていた。
この『朝日新聞』の記事では、主に3つの観点からいたずら動画について語られていた。
①現在11歳~27歳のいわゆるZ世代は拡散するリスクが分かっていないのだと論じられる。彼等は子どもの頃から、下手をしたら生まれたときからSNSが身近にある。なのでクラスのすみっこで友達同士のバカ騒ぎをする感覚で、動画をSNSにアップしてしまう。つまりSNSそのものが、教室のすみっこになっている。結果それを誰かが切り取ってSNSで広がってしまうのだと。だからリスク意識の低さが問題なのだという論。
②今までは、子どものいたずらということで許されることも多かったが、それでは、こうした店側の被害はおさまらないので、これからは、刑事、民事で責任を取らなければならなくなっていくだろうという論。
いたずらをしようとする者は、「軽い気持ちでやっているのだろうが、犯罪行為として摘発され、損害賠償を負う可能性があることを認識しなければならない」という識者の意見が載せられる。
③最後に、「個人制裁の過熱に注意」ということが書かれている。みんな正義感から、いたずら動画をアップした若者の個人情報をさらすという行動に出ている。しかし個人制裁がエスカレートすることも問題だというのだ。そして、こうしたいたずらを防ぐためには、若者に対して、「相手企業の業績などに大きな影響を与え、自身も賠償金などを負うこともあると啓発を根気強く続けていかなければならない」締めくくられる。
納得できる記事である。自分は、やっぱり若者は承認欲求を満たすために、こうした行為にでるのだ。やはりできることは、刑事や民事で訴訟を起こすことで、つまり締め付けることで被害を無くしていくしかないのかな…などという箸にも棒にもかからないことを考えていた。しかし、この記事の最後、「コメントプラス」に書かれていた人類学者の磯野真穂さんのコメントに眼を開かれた。
磯野氏のコメントのを引用させてもらいたい。
磯野さんは、今回の一連の出来事をまったく別の視点から語っている。子どもたちが、「はみ出てよい場所」「暴れてよい場所」を大人が徹底的に奪ったことに今回の事件の背景にあるという。失敗してもいい場所、自由に暴れることのできる場所がない。その結果子どもたちにとって、自由にはみ出られる場所はSNSというネット空間になる。あるいはリストカットするなど、自分を傷つけるような形ではみ出ざるを得なくなっているというのである。この指摘にはハッとさせられる。
現在の日本を見ていると、確かにあらゆる場所が商業施設になっている。子どもたちが自由に遊べる場所が一体どこにあるのか…子どもたちは公園の代わりに、イオンにいったり、ファミレスに行ったりする。そこで、わずかなこずかいの中からお金を私企業に払い、その中でふざけたり、逸脱をするしかない。それは既に資本主義社会のなかで作られた場所だ。
裏庭を大人は子どもたちに残していないのだ。あらゆる場所が商業施設になる。そのような場所では、ファミレスやチェーン店の寿司屋が、公園にならざるを得ない。そして、その中でまたTwitterやTiktokのような企業の提供する無料のプラットフォームの中で搾取されながら自己を開示していくしかない。
そのような貧しい社会を作ったのは自分も含む大人なんだ…。そのような視点が全く私には無かった。公共空間があまりに整えられた面白くないことになっている。それは大人の遊びもまた、お金を払って消費するという形の遊び一辺倒になっているということではないか?子どもが裏庭を失う社会では当然大人も裏庭を失う。お金を払って決まりきった遊びをする場所でしか、大人も遊べなくなる。そういう貧しい社会に生きているのではないかと、青ざめる。
このことに大人はしっかり絶望しなければいけないのではないだろうか。その絶望から考え始めてみる他ないだろう。
終