起業した

先日令和6年6月6日、新しく会社を起ち上げた。
ほとんどなにも準備も計画もしていない。
それでも先日、さいたまの地方法務局に設立登記をしてきた。

ADHDの行動力

以前から起業すると決めていた。
でも結局、起業のために動いたのは前日6月5日。

定款という会社のルールを書く書類も前日6月5日に書き始めて、昨日6月6日に提出。
会社の印鑑も、6月5日に発注して、6月6日の午前に到着。
個人の印鑑証明が必要だったので、6月6日午前に役場に取りに行った。

ADHD特有の、ギリギリに爆発する行動力はすごいなと感心した。(他人事)
ADHDの人はね、もっとADHDの良いところを見たほうが良いと思います。

なぜ?

経営を始めて10年になる会社を既に1社持っている。
今回その会社とは別に、もう1社会社を作った。
大きな理由はたった1つしかない。

変わりたい

世の中のコンサルティングの人とか、偉い経営者の人が聞いたら、たぶん
「ばかなの?」って言われると思う。

自分でも「あぁ、ばかなんだな~」って思っている。

でも

変わりたい

この気持ちに嘘は全くない。


変わりたい

世の中を見回してみると、みんな何かしら困っていることがある。
人生の「課題」というやつで、誰にでもある。
僕にもある。

僕の今の課題は、以下の3つ
①自分らしく、明るく、面白く、おかしく、楽しく生きる
②シンプルに生きる
③忙しくなくなる

たったこれだけのために、僕は起業したといっても過言ではない。

①自分らしく、明るく、面白く、おかしく、楽しく生きる

子どものころにはあった、明るさ、面白さ、おかしさ、楽しさが、大人になっていくたび、環境によって変化して、無くなった。
人はそれを「大人になる」というが、僕はそれを取り戻したいと思っている。

成人になる過程で、何かを失うことは大切なことだとも思う。
類人猿が人間になる過程で、尻尾がなくなったように、環境に応じて人も何かを失うことがある。その代わりに何かを得るようになっている。

けれども、環境が、いつも正しいわけではない。
人間社会の環境は常に歪んでいるからだ。

例えば「毒親」と呼ばれる人に育てられると、子どもはその環境に適応するために、変化する必要がある。
本来その人が持つ性格や、性質が歪められることだってある。

僕はいつも例え話で
「犯罪者が、もし子どものころ皇室で育てられていたら、同じ犯罪を犯しただろうか?」と考える。
答えはNOだといつも言っている。

環境が人を変えていく。
そしてその環境がいつも正しいとは限らない。
また「毒親」も実は、環境で歪められてきた被害者でもある。
だから、悪い人なんていないと僕は思っている。

話を元に戻す。
僕自身、大人になる過程で「真面目」に変化し過ぎてきたと感じている。
それはADHDやASDが起因している。

ADHDで落ち着きがなく、失敗ばかりしてきた。
だから他人に迷惑をかけて叱られることが多くあった。
天真爛漫だった自分が、誰にでも「ごめんなさい、ごめんなさい」と言って生きるうちに、どんどん、素直に、固く、暗く、真面目になっていった。
その代わりに「誠実だ」とか「優しい」と、他人に評価されるようになり、得るものは確かにあった。

新しく得た自分自身も、僕の人生であり、かけがえのないものだと分かっている。
けれども、ここで言いたいのは、自分が手放したものがすべて間違っていたのかというと、そうではないということ。

僕が手放したものは
自分らしく、明るく、面白く、おかしく、楽しく生きる
ことだ。

「環境」と他人のせいにするのは良くないが、すべて自分のせいだと思うのも、僕はどうかと思う。

だから、僕はこれから
自分らしく、明るく、面白く、おかしく、楽しく生きていきたい。
この想いが、新しい起業の1歩を突き動かしたといっても過言ではない。

②シンプルに生きる

これからはシンプルに生きることを心掛けていく。
理由を述べるにあたって、ここでもやはりADHD(注意欠如・多動性障害)の話になる。

ADHDの性質に「多動性」がある。
あらゆる物事に興味を持ち、落ち着きがなく、常に多く動いていないと気が済まないという性質。

ホルモン異常に起因するものなのだが「地を広く知り、獲物を多く獲得するための人類の進化」という一説があるそうだ。
定かではない。

ADHDの人にとっては、すべての物事が大事で、物事に優先順位がつけられない人が多い。
あっち、こっち、そっちと、あらゆるものに気を取られて、マルチタスクになり、忙しい人が多い。

僕はこのことから、ADHDの人を「マキシマリスト(最大限主義者)」と捉えている。
マキシマリストは、なんでも大事だと思い込んで、最大限に物事を詰め込む主義者のこと。
なじみのある「ミニマリスト(最小限主義者)」と正反対の性質を持っていると考えると分かりやすいと思う。

人はどちらに偏り過ぎても、アンバランスを起こして、不都合や問題を生じさせてしまう。

僕は今まで自分がADHDと知らずに、あらゆる物事を最大限やってきた。
マキシマリストだった。
だから、これからはミニマリズムを自分の人生に取り入れたいと考えている。

しかし、勘違いしたくないのは、最小限である「ミニマリズム」が最善なのかというと、そうではないことも分かった。

このことは以前にもnoteで書いた。
大切なのは、最大限主義(マキシマリズム)と最小限主義(ミニマリズム)の中庸である、本質主義(エッセンシャリズム)だと書いた。
中庸とは物事の「真ん中」ではなく「両方」だと考えている。

生まれながらにADHDでマキシマリズムの自分には、ミニマリズム”も”必要だと考えている。生まれながらの多動症の自分自身に抗うカタチにはなるが、これからは、ミニマリズムを取り入れて生きたい。

冒頭で述べたように「シンプルに生きる」とは、ただミニマルに簡素にするのとは違うと思っている。

何でもかんでも大切だと思い込んで物事を溜め込むでも
何でもかんでも捨てることが大切だと思い込んで捨てる
のも違うのだ。

シンプルに生きるとは、本当に本当に大切な物事が何かを見極めて生きることだ。

だから僕は、過去に捨ててきた自分を拾い集める。
同時に今、僕に必要ではないことは捨てていく。

新しい会社は、僕にとってシンプルのシンボルであり、
新しい人生を生きる指針だと思っている。
だから新しい会社を起ち上げた。

③忙しくなくなる

ADHDはいつも忙しい。
「なんでも大切」だから。
道しるべとなる恩師はいたが、この10年、起業、営業、経理、運営、人を動かすこと…全部一人で手探りでやってきた。
0からのスタートだった。
だから本当に忙しかった。

二十歳までの人生、夢も何も追いかけるものがない、空っぽな自分でも、何かできるんだって証明したかった。

その甲斐あって会社は11年存続して、売上げも少しずつだが右肩に上がり、大きなビルの屋上に事務所を構え、古いけど2件の戸建てに住んで、中学生に講演会なんてことまでさせてもらえて、結婚してそれなりに幸せに暮らせている。
やって良かったと思っている。

忙しくて結局、今回の起業もろくに準備もできなかった。
だけど、自分なら上手くやれる予感がしている。
今までの10年の経験があって、0からのスタートじゃないから。
たぶんこの先の10年後、あの時起業して良かったと言っていると思う。


今までの10年、もう本当に忙しく生きてきた。
僕はここでそういう人生に終止符を打ちたい。
ADHDだからそう簡単じゃないのは分かっている。
この新しい会社は、新しい自分になる決意そのものだ。


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