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🎀天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編 第一分冊(第1話~第10話)
💌我々には希望がある!
🌷このオンラインブックは、天照大御神が、この世に派遣した最愛の御子・三浦芳聖(1904年9月17日~1971年3月30日)を、どのように教導されたかを記述した「大御神の子育て記録」です。
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🌷三浦芳聖先生とは一体何者なのか、ほとんどの日本人は御存じないと思いますが、三浦芳聖先生は豊葦原の瑞穂の国(富士王朝)と平安王朝、両王朝の嫡皇孫であります。
🔴天照大御神の嫡皇孫は「三浦」であることを彰示する神風串呂
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🔴三浦家は富士王朝と平安王朝の嫡皇孫である事を彰示する神風串呂
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🌷幸い、『三浦芳聖- Wikipedia』にその生涯のあらましが記載されていますので、ご興味のある方は参照下さい。
さて、今を去るおよそ1700年前、渡来王朝である崇神天皇(扶余王依羅)のヤマト王権によって滅ぼされた「豊葦原の瑞穂の国(富士王朝)」の初代神皇「天照大御神」は、この事態を大変悲しまれ、瑞穂の国の復興計画をお立てになられ、天壌無窮の神勅をスローガンとして、今もなお毅然として闘い続けておられます。
豊葦原の瑞穂の国は、これ吾が子孫の王たるべき地なり
🌷天照大御神は、戦争の勝利者が偽造した偽りの歴史に対抗するため、先ず大御神の嫡皇孫が誰であるかを明らかにしたいとお考えになり、長年月を掛け、ひそかに神風串呂をご構築なさいました。
神風串呂とは元伊勢伝承で元伊勢クシロと呼ばれる結界の事でありますが、この間の事情は、すでに下記で詳述していますので、ご興味のある方は参考にして下さい。
💟ここまで解った元伊勢伝承
第1話 崇神天皇、宝鏡を奉遷
第2話 崇神天皇が畏怖した理由は?
第3話 天照大御神は崇神王朝の祭祀を拒否
第4話 各地巡行は元伊勢クシロ構築の旅
第5話 両朝融和計画進行中
🌷すなわち、天照大御神は、海外からやって来た異民族の守護神に祭り上げられることを拒否され、崇神39年(4世紀初め頃)に笠縫邑を出奔して、
京都府福知山市大江町内宮の元伊勢内宮皇大神社を皮切りに、御杖代と共に各地を行脚され、神風串呂の一大拠点を置く為に伊勢地方にお鎮まりになられました。
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🌷天照大御神は、この瑞穂の国の復興計画の一環として、崇神天皇(扶余王依羅)の御陵「行燈山古墳」と吉備国在住時の皇居(元崇神天皇社)の神風串呂を構築され、崇神天皇のヤマト王権が渡来王朝であることを明らかにされました。
🌷この間の事情は、下記で詳述していますので、ご興味のある方は参考にして下さい。
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🌷この天照大御神が構築された神風串呂を解明するために、この世に派遣された人物が三浦芳聖先生であります。
このオンラインブックは、三浦芳聖先生が、天与の使命を完遂するために、如何にしてこの世に産み出され育成されたかを、「天照大御神の子育て」という視点で書き綴った人物伝であります。
天照大御神は、平安王朝最後の天子である大宝天皇(1394年-1481年)が、愛知県岡崎市切越町に隠棲して、皇威の回復を熱祷祈願し、大般若六百巻を念書した至誠に応えて、享徳3年(1454年)、将来、五皇一体の再現・八幡大明神を、この世に派遣する事を誓約されました。
🟡五皇一体の再現・八幡大明神
神武天皇・応神天皇・後嵯峨天皇・後村上天皇・松良天皇 五皇一 体の再現
🌷そこで、天照大御神は、八百万の神々を招集して神図りに図りたまい、最愛の御子「三浦芳聖」を選任して、五皇一体の再現・八幡大明神に任命し、この世に送り出すことに決せられ、明治37年(1904年)9月17日を降誕日と定められました。
そして、その教育方針を「人類史上かつてない尊い聖人に成長するよう育てたい!」と、ご希望を述べられ、御子の諱を「芳聖」と命名され、思金神に、そのように物事が運ぶように御下命遊ばされました。
爾来、天照大御神の御子派遣計画通りに物事が運び、三浦芳聖先生は、450年後の明治37年(1904年)9月17日午前6時、愛知県額田郡額田町大字牧平字大門の三浦家に御降誕になられました。
本年2024年は、三浦芳聖先生の御降誕120周年に当たりますので、その記念として三浦芳聖先生の伝記の中から先生がご結婚されるまでの歩みを「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」としてまとめたものであります。
悠久1700年の時空を越えて、大御神のご計画通りに御子派遣計画の神経綸が実行に移され、三浦芳聖先生によって神風串呂が解明され、串呂哲学が創始された事実は、現代の奇跡であり、わが日本国および日本民族の救いとなるものであります。
🔴我々には希望がある!
🌷天照大御神がご構築された神風串呂がある限り、我々日本民族には無限の希望があるのであります。
三浦芳聖先生の御降誕120周年の記念の年にあたり、天照大御神の御負託に応え奉り、生涯の精魂を尽して神風串呂を解明し、串呂哲学を創始された
三浦芳聖先生の御霊前に、本著を捧げ奉る次第であります。
2024年11月23日 串呂哲学研究会
鈴木 超世志 拝
🎀天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編
目 次
第一分冊
第1話 祈りの中に受胎する-先ず母より始めよ!
