雑記
いつも読み手のことを考えられていないけれど、今日は特に殴り書き、頭の中の膨大な思いや考えを整理するために雑記を書いていく。
長い。
節目
ここ最近、節目と思われる出来事がいくつかあった。
一つは病気の治療
ほんとうに大した病気ではないのだけど、6年以上も医者にもいかず放置していた主に下半身の身体の不調があった。
1か月前から治療をはじめて、当月5日に無事手術を終えた。
6年間もの間大事に至らないからと、ダラダラと先延ばしにしてきたが、手術をした翌日からすぐに大きな変化を感じたので「もっと前からお世話になっておけばよかった」と珍しく後悔した。
女々しくて書きたくないが、お世話になっている医院の先生や看護婦さんの介助に心からありがたいと感じ、手術自体はまったく痛くなかったが泣いた。
理由は主に3つ。
・6年間放置して、ずっと微妙に苦労してきた病気だったので、思い返して「苦しかったな」という想い
・下半身の病気なので看護婦さんや先生は常に気遣いをしてくださって、ありがたい、ありがたいなと思いやりをひしひしと感じたこと
・最後にリスクがあるにもかかわらず、医者は先進医術を取り入れて、人を救うその心に
涙をポロリと流す自分を見て先生は「痛かったですか?男性のほうがこういうのは弱いですからねぇ」と言って先生はササーっと行ってしまったが心の中では「違う、そうじゃないんです、ほんとにありがたい気持ちが込み上げてきた涙なんですぅぅ…」と麻酔でふわふわしていたので心でつぶやくだけにした。
6年前くらいから発症し始めて、3年前から、歩くことも、走ることもままならなかったので、本当につらかったなぁと思う。
それがたった1度の日帰りの手術で治りつつある。
歩く、走る、当たり前のことができなった6年の長かった病気に終止符をうてたことは、自分にとっては大きな節目の一つだと思った。
二つ目は起業
前回書いたが、6月6日に起業した。
何も準備も計画もしていない。
お金も返済ばかりだったので、貯金0に近い状態で、10年前と同じように無の状態でまた起業した。
僕にとって、やはり大きな心の節目になっている。
ずっと、変わりたいと思っていたが、結局変われなかったし、踏ん切りがつかなかった。
だけど、もう変わらないといけない節目に来たんだなと覚悟を持って「えいやっ」とまた起業した。
前回書いた通り主に変わりたいことは3つ。
・自分らしく、明るく、楽しく、面白おかしく生きるってこと
・シンプルに生きること
・忙しくしないこと
書いたは良いけど、じゃあ具体的にどうするかを書く。
1.自分らしく、明るく、楽しく、面白おかしくについて
やりたいことは早くやる
やりたいことがいっぱいあるのに、ずっと心や頭に仕舞ったままになってた。それを一つずつ早くやっていく。
具体的にはロボット開発。
昔からロボットやプログラミングに興味があったのに、今の仕事に追われてしまって勉強も実践もできなかった。仕事の手伝いはちょろっとしたし、講習会も1度だけやったが、表面を撫でるだけだった。
だけど、今後はがっつり研究開発をしていきたい。
フィリピン、タイ、ベトナムの海外旅行も行きたいと思いながら、お金と嫁さんに気を使っていけなかったが行く。
あとSNSと自己表現を必ずやる。
僕はかなりの目立ちたがり屋で、人に顔をさらすことは全然問題ない人間だったし、本当は今もそう。
だけどいつしか、人と積極的に接することもしなくなり、目立たないようにと生きるようになってしまった。
他人のせいにするのは本当に嫌な奴だと分かっているんだけど、真面目に分析したときになぜなのか考えると「妻」の存在が大きいと分かった。
HSPで、引っ込み思案で、他人と接するのが苦手なパートナーとこの10年ほとんどずっと一緒にいる。その影響はとても大きいと感じている。
お互い経営者で、家で仕事し、職場も一緒、ご飯も、旅行も、何もかもずっと一緒にピッタリとくっついてきた。
