半生の振り返り
最近、時間が過ぎるのが速すぎて困っている。
一度俯瞰して人生を振り返りたい。
2007年 大学入学
大学までは本当に人生のことは何も考えてなくて、エスカレーター式に気づいたら大学進学することに。
夢も恋も愛も何も知らず18年、鼻水垂らして過ごした小僧だった。
2008年 大学 学内ベンチャー
学内ベンチャーで人生が変わった。
商売、仕事、起業、経営者の生き方を目の前で見させてもらって、繰り返し言い聞かせてもらって、そんな生き方が魅力的に見えて、人生や考え方が変わった。
パソコンのタイピングが早いくらいで、何も技術はなかったので、教授が言う「これやっとけよ」ってことだけは勉強した。
初めて自分のパソコンと10万くらいする高額なソフトをアルバイトして買って勉強を始めた。
学内ベンチャーでは、何もわからず右往左往するばかりだったけど、教授との出会いで人生が180度変わった。
起業を目指す夢ができた。
2009年 初恋
初めての恋人ができて、人生初の春がきた。
でもADHD、ASDと知らず、失敗がたくさんあった。
大学は「最後の遊ぶ場所」「最後の学ぶ場所」二極ですごく悩んだ。
結局葛藤に耐え切れず、また僕の性格に悩んだ彼女にも限界がきて結局破局。
2010年 妻と出会う
初めての失恋の傷を癒すように、仕事や生活の充実を図った。
引き寄せの法則とか読んじゃって、毎日瞑想とかして、朝に「赤い服を着た、低身長の、かわいい、頼られる好き好きしてくれる女の子と出会う」みたいなキモい妄想を10日~30日くらい続けてたら、新学期になって、大学の後輩として、低身長で小柄で愛らしい、赤い服を着た現在の妻現る。
正確には朝、教授とばったり会って「これから授業やるけど来る?」って呼ばれて、助手に行った授業で出会う。
また、その一目惚れした現妻が、たまたま同じ学内ベンチャーに新入社員で入社するという夢のような設定で、うれしくて小躍りした。
先輩風を吹かせ、猛アタックして、お付き合いすることに。
そう考えると、今の妻とはもう15年も一緒なのか。やばい早い。
それと嘘クサイと思ってた引き寄せの法則はマジもんなんだなと思った。
2011年 卒業 就職か起業か
大学4年になると同級生の友人は先に起業。尊敬と嫉妬が入り混じりながらも、自分には在学中にできる気がしなくて、まだ就職か起業かで悩んでいた。
結局、在学中に起業することはできず、大学を卒業。周りはみんな就職するも、自分はプー太郎。
今の奥さんと付き合いながら、卒業して半年くらいは、ニートでカラオケ屋のバイトやりながら、チラシやポスターとか作ってた。
そこで個人事業として初めてのお仕事をもらった。
デザインの仕事しか大学で学ばなかったから、領収書の書き方も知らず、カラオケのママに「あら~知らないのぉ?こうやって書くのよ♥」みたいに教えてもらったあの時のことは今でも覚えている。
バイトしながらも「起業したい」ってずっと思って、馬鹿なりにビジネスプランとか考えつつ、チラシ作りとかやってた。
2012年 個人事業開業
カラオケ屋でバイトしながらも、姉、母親、兄が「こういうの作りたいって人いるんだけど」と家族から紹介の声がかかる。家族ってありがたい。
お小遣い程度でも、そういうことを続けていると、さらに紹介が入るようになる。家族→知り合い→友人→個人事業経営者みたいな感じで。
バイトしながら、なんか知らんけど少しずつ忙しくなる。
だけど、ただのチラシ屋になりたくなかった。起業というからには、ビジネスプランがないとと思うようになった。
だから「デジタルサイネージのビジネスなら、1回動画作ったりすればCM流して寝てても金入るんじゃね!?」とかって、素人考えで、発案。
「人目の多いところと言えば商店街、商店街と言えばシャッター…ひらいめいた」...と、シャッターの降りた駅前の空き家へ。
誰もおらず、隣の美容室のおばちゃんに「このお店のオーナーどこっすか?」って聞いたら「あっちの方の家に住んでるで」って教えてくれたので、アポなしで行く。
信頼は大事なので、今までのデザインの実績だけは持参して、役に立つオーラだけは出しといた。
そしたらシャッター降りたお店を貸してくれるってなった。
「端っこだけなら月々4,000円でいいよ」って破格で貸してくれた。
ブラウン管の32型テレビをハードオフで買ってきて、とりあえず動画を流して広告をやってみるも、広告主を集める人脈もなく、チープ過ぎて断念。
