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「教養とは、人を許すためにある」

以前、小山薫堂さんの本で、この言葉が書かれていました。なんて素敵な言葉なんだろうと。


ちなみに、元は石田純一氏の言葉だそうです。
発信元はちょっとだけ面白いのですが。



でもまさにその通りだと思います。


教養や知識、もっと言うと想像力みたいなものがあれば、人を許したり、優しくしたりできる。


SNSの炎上も、誹謗中傷も、あまりにも他者への不寛容から生まれています。


教養(想像力)があれば、羽生結弦氏の家族に誹謗中傷をしたりする発想は生まれないと思うわけです。



「教養とは、人を許すためにある」

石田純一氏、良いこと言うなあ。

「許す」ってところが良いです。
「人に優しくするため」でも「人を救うため」でも良いですが、そこは「許す」が優しくて寛容的、どこかチャーミングです。そして意外とハードルが高いです。


人は間違ったり道を踏み外したりすることも前提で、それを許す。

「許す」って究極の優しさだなと。


ちなみに有名な話かもですが、日本の教育では「人に迷惑をかけないように」と教え、インドの教育では「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそうです。


後者のほうが寛容的で優しくて、なおかつ実は難しい。


インドに行ってみたい。

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