💟三浦芳聖著「串呂哲学 第一輯-絶対真理の解明」電子画像復刻版 1(巻頭~26頁)
🟡電子画像復刻版の刊行に当って
三浦芳聖著「串呂哲学 第一輯-絶対真理の解明」は、昭和31年(1956年)5月1日、名古屋市中区老松町の大竹書店から出版されました。
本書は、昭和30年2月11日発行の「神風串呂 第一編」を皮切りに開始された三浦芳聖師の神風串呂普及活動の中で、活版印刷による最初の著書であり、「神風串呂」を広く世に問うた記念すべき著書であります。
昭和31年(1956年)と言えば、GHQの占領時代(1945年 – 1952年)が終わり、それまでの物心両面にわたる不自由な生活状況からやっと抜け出した日本国民が、新時代を生き抜くための指針や精神的な拠り所をを求めていた時代です。
このような時代に「串呂」という精神世界の一端を身近な「地文」を通して垣間見ることのできた本書は、新時代の黎明を告げる新しい学問として人々に受け入れられ、もの珍しさも手伝って口コミで精神世界に関心を持つ人々の間に広がり多くの読者を得たようです。
著者(三浦芳聖)は、このA5版50頁にわたる本書の冒頭で「名古屋市中村公園の大鳥居三串 -🔴-🔴-🔴- の串呂」を紹介し、
と読者に呼びかけます。
そして、この「大鳥居」ー「大鳥居」ー の串呂線上に、中村公園の「⛩大鳥居」が建てられた背後には天地神明の意図(神意・啓示)があるとし、その天地神明の神意・啓示を研究する学問が「串呂哲学」であると説明しています。
この大鳥居三串 -🔴-🔴-🔴- の串呂は、国土地理院発行の20万分の1の地勢図(46㎝ × 58㎝)「名古屋」一枚を用意すれば誰でも簡単に確認できるので、実際に地図を購入して串呂を引いてみた方もあったと思います。
幸運なことに私(編集者)は、中学時代に本書を読む機会が与えられ、同時に国土地理院発行の地勢図で「大鳥居三串 -🔴-🔴-🔴- の串呂」を現認し、串呂の持つ神秘性に魅了されたことを記憶しています。
串呂哲学の入門書とも云うべき本書は、縦横無尽にリンクしている「串呂」を分かりやすい図解付きで紹介し読者を魅了したため、本書がきっかけとなって三浦芳聖師の門人になられた方々が多数ありました。
大鳥居三串 -🔴-🔴-🔴- の串呂に続いて本書には、ジャーナリストの「小林橘川氏」が名古屋市長選挙に当選し、地元の現職市長として熱田神宮復興に寄与し、現職のまま死去することを予見した串呂が紹介されています。
昭和26年(1951年)4月23日に行われた名古屋市長選挙に革新系無所属の候補として立候補した小林橘川氏は、僅差(558票)で現職の塚本三氏に敗れ落選しましたが、昭和27年(1952年)8月25日、名古屋市長の塚本三氏が任期中に死去したため、9月28日に行われた市長選に立候補し初当選しました。
本書では、この辺りの事情が、小林橘川氏や⛩️熱田神宮の社殿復興を予見した串呂の紹介とともに語られていて、串呂と現象界とを切り結ぶ興味深い記事となっています。
このほか、本書には下記の興味深い串呂が紹介されています。
🟡昭和28年8月の大台風「第13号台風(テス台風)」の襲来を予見した串呂
🟡愛知県一宮市時之島の熊沢家の串呂
🟡後亀山天皇が勅使であったことを昭示する串呂
🟡元愛知県警警部補「岡本義夫」氏の串呂
🟡当時、現職の中部公安調査局「和田義穂」氏の串呂
🟡青木古文書(千種文献)と松良親王の串呂
🟡吉野町吉野山の「後醍醐天皇御陵」「⛩吉野神宮」の串呂
🟡南朝正統第九八代「小松天皇」の串呂
🟡三河一宮「⛩️砥鹿神社」及び「⛩️砥鹿神社奥宮(三河本宮山)」の串呂
🟡京都府福知山市「天照」と「御在所山」との串呂
🟡⛩️皇大神宮内宮と⛩️外宮とを結ぶ串呂
🟡滋賀県高島市鵜川の「⛩️白鬚神社」の串呂
🟡その他の興味深い記事が多数紹介されています。
本企画は、三浦芳聖師の著書の最初の電子画像復刻版です。
三浦芳聖生先生御降誕120年の記念事業の一環として準備して参りましたが、新串呂の研究解明に忙しく今日になってしまいました。
本書が一人でも多くの方々に購読され、真日本国の復興が一日も早く実現することを祈念しています。
2024年(甲辰)12月28日
編集者 串呂哲学研究会 鈴木超世志
串呂哲学 第一輯
はしがき
串呂哲学(手ほどき)
第一輯 日本一の大鳥居
「第13号台風(テス台風)」の襲来を予見
三浦芳聖の国體論
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