その後、調子に乗って、そんなに安く借りられるならと、シャッターの降りたお店1棟まるごと借りることになる。
「月々20,000円でいいよ」とのことで、駅前でお店をやることになった。
おとなしく「広告代理店」て看板掲げれば良いものをビジネスプランにこだわって「レンタルスペース」を始める。
「何か不動産て儲かりそう」と安直な考えから。
2013年 駅前でお店を持つ
投資ほぼ0円、貯金0円で、駅前の徒歩1分、目立つ場所で、レンタルスペースのお店なんて始めたもんだから、まちづくり課のお役人や、町の経営者が店に視察に来るように。
レンタルスペースのお店は、内装がうんこだったので、客は集まらなかったが、広告制作の実績を見せ、依頼が増加。
個人事業でお店を1年やりながら、広告代理業で稼げるようになった。
やっぱ目立つって大事、実績って大事なんだな。
2014年 起業
お客さんが増えて、念願の起業。
駅前のお店は別の人に譲って、実家を会社の本拠にして開業。
この頃、役場や商工会などから100万単位の仕事をもらえるように。
面倒な小さな仕事でも真面目に受けて信頼を積み重ねた結果だった。
2015年 人脈
起業してからは営業を一度もしてない。
口コミだけでお客さんが増えていった。
この年は良く、こんな僕の人生が面白いと田舎の社長さん達が目をかけてくれた。
初めての海外旅行では、社長さんたちのおごりでドバイに行った。
車ももらった。
ありがたかった。
この頃はとにかく、新しい人と出逢う機会が多かった。
理由は僕自身、人を求めていたし、アレもコレもと、多動を極めていたからだと思う。
ララちゃんランドセルのパッケージをデザインしたり、あしかがフラワーパークさんと仕事したり、デカい工業団地の冊子を作ったり、社長さんとYouTuberやったり、兄弟に子どもができたり、友達が結婚したり、仕事が増えて、とにかく社長の人脈が広がり、良い思い出が多かった。
2016年 平和
当たり前の話だが、お金はお客さんが運んできてくれる。
人とたくさん会うと、それだけチャンスが増える。
この頃の写真を見返してみると、彼女との旅行も多い。
結局のところ人間関係の充実=仕事の充実=家庭の充実
と言う構図になるのかなと思う。
会社も家庭も順調で平和な年が続いている。
2017年 ビットコインと中国
この頃に、ビットコインを買い始める。きっかけは、中国に仕事に行って、金儲けが好きなお兄さんに話を聞いたのがきっかけだった。
また、結婚をせがまれることが増えて「お金を増やさないと」とプレッシャーを感じていたのもあった。
お得意の過集中で、ビットコインにのめり込んでいた。
起業して真面目にうまくやっていたのに、ビギナーズラックで儲かってからこれがきっかけで借金地獄が始まる。
2018年 新居と平和
仕事は平均的にこなしていた。
彼女とも結構長い付き合いになり、2人暮らしを始めることに。
いろんなところに旅行に行ったり、結構幸せだったなと思う。
イベント活動も始め、多動性は最高潮だったと思う。
売り上げも伸びており、この年はなんだか平和だった。
2019年 不仲とコロナ
仕事がうまくいくにつれて、彼女と仲を深めた時期。
今、写真を見返したりしてみると、僕だけじゃなくて、兄弟や教授、お客さん、友人、みんな幸せなことが多かったように見える。
新しく家を建てたり、家族が増えたり、結婚生活が順調だったり。
僕らも、ハワイに行ったり、あちこち旅行に行った。
世界が順風満帆だった。
しかし、嵐の前の静けさというように、初めての本格的な2人暮らしが始まり、彼女とたびたび喧嘩することがこの年から増えた。
同居を期に彼女と不仲に。
家のことで、僕自身好き勝手やっていたことも原因。(まだ発達障害を知らない)
同居して互いの本性が見えてきたんだと思う。
それでも、まだ平和だったし、仕事は相変わらず順調だった。
しかし、ここから陰りが見え始める。
コロナが忍び寄る足音を聞いているかのような年だったんだと今は思う。
2020年 発達障害と破壊
「コロナってのがヤバいみたいよ」と知りながらも、僕も新しい事業を始めたり、ビルの屋上にオフィスを構えたりしていた。
この年の前半が、最後の幸せな時期だったように思う。
4月からはマスク姿の写真ばかり。
一見楽しそうにも見えるが、心は穏やかじゃない。
