三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版(第1分冊)
はじめに
鈴木 超世志(本書編集者)
このオンラインブックは、三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 神風串呂 八幡大明神・弥勒大如来 三浦芳聖第六六回降誕日を迎えて」(通算一七七号 神風串呂講究所発行 B5版86頁/1970年9月15日)を復刻したものです。
この著書の巻頭には、下記の様に記されています。
多くの方々にとって「五皇一体之八幡大明神」という言葉にはなじみが無いと思いますので、これについて簡単に説明させて頂きます。
🟡五皇一体之八幡大明神とは
通説では、南北朝時代に、皇室が南朝(吉野)と北朝(京都)の二統に分かれて半世紀以上争いが続いた末に、「南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位する形で両朝が合一した」とされています。
(南北朝時代 (日本)- Wikipedia)
しかし真実の歴史は、南朝には、延元元年(1336年)10月10日、比叡山に於て、後醍醐天皇から内伝極秘に皇位を継承した第一皇子「尊良親王」の皇統(南朝正統=北陸朝廷)と、延元4年(1339年)8月16日、後醍醐上皇が吉野で崩御された後、陽動作戦のため皇位を継承したかのように装った第八皇子「義良親王」の皇統(南朝副統=吉野朝廷)の正副両統が存在しました。
この内伝極秘に皇位を継承した第一皇子「尊良親王」(東山天皇)の五代目の嫡皇孫「大宝天皇(美良)」(応永元年/1394年 ー 文明13年/1481年)は、永享10年(1438年)、三州河合村切越(愛知県岡崎市切越町)に隠棲し、無二心忠誠の臣下に支えられ、皇威の回復を熱祷祈願して大般若経600巻を念書されました。
大宝天皇は、享徳3年(1454年)、満16年間の行願満ちて至誠通神、天照大御神の御心に達し、図らずも天照大御神より、
という主旨の優渥なる御神諭を被られました。
五皇一体之再現八幡大明神とは、大宝天皇の誓願に応えて、天照大御神が御降誕を約束された聖皇であり、本書は、その聖皇について神風串呂を以て解明し記述した三浦芳聖最晩年の著書であります。
🟡五皇一体之八幡大明神は、なぜ派遣されたのか
今日、我が国の皇祖神を奉斎する神社の中で、伊勢の皇大神宮と京都府八幡市の石清水八幡宮は、我が国二所の宗廟と呼ばれ、皇室から最も尊崇され、毎年勅使が派遣され勅祭が行われています。
天照大御神に代表される伊勢神宮の神々は、我が国最古の神代から続く高天原(豊葦原の瑞穂国)系の皇祖神であるのに対し、八幡大明神に代表される石清水八幡宮の神々は、その後、海外から渡来した近畿地方系の皇祖神であります。
富士古文献の集大成『神皇記』には、崇神天皇の御代(崇神5年)、それまで富士高天原の阿祖山太神宮でお祭りしていた「三種の神器」を召し上げ、宮中でお祭りしようと大和地方に奉遷(御移動)した事蹟が詳細に記載されてあります。
崇神天皇による「三種の神器」の宮城への奉遷は、「三種の神器は、富士阿祖山太神宮でお祭りするように」という天照大御神の遺勅(神定憲法)を破る違反行為でしたので、ただでは済みませんでした。記紀には神々の祟りがあったことが詳細に記載されています。
(『崇神天皇- Wikipedia』)
天照大御神は、この崇神王朝による奉斎を拒否されて、笠縫の里にお鎮まりにならず、崇神36年、御杖代と共に笠縫の里の天照皇太神宮(現在の檜原神社)を出発され、福知山市大江町内宮の元伊勢皇大神宮を皮切りに各地を巡行され、およそ90年後に、都を遠く離れた伊勢神宮にお鎮まりになられました。
これは、天照大御神が崇神天皇による近畿地方奉遷に大変ご不満であることを態度でお示しになられたのであり、その後大和朝廷は、およそ百代を以って終焉となり、大宝天皇は享徳3年(1454年)、三種の神器を地下深く埋蔵して、神皇正統の天皇は天之岩戸篭りとなりました。
この岩戸開きのためには、崇神天皇による違反行為を清算する必要があり、上記の違反行為の後始末をするために発動されたのが以下に述べる天照大御神による両朝融和計画であります。
崇神天皇の御代、大和朝廷と富士王朝の対立が「三品の大宝」の大和への奉遷という形で露呈されたばかりでなく、全国各地に反乱が起きる深刻な状況を前にして、天照大御神は神計りに計られ、両朝を融和合一させる計画(神策)を立てられたのでした。
それは、遠い将来、両朝の嫡孫を婚姻せしめて血統を撚り合わせ、名実共に両朝を融和合一させる神策で、神武天皇から数えて第百代までは大和朝廷の存続を許すとし(百王説)、それ以降は遺勅通り「三品の大宝」を富士大宮司家の嫡孫に祀らせようとお考えになられたのです。
その神策とは、下記の5つです!
