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泥だんごーその起源と信仰ー


・なぜ我々は泥だんごを作ってしまうのか

こんばんは、初めまして。しのざきゆうと申します。

皆さんは泥だんごを作った事がありますか? 無い、という方はよほど鬱屈とした幼少期をお過ごしだったようですね。

多くの方が、玉のような幼稚園児、保育園児、または小学生低学年の頃にきっと夢中になって作ったであろう、泥だんご。何も怖くなかったあの頃、衣服が汚れるのも厭わず、のちに服を汚したことについて母に文句を言われることなど気にもせずに、何かに取り憑かれたようにせっせとこしらえていた方もいらっしゃるのでは無いでしょうか。

最近は「ピカピカになる泥団子セット」なんかも販売されているようで、人類がいかに泥だんごに魅了されているかがわかります。

しかし、なぜ私たちはこうも泥だんごを作ることに躍起になってしまうのか、考えたことはありますか?誰に命じられたわけでも無いのに、なぜか完璧なる球を生み出そうとしてしまう、挙げ句の果てには表面を磨き上げ、単なる遊びの一環を超えた芸術品にまで昇華せようとする始末。泥だんごを作る文化のない生命体が見たら、ただの泥を完璧な球に仕立て上げようとする我々人類の様子にえも言われぬ不気味さを感じ取るのではないでしょうか。

さて、そこで私はふと考えました。

誰に言われたわけでもないのに泥を球にしてしまう行為そのものは、我々人類の歴史に根付いたもの、いわば長い年月で積み上げてきた一種の普遍的な共通文化なのではないか。ならば我々人類はいつ、どのようにして泥だんごを生み出したのか。

途方もなく壮大なテーマとなりましたが、今回はこのテーマについて考察していきたいと思います。


・泥だんごと太陽信仰

古代エジプトの信仰において、その頂点に「太陽神ラー」が君臨し、最も偉大なる神として崇められてきたように、また我が国日本における宗教、神道でも高天原を統べ、天皇家の氏神でも知られる「天照大神」が太陽の神として多くの日本人から信仰されているように…

宗教、特に多神教において「太陽」が重要なファクターとして位置付けられているのは周知の通りでしょう。もちろんエジプトや日本だけが例ではありません。

我々人類にとって、交流の有無に関わらず「太陽」を最も重要なものとして信仰していたという関連性は、農耕が文明の礎を作ったという歴史のあり方から容易に想像できることですが、もう一つ関連していることがあります。

そう、それは太陽神を表す姿です。

皆さんは、単純な太陽を描くときは何から描きますか?多くの方は円を先に描くと思います。違う、という方はドラえもんを絵描き歌に沿って描こうとしない偏屈な幼少期を過ごされたようですね。

各地域の太陽神を振り返ると、エジプトの「太陽神ラー」の多くは、ハヤブサの頭に太陽を模した円をのせた肖像を描かれる事が多く、「天照大神」も太陽を模した円状の装飾がある冠をつけた女性の姿で描かれる事が多いです。

また、インカ神話の太陽神「インティ」は太陽そのものの形に人の顔があり、円を中心に炎のような装飾を持つ姿か、または円状のものを手に持った状態で描かれる事が多いようです。他の宗教においても、多少の例外はあるものの「円」は太陽を表す重要な記号として人類における共通認識であることが考察できます。

さて、ここで話を泥だんごに戻しましょう。聡明かつユーモアに溢れた読者さまにはもうお察しでしょうが、

私は、泥だんごの起源を「太陽崇拝」によるものであり、泥だんごこそ太陽崇拝の起源であると仮定したいのです。

・「球体」と神

さて、太陽と円の関連性についてのべたところで、泥だんごとどう結びつくのか考えていきましょう。

農耕の発展が文明を築いたとされる古代において、遥か高くの空に燦然と輝き、自分たちを暖め生物を育てる大いなる太陽に人々は特別な信仰を抱いたと考えられます。しかし、当初から前述のような人の形や顔をした神のすがたを崇拝したでしょうか?

否、当初は「太陽そのもの」を崇拝したのではないかと考えます。

日中は燦然といっぱいに輝く太陽に向かって、日々の恵みに対する感謝と豊作を祈ったでしょう。

しかし、太陽は夜になるともちろん隠れてしまい、途方もなく広がる漆黒と毎晩少しづつ姿を変える静かで不気味な月が空を覆います。辺りは一面の闇です。

そんな不安で寂しい夜の環境で、いつでもあの明るい太陽に見守られたい、そばにいて欲しい、そのような思いで作られたのが、太陽のようにどこから見ても円にみえる、「泥だんご」なのではないか。そう考えることはできないでしょうか。

毎日空に上り、煌々と照らす太陽を模した形を、農耕において最も触れることが多い土によって作り出し、手元に置いて崇拝する。ただの円を土に描くのみではいずれ消えてしまいます。最も残る形であり、どの角度からも普遍的に太陽の象徴である「円」となる球体。それが、現代の私たちが作る「泥だんご」だったのではないかと考えます。

球を神とするという点に関して、関連するかはさておき、日本を代表する哲学の学派である京都学派の創始者、西田幾多郎はこう述べます。

  「パスカルは神を周辺なくして到る所に中心を有つ無限大の球・・・ に喩へて居るが、絶対無の自覚的限定といふのは周辺なくして到る所が中心となる無限大の円と考へることができる」

・・・何を言っているのかさっぱり分かりませんが、とにかく西田はパスカルの「神は無限大の球」であるという議論に大して、「じゃあ『垂直の〈無〉が瞬間的に水平の自分から逃れ、自分の位相を定められない状況』を円とみようか」と言ってるわけです、よく分かりませんのでこれはなかった事にします。

私が言いたいのは、球に神を見出すことがあるのならば、同じく球である泥だんごも神と見出せるのではないか、ということです。パスカルを学んで出直してきます。

・まとめ

さて、収拾がつかなくなる前にまとめますと、私たちの作るあの泥だんごはただの泥遊びの産物などではなく、古代における太陽崇拝で生まれた「神」そのものを模した姿であり、信仰の対象であったのではないか、と言いたいのです。

この仮説は立証するのは非常に困難であると考えられます。なぜなら、泥だんごに関する学術的研究は乏しく、所詮は泥なので考古学的発掘も皆無であり、起源を辿るのは不可能に近いからです。しかし、それは私の仮説を覆すことも難しいという事になります。

かつて無垢であった自分が一生懸命作っていた泥だんごは、実は太陽に想いを馳せた人々の信仰の最初の形であり、また命を繋ごうと苦心し必死に生きてきた先祖たちの希望・思いの塊でもあると思うと、あの頃の我々が誰に命じられたわけでもなく太陽の下の砂場で一心不乱に作り続けていた理由が見出せるのではないでしょうか。








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