なんなら24時間、数日ずぅぅーーーーっと一緒にいることも時々ある。
なので僕の性格も大きく変わったと感じている。
目立つことが嫌いな彼女は、僕が変なことをすると、苦情を申し立てる。
例えば旅行に行って、ルンルンで楽しんで、歌ったり、踊ったり、目立つことをすると「ちょっとやめて」と言われる。
また、例えば隣人との付き合いも制限されることがある。
HSP気質なので、隣人とのトラブルも絶対に避けたい彼女。
反面人と接するのは好きで、隣人とも良い関係でいたい自分。
この性格の違いで、ぶつかることが多い。
確かに、お隣さんは嫌な人だし、僕も非常識なことをして隣人に迷惑をかけて、そのクレームが妻に行くという、彼女からしたら納得のいかないこともあるのもわかる。
だから、彼女は隣人と話したくもないし、仲良くもしたくない。
けれども僕はいつも通り、仲良く普通におしゃべりしていたんだけど、ある時に彼女に「あなたが隣人に愛想よくされると困る」と言われた。
彼女の苦労もわからないでもないが、僕の立場からすれば「他人との関わり方を制限される」という葛藤に苦しむことになる。
最後に、SNSについても釘を刺されたことがある。
「私の顔や家族の顔を出さないでほしい」ということは言いたいことはよくわかるので納得した。
けれども、どこかの会話で「あなたの存在から、家族や私が特定されることだってある」と言われたこともあった。
このことも、納得できないわけでは全然ないが、そうなると結局、自分は自分の身を明かして何も表現も、発言もできなくなるなと感じた。
以上のように、妻との関係で、僕の性格が大きく変化したことを感じている。
彼女を悪いように書いてしまっているが、彼女は、友達と遊ぶことも、一人でドライブに行くことも、一人の時間を持つことにも何も言わないし、ADHDの僕を認め、自由にさせてくれている。
けれども、その性質の違いから、図らずとも僕自身の心に「根暗で、人と関わらないようにしないと」という思いが湧いている。
結婚して、主婦らしいことをしたい彼女は、夕食の有無や1日の行動を聞くようになって、さらに僕は縛られる感覚を感じている。
僕があまりにも自由過ぎるし、放っておくと糸の切れた凧のようになってしまうことの懸念があるのも理解できるが、彼女とのあまりにも密接な生活で、この13年一緒にいて変わってしまったと感じている。
この問題は根深いと思う。
13年一緒にいることで安定していた互いの生活や付き合い方のバランスを崩しかねないから。
だけど、僕は今のこの「人と関わらない」「目立たないこと」という状態をずっと我慢してきた。
そして今はもう我慢ならなくなったんだと思う。
そういう意味でも、今は節目で、新しい自分になっていきたいし、ならなきゃいけないと強く思っている。
それには、どうしたら彼女も心地よく、納得できるか、話し合う必要もある。
話し合うと結局、どこかで、お互い我慢しなくてはないけないから、嫌なんだけど、もう変わる時だと思っている。
以上、やりたいことを早くやるということ。
楽しく、面白いとは
前述のことにつながる。
彼女に縛られすぎないことは、自分らしく生きることを取り戻すのに、意義があると思っている。
また、彼女だけでなく、過去の出来事とも決別する必要がある。
なんで明るく、楽しく生きられなくなったんだろうか。
今一度振り返り、自分の人生からそれらを切り話していく。
そもそもの話なんだが「明るい」って何か、「楽しい」と「面白い」の違いは何かを考えた。
僕の理想の「明るい」って「天真爛漫」という言葉がぴったりくる。
さらに突っ込んだ話をすると「分け隔てなく人と接する明るさ」なんだ。
ニコニコすることは得意だけど、僕は分け隔てなく人と接する天真爛漫さを失ったと思っている。
それは大人になるうえで仕方ないのもわかっている。