(1)両朝の嫡孫が婚姻し、大宮司家の姓「三浦」を名乗る。
(2)大和朝廷はおよそ百代で天之岩戸籠りする。
(3)大和朝廷を乗っ取る武家(悪し利氏)を設定。
(4)上記の事績を証明する神風クシロ(串呂)を構築する。
(5)劇的に進行するよう神策は極秘計画とする。
そこで、長年月を掛けて元伊勢久斯侶即ち神風串呂を構築することになられ、その為の各地巡行が元伊勢伝説と言われる事蹟であります。
上記(1)の『両朝の嫡孫が婚姻し、大宮司家の姓「三浦」を名乗る。』神策として、崇神《すじん》天皇から始まる大和朝廷を継承し発展させた大王・天皇たちを代表する後裔として、平安王朝の嫡皇孫である「大宝天皇」が選ばれました。
一方、高天原・豊葦原の瑞穂国の神皇の流れを代表する後裔として富士大宮司家の嫡女である三浦佐久姫が選ばれ、深遠なる神経綸により両者を婚姻せしめて血統を撚り合わせ、その子孫に五皇一体之再現「八幡大明神」三浦芳聖が、この世に派遣されたのであります。
🔴本書復刻の意義
本書には、五皇一体之再現・八幡大明神(仏教的に申せば弥勒菩薩)としてこの世に派遣された三浦芳聖が体験した、神宝(御鏡)についての微妙な消息(太字で強調)が語られていますので、注意深くお読みくださいますと、今我が国にとって超重要な極秘情報を読むことが出来ます。
最後になりましたが、神風串呂があるから三浦芳聖が五皇一体之八幡大明神ではありません。三浦芳聖が五皇一体之八幡大明神であるから、それを昭示するために神風串呂が構築されているのであります。
本書を最後までお読み下されば、神風串呂を通して、日本が神国である事実を認識し、串呂主宰神「天照大御神」からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
本書をご購読下さった皆様方に、串呂主宰神(天照大御神)からの祝福が燦々と 降り注がれますよう祈念しています。
巻頭系図
神皇正統の皇統
南朝副統の王統
おことわり
🟢原著には無い小見出しを付し、難読漢字には読み仮名を付け、現代人になじみの無い漢字(例、廿→二十、卅→三十)は通常使用されている文字に変換し、旧漢字は新漢字に旧仮名遣いは新仮名遣いに変換し、適宜句読点を補い改行するなど、どなたにも親しみやすく理解しやすいように編集いたしました。
🟢原書は縦書きですので、地文を連記する場合、北方または東方から記述されていますが、本復刻版は横書きですので、南方または西方から記述している場合もあります。ご了承ください。
🟢長文の(括弧書き)は(原注)として下段に別記し、西暦年号を〔1904年〕のように挿入しました。
🟢串呂図の地名・住所は最新のものを表記し、本文中の住所も文意を損なわない限り最新住所を記載しました。府県名を省略した場合もあります。
🟢本書の頁数は、便宜的に付けたもので原著の頁数と一致して居りません。また、誤字・脱字であることが明らかな箇所は訂正させて頂きました。
五皇一体之 八幡大明神 三浦芳聖 降誕号
「天照大御神」之天津日嗣之天子「神武」「応神」「後嵯峨」「尊良」「松良」五皇一体之再現八幡大明神弥勒大如来「三浦芳聖」第六十六回降誕日を迎えて
神皇正統嫡皇孫 三浦芳聖
大宝天皇の誓願と五皇一体の八幡大明神
私は「三浦皇統家」の方から申しますると、巻頭略系譜の神皇正統第百代大宝天皇の条に記載してあります如くに、「大宝天皇」が三州切越に於て、皇紀二千九十八戊午年〔永享10年/1438年〕より、皇紀二千百十四甲戌年〔享徳3年/1454年〕まで、満十六年間、
後世直系皇孫に、「神武」「応神」「後嵯峨」「尊良」「松良」五皇一体の八幡大明神芳聖御降誕あらせられて、必ず天下を平定あらせられん事を熱祷祈念せられて、之が「皇祖天照大御神」に至誠通神して御嘉納となり、掛巻も綾に畏き「天照大御神」より
「天運循環の時に必ず五皇一体の八幡大明神芳聖を降誕せしめるから、現在は天之岩戸籠りとして三種の神器を埋蔵して、芳聖降誕の地(牧平大門)に移住して百姓となり、子々孫々其時の至るを待て」
との優渥なる御神諭を蒙られて、芳聖降誕の地牧平大門に移住せしめられ、爾来四百五十年、十六世を経て、
「天照大御神」を首め奉り「皇祖皇宗之御神霊」「天神地祇」の神願御成就、且又三世諸仏の本願成就(弥勒下生の)
1頁
私「三浦芳聖」は降誕せしめられたのでありますが、此の「三浦皇統家」神皇正統嫡皇孫たる「天智天皇」「小松天皇」「大宝天皇」三皇一体の再現たる我聖父「三浦市次郎宗心之命」に、
「尊良天皇」第二皇子「基良親王」(良玄法親王)の正系嫡孫たる
「木花咲耶媛命」「玉依姫命」「神功皇后」「為子媛命」「小室門院元子媛命」五后一体の再現たる
我が聖母「河合茂登子」(三浦家に入りて「元子」)を婚姻せしめられましたるも、之亦宏遠なる御神慮に依るものと確信致します。
私「三浦芳聖」第六十六回の降誕日を迎えるに当りまして、私の降誕の時の有様及び私の本質に就きまして、極めて平易に
上は「天照大御神」を首め奉り「皇祖皇宗之御神霊」「天神地祇」及三世諸仏が神風串呂地文の上に彰示し給う所の一端を解明して世に公に致したいと存じます。
よろしければサポートお願いします!今後も引き続き、三浦芳聖師の著書の復刻を継続して参る予定です。いただいたサポートは串呂図や表紙画像などの作成費に使わせて頂きます。