好きな小説があるということ


好きな作家がいる。というのは、もしかしたらすごく贅沢な幸せなのではないか。と思う。

退屈な時間と虚無と引き換えに、その物語の世界へ行く切符をもらう。小説を買うという行為はそのようなもののように感じる。

家事業は大変なようであって、意外と時間を見つけようとすればみつかり、何をしても悪い意味で時間が余ったりする。
人間は退屈が一番苦痛。
大学時代心理学校の授業で声の小さなおじいちゃん先生が、あるアニメのセリフとともにそのことについてお話しされていた。キャラのセリフは、芝生のところで寝転がりながら
「退屈が一番苦痛じゃ〜」みたいなふうに言っていた気がする。
そう、なにもすることのない時間というのは、大人になってからわかったことだか、結構苦痛だ。

小説はそんな時間と引き換えに文章から情景やその物語の香りを嗅ぎながら、別の人間の人生
、思考に入ることができる。覗き見することができるのである。
もちろん小説でなくても漫画、アニメ、YouTube、ゲームでも暇を潰せることはできる。
それに小説は文字しかないから、よっぽど自分に合った作品に出会わなければ、敷居の高い、入りずらいもののように思う。

だからこそ、好きな作家がいる、というのは、
とんでもなく贅沢な幸せのように思う。

やはり、小説は小説ならではの楽しみ方がある。映像、音もないからこその楽しみ方がある。

特に小説で好きなところは、文字から伝わる物語の登場人物の色気を感じることだ。
小説は他のジャンルに比べて、人の思考が多く入り込まれているように思う。登場人物、主人公の思考に触れる。哲学に学ぶことの悦びは何にでも変え難い。

退屈からの苦痛からの解放、そして甘美な世界へ誘ってくれる小説。
私は、未知なる世界へ連れてってくれる小説を、常に持ち歩いていたいものだ。

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