なぜなら世の中には変な人もいるし、自分の身は一つだから誰とでも付き合っていると時間がなくなるし、一番は”打算”というものだと思う。
打算ってあまり好きじゃないんだけど、大人になるとどうしても損得勘定が出てくる。
僕も何度も「変わりたい」と思って、愚痴ばかりの友人と距離を置いたことがあった。人からエネルギーを奪う種類の人間がいることも知って離れた。
そうしなければ、自分がダメになってしまうから。
大人になるうえで打算って大事なんだ。
だけど、この”打算”で”分け隔てなく人と接する”ことを捨ててきたと思う。
また嫁との話になってしまうんだけど、昔以下のような喧嘩をしたことがある。
https://note.com/shinpeiblognote/n/n82468b000e7d
要点を書くと、善意で何でもかんでも打算なく頭を突っ込んで、彼女と喧嘩したって話。
僕は生来こういう人間だったけれど、こういうエピソードの一つ一つがあって、いつしか他人とは関わらないようになったと感じる。
正義や善意よりも先に”打算”がまず頭をよぎるようになった。
僕はそんな自分が好きじゃない。
自分が損したって、困っている人に手を差し伸べられる自分でいたいと願っている。
僕の目指す「明るい自分」ってそういう自分なんだ。
「楽しい」と「面白い」の違い
僕の考える「面白い」には二つ種類があって、一つ目は「笑える」ってこと。
お笑い、コントでのやり取りに「笑える」ってシンプルな面白い。
二つ目は「興味関心と困難」の面白い。
「この仕事面白いなぁ」っていうけど、その「面白い」は笑える、という意味ではない。
興味深く、関心があって、さらに困難があることは「面白い」ことが多い。
なぜ困難は面白いのかというと、挑戦や達成感、達成後の自己肯定感、知的好奇心、課題解決中の満足感等々が要因に挙げられる。
このように、面白いと一口にいっても「笑える面白さ」と「興味関心困難の面白さ」がある。
僕はどう面白くありたいかと考えると、両方の面白いがほしいんだなと分かった。
楽しい=上機嫌
楽しいってなんだろうと考えると「自分の機嫌が良いこと」だとまとまった。
上機嫌でいられる状態が楽しいってことなんだ。
友達といると楽しい、彼女と旅行に行くと楽しい、それはおいしいもの食べたり、不安がなくなったり、きれいなものを見たり、色々ある。
でも、結局楽しいってのは、色々なことのおかげで「機嫌が良い」ってことなんだなと考えた。
「仕事は楽しいですか?」って聞かれたら複雑な気持ちになるのは自分だけだろうか。
なぜかと考えると、機嫌が悪くなる出来事もあるし、機嫌が良くなる出来事もあるからなのかなと。
でも、どんな出来事も本当は良い面がある。
良い面を見ていると機嫌も良くなる。
人間は8割不安を思う生き物だから、良い面を見て僕は機嫌よくいるくらいがちょうど良いと思っている。
おかしい
普通の人からすると、言葉は良くないが「頭おかしいんじゃないか」って言われることを、僕は多々してしまう。
例えば、先日、彼女とドライブに行って空港が近いってだけで
「北海道行こうか」って思い立って、3日間北海道旅行に行ってきた。
「彼女は準備も何もしてないのに」って言ってた。
でも結局行って、とても楽しんで、二人とも満足してこっちに帰ってきた。
僕は非常識、おかしい、って言われるけど、それで良いって本当は思っている。
普通のことしてたら普通のことしか起きないから。
人生って一度しかないもん。
当然、法律やルールや他人の迷惑にならないことなのは、言うまでもないんだけど、法律を守るなら、どんな非常識も僕は良いと思う。
そういう「おかしい」人生でいたいっていつも思っている。
以上、自分らしく、明るく、楽しく、面白おかしくについて。
もっと本当は書きたい。書きなぐりたい。
2.シンプルに生きるために