のめり込んだ暗号資産は暴落、中国の仮想通貨では詐欺に遭い、クレカで借金を各所で膨らませ、コロナ不況で仕事も激減、暇で家のDIYするたびに嫁と大喧嘩、鬱憤から無駄遣いも増えお金の不安が常態化、兄は離婚、友人が自殺、お客さんもみんな大変で暗くて、みんな不幸が重なっていた。
加えて、自身の発達障害が発覚。
姪がそうらしいというので調べたら、僕に当てはまり過ぎて、もしやと診断を決断。
病気じゃなくて生まれながらにそうだったのに、僕にとってこの障害の事実はショック過ぎた。
何もかも上手くいかず、仕事は当然手につかなくなった。
ただ、今振り返ると、これはブレイクアウトと呼ばれる、大きな変化の前の兆しでもあったのかもしれない。
そして2020年11月にnoteを始める。
2021年 自分と向き合う
仕事も何もかも上手くいかなくなって、noteにのめり込む。
毎日、何かを書き出していないと、どうにもならなかったんだと思う。
「今までの人生なんだったんだろう」と思い、過去を振り返った。
noteには共感してくれる人が多く、救いになった。安らぎだった。
喧嘩して彼女とも沢山話し合った。
コロナにも慣れ始め、仕事を僅かずつ再開。
親友に声をかけ、初めて従業員を雇う。お客さんもお店をオープンしたり、自分も心機一転を図り始めた再起動の年だった。
2022年 従業員
僕は1年近く仕事ができなくなって、すがるように親友を雇った。
彼のおかげで止まった歯車が動き出したようだった。
ただ、止まった仕事が動いただけで従業員への支払い、投資の失敗、借金で家計は火の車。
経営者なのに、夜勤のアルバイトを始めた。
彼女とも上手く行かず、本当は仕事を頑張らなきゃいけないのに、彼女から遠ざかるように、ゲームやnoteの世界にのめり込んだ。
2020年に全てぶっ壊れて、現実逃避していたんだなと今はわかる。
思っているより自分は弱かったんだ。
2023年 結婚と再生
彼女には自分の病気も借金のことも、関係が壊れてしまうと思ってずっと言えなかった。
逆にそれが原因となり大喧嘩した。
別れるギリギリで自分も彼女も、こんなに人生でこんなに怒ったことがないほど、思いの丈をぶつけ合って、少しずつ少しずつ、関係を修復して、去年3月になんとか結婚に至った。
やっと、コロナからの長い悪夢から解き放たれたような気がする。
僕も言えずに溜め込んでいた悩み、苦しみから解き放たれたようだった。
ようやく働けるようにもなった。
親友とは前々から意見を交わし合っていて、合意の上で円満に退社してもらうことになった。
仕事も安定した大きな仕事がいくつも舞い込んできた。
笑顔になることが増えて、壊れかけた人生が再生されていくような、そんな年だった。
2024年 現在
大学から数えると15年、会社を起ち上げてからは10年が経ってしまった。
10年、15年なんて...。
赤子が青年になるほどの長い年月を、僕は本当に信じられないほどの速さで、駆け抜けてきてしまったんだと思う。
今、一年一年をこうして振り返ってみても信じられない。
一つ一つの出来事が、ついこの間のようだから。
20代〜30代の大切な時間。
出逢い、別れ、喜び、悩み、苦しんだけれど、この15年は僕にしか味わえない、かけがえのない人生だと思ってる。
絵に描いたような波瀾万丈な大成功の起業家にはなれなかった。
それでもこの、平凡な起業家人生は、なんとか僕に続けられる、僕にちょうど良い人生なのかもしれない。
まだ油断できたものじゃないが、投資で負った借金のほとんどを返し終わった。
妻ともなんとか結婚生活を上手くやっている。
仕事だって出来るようになった。
病気も治り当たり前に歩いたり走ったり出来るようになった。
発達障害も受け入れた。
それがありがたいのだ。
20××年 これから
この15年、僕なりに一生懸命やってきたつもりだ。
だけど、このままで良いとは思わない。
もっと変わっていきたい。
苦しんでいる誰かに手を差し伸べられるような人になりたい。
たくさんの人の笑顔をみたい。
また大きな災厄があっても、誰かのために動いて、光っていられるだけの余裕だって欲しい。
僕のせいで大切な人が泣き崩れる姿なんてもう見たくない。
僕自身、一人苦しい時、子どもみたいにえんえん泣きながらnoteを書いた。そんなのもう嫌だよ。
平凡だった18歳までの自分が、起業家になれたのだ。
人生はエスカレートしていくものだ。
だからきっと、まだまだ自分は変われる。
この先の10年も、今の僕らが思いもよらないような事が、沢山起こるかもしれない。
どんな災いにも負けない強さと、明るさを持っていきたいのだ。