第2話 幼な心に善種を蒔く-言葉の創化力の神秘
第3話 大自然の中で遊ぶ-山は青きふるさと
第4話 厳格なる躾教育を施す-袴とニンジン
第5話 尊良精神-聖人は死を安んずる!
第6話 父の急逝-諸行無常の理を知る!
第7話 父の最期の絶叫-神風串呂神伝
第8話 安楽寺の小僧に-早期英才教育始まる!
第9話 瞼の母の教訓-甘え心を断ち切る!
第10話 向学の念やみ難く-単独寒行の夜は更けて!
第二分冊
第11話 尊良親王の御陵に遭遇-若王子町の下宿
第12話 聖護院の学び舎-恩師中根正親先生
第13話 仏教専門学校に進学-古今東西の宗教哲学を研鑚
第14話 大門三串の串呂発見-蔵王山から三浦山まで行脚
第15話 芳聖の初恋-御匣殿再現 小田垣清子
第16話 関東大震災に遭遇-臨死体験で人生観が一変
第17話 渥美勝先生に邂逅-日本的生命観に目覚める
第三分冊
第18話 一子相伝の系図を掘り出す-串呂の要諦が一気に解明
第19話 遠祖 長慶天皇 登列-衝撃で射撃訓練中に暴発
第20話 日曜院の住職に就任-遠祖の御陵探し始まる!
第21話 極秘裏に串呂を研究-的確なる地文に驚嘆
第22話 西山国師の秘訣集を読破-超世の大願偏えに大日本国に興る
第23話 三浦家系譜の鑑定を仰ぐ-田中伯爵に誓書を騙し取られる
第四分冊
第24話 頭山満翁遺訓-一心が天に通ずる聖人に
第25話 昭和維新運動に邁進-出山還俗・僧籍離脱
第26話 真の皇道国家を目指して-皇国維新に全身全霊を捧げて
第27話 見えない敵(カバール)との闘い-維新運動の限界を悟る
第28話 土佐の仏岳山で仙人修行-神仙道の允可を得る
第29話 日月の滝を発見-国土に秘められた祓いの原理
第五分冊
第30話 芳聖の結婚(1)親友の妹との奇妙な縁談
第31話 芳聖の結婚(2)絶家再興計画に巻き込まれる
第32話 長女幸枝誕生-寺泊皇女 悲話 追想
第33話 野村 鈴と再婚-運命の赤い串呂
著者のプロフィール
💟第1話 祈りの中に受胎する-先ず母より始めよ!
🟡先ず母より始めよ!
天照大御神の子育ては、三浦芳聖の母・元子をして、その遠祖・尊良親王の再現(三浦芳聖)を、尊良親王 ご降誕 満六百年目の記念日に、一日も違うことなく産み参らさせ給え!と5ケ年半の間、ひたすら祈らせる所から始まりました。
すなわち「祈りの中に御子を受胎する」ようご希望になられたのであります。人類の歴史始まって以来、御子を受胎するために5ケ年半という長期間、熱禱祈願したという話はこれまで聞いたことがありません。
(注)尊良親王 ご降誕 満六百年目の記念日・・・明治37年(1904年)9月17日(陰暦8月8日)
🟡尊良親王の再現を御生み参らせよ!
遠祖・尊良親王の再現を、ご降誕 満六百年目の記念日に産み参らすために観音様に祈れ!という元子の父・河合和助のご負託に応え、三浦芳聖の母・元子が、五ヶ年半もの長い間、祈りに祈って、明治37年(1904年)9月17日(陰暦8月8日)、見事に尊良親王の再現(三浦芳聖)を出産した事例は、祈りの中に受胎した実践例です。
三浦芳聖の母・元子が、明治32年(1899年)三浦家に嫁ぐに当たり、元子の父・河合和助は下記のように望みを託しました。(西暦を補いました)
わが河合家の遠祖・尊良親王様は、嘉元2年(1304年)甲辰陰暦8月8日のご降誕である。これから5年後の明治37年(1904年)甲辰年陰暦8月8日は、尊良親王様のご降誕満六百年(10還暦)に当たり、天運循環してそのご真体が再現できる年ゆえ、尊良親王様より一子相伝に継承して来たこの観音様を肌身離さず奉持して、ひたすらに祈念を込め、必ず尊良親王様を御生み参らせよ!尊良親王様には、天運循環の時に必ず直系の子孫のもとに再現して天業恢弘に邁進される御誓願である。
🟡六百年目の奇蹟
三浦芳聖の母・元子は、父・河合和助のご負託に応え、後醍醐天皇御自作の観世音菩薩を肌身離さず奉持して、遠祖尊良親王のご降誕 満六百年目の記念日に、一日も違うことなく尊良親王の再現を御生み参らす為に、雨の日も風の日も、五ヶ年半もの長い間ひたすらに祈り続け、見事に三浦芳聖をこの世に御生み参らせたのです。
💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮により、祈りの中に受胎する事が、優良児出産を望む母親に必要な心構えである事を教えて下さっています。何と尊い教育方針でしょうか。
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