これも前回のnoteに書いたが、具体的にはというと「捨てる」に尽きると思う。
ADHDでマキシマリストの自分だけど、今まで十分にモノもコトも捨ててきた方だ。そのおかげで、今は精神も生活も安定している。
でも、もう一段階さらに、捨てていく。
モノは「いつか使うかも」と残してきたものがまだあるが、結局使わなかった。
どうでも良いことだけど、例えばSDカード、モバイルルータ、昔のスマホ、ポイントカード、使わない銀行カード、パソコン、ケーブル類、モバイルバッテリー、スキャンでOKの名刺、ジャケット、等々。
これでもまだ捨ててきた方だけど、使わないで存在し続けているものを捨てる。
コトについては「仕事」だ。
あまりにも多くの商品があって、できること、興味のある仕事をどんどん増やしてきた。
しかし、やらないことはもうやらない。
モノと同じように今やっていない、今後やるつもりのないワクワクしないことはやめる。
今後、僕はいつかキャンピングカーで日本中を回りたいと考えている。
もちろんお金もしっかり稼ぎたい。
利率の低い仕事や、場所に制限される仕事は辞めていかないと、それができない。
自身の変わっていきたいことに合わせて、仕事の取組みも捨てるべきものは捨てていく。
3.忙しくならないために
ADHDなのでとにかく集中力がない。
あっちこっちやっているうちに、仕事が溜まって忙しくなるの繰り返し。
それをやめる。
集中力がないので、家、職場、カフェといろんなところに行かないと、仕事が進まない。
外に行くと金を使うので、家での仕事環境はより良くしたい。
Xiaomiの27インチのモニターを2台買う。
とにかく、1mmずつでも仕事を毎日集中してやること。
あと、頭がごちゃつくと、仕事できないのでnoteとか、ほんと読む人に申し訳ないけど、ちゃんと書きだして、頭を整理すること。
忙しい、忙しいって、みんなも僕も言うけど、本当はそんなことなくて、TikTok見たり、遊んだり、グダグダしたり、必要のないことしてるわけ。
ADHDは特に先延ばしにしやすいし、用事作り過ぎて忙しいのはある。
だけど、今後忙しくなって、心を亡くすのはもうウンザリなのよ。
妻も自分もしっかり幸せにしてあげたい。
だから、やるべきことはちゃんとやろうね。
三つ目は借金返済
先日CICに問い合わせた。
昔作った借金をほとんど完済して、残り1社分割なので10万円残っててまだ返してないけど、ほぼ公的な借金を返済できた。
兄姉にもお世話になったことがあったんだけど、すべてきれいになった。
まだ完済とはいかないが、先の見えない辛い時期は乗り越えて、ほぼ返済できた。
病気と同じように、結構長い間、お金のことで苦しんだ。
「楽しい人生」とか「機嫌よくいましょう」「幸せになりましょう」って言われるけどハッキリ言ってね、病気、金、人間関係で深い問題を抱えている人間に「上機嫌でいましょう」「幸せに前向きに」って無理なんだよ。
少しずつでも、その課題、問題を解決していくしかない。
毒親に、毎日、文句言われながら「幸せになりましょう」「前向きになりましょう」って言ったってなれない。
「どうしたらこの人と離れられるか」って考えて、少しずつその計画を実行していくしかない。
借金も、ドカンと儲けて、いつか返すって甘いこと考えるけど、ほぼ無理。
働いて働いて、返していくしかないの。
病気も、運動したり、自然に触れたり、人と会話したり、医療にお世話になったり、色々できることってある。
やれることは全部やるしかない。
全部試して、継続して、治していくしかない。
以上。
おわりに
自分にとってこの6月、大きな節目があったように思う。
変わっていきたい。
でも変わるためには行動しないと変われない。
今度やるじゃなくて、今からやらないといけない。
がんばろう。
ほかにもたくさん書きたいことがいっぱいいっぱいある。
また書く。