写真から見えるもの。
写真練習家兼フォトパティシエの篠山です📷
人形町の秘密基地で暮らしています🏢
先日、映画「きみの瞳が問いかけている」を拝見しました💡
事故の後遺症で目が殆ど見えない主人公と、偶然出会った元キックボクサーの純愛物語。
主人公 明香里役の #吉高由里子 さんの表情や動き、個人的に好みです👍
私はよく モデルさんは容姿ではなく動きを見ている と言っていますが、作家目線では どうしてもそうなってしまいます💦
そういえば、例えば 元(?)お天気キャスターの #貴島明日香 さん。
彼女が普通に(?)仕事をされていた頃は特に興味は無かった(むしろ美人過ぎて苦手だった)のですが、最近 #YouTube で素の表情や動きを見て すごく素敵な人だなと思うようになりました笑
話は戻って 映画「きみの瞳が問いかけている」。
この作品の監督は「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の #三木孝浩 さん。
毎度毎度 涙腺を攻撃されてしまい 困ったものです💦
他の人が撮られた写真、または展示をみたとき、どういった事を感じるだろうか。
私は想像力が乏しいため💦
ストレートに、その写真や展示が表現しようとしている物事(があるなら それ)を読み取ることができれば御の字で笑
多くの場合、構図がいいなぁ とか、色味が好みだなぁ とか、その程度の感想しか出てこなかったりする💧
もちろん、その作家さんの画の傾向や 構成の意図 等、見た目で分かることは掴むことができる。
何なら そういったものであれば、多くの人より敏感に感じ取ることができるかもしれない。
表現しようとしている物事は分からないのに 画や構成についてだけ余計なつっこみを入れたり笑、ウザい客である💦
実は最近、他の作家さんから頂戴した 私の写真や展示に対する感想(?)で ちょっと驚くことが続いた。
それで冒頭のようなことを書いたのだが、、
今回は その ちょっと驚いた感想 について考察してみたいと思う。
「篠山の写真は先が見たくなるところが好きだ」
先が見たくなる?
??
それを言われた時は酔っていたので笑 さらっと流してしまい💦
詳しく意味を聞くことはしなかった。
しかし、こうやって後から考察しようと思うほどに 強烈に心に刺さった言葉だったのだ。
先が見たくなる。
それは写真や展示に未完成感があるという意味だろうか?💦
まあ、常に自分の中では満足できないまま続けているし、満足するほど努力しようとも思わないし←
粗削りな、あるいは独学特有の、未完成感はあるかと思う。
それが好きだと言うのであれば、安心して欲しい。
ずっと完成しないので笑。
少し言い方を変えれば、決定打を受けることなく ゆらゆらとノーガードで立つ続けている感じ?(意味不明)
少し真面目に考えてみた(←)のだが、画的なところで 2点 その理由?原因?となりそうなものがある。
それは、
青に寄せた現像(低い色温度指定での現像)
意図的に加える周辺減光
である。
色味によって 非現実な物語感を演出し、周辺減光によって 被写体をシーンに閉じ込め、その外に広がる空間を想像させる。
無意識のまま術中にはまっているのである←。なんて。
本当の意味は本人に確認してみないと分からないが、おそらく、全体としての未完成感と画の傾向が原因で そのような錯覚(←)を引き起こしているのであろう。
最近 #KER (Kevin's English Room) という人気コンテンツを楽しんでいます。彼らは面白いですねえ。
英語を題材とした Podcast もやられているのですが、英語学習には全く役に立たず(ということは無いのだろうけど)、ただただ面白い。
個人的に、「君の隣に居れなかった今宵」というやつがツボです。
🏺
2つ目にいってみましょう。
「写真から、地頭が良いのが分かる」
写真を見て 地頭の良し悪しが分かる??
どういう意味??
これを言われた時に 直感的に感じたのは、努力することなく感覚的に(ありものの頭だけで)写真を撮ったり まとめたり している点を指しているのか? ということ。
もしそうだとしたら、全くもってその通りで💦
自分は何というか、、あらゆる事象において それらに特化した努力は一切せず、全ての物事共通のセオリーというか公式というか そういうものを感覚的に実行しているだけだったりする。
例えば 写真の構図においては 黄金比と呼ばれる法則というか、構図を安定させるためのメソッドがあると思うが、自分はそれを特に意識することなく 自分の目でリアルタイムに判断して調整している(気がする)。
そのこと自体は もしかすると地頭が良い…と言えるのかもしれないが、写真を見て分かることではないように思う。
写真集制作のように 何か大きなものを構成しようとする時は さすがに感覚的に実行するだけではできない。
人に聞くと どうやら自分は とんでもない作業をこなしていると思われるらしいのだが、それもただ 論理的に必要なことを割り出して 淡々と実行しているだけだったりする。
理系なのでロジックで突き進んでいるに過ぎず、それがたまたま写真という分野と相性が良い(?)というだけのことなのだろうと想像する。
実はこちらの件については 感想(?)を戴いた本人から意味を伺っている。
それを読解してみよう。
曰く、
なるほど。
つまり、努力やテクニックよりも その人の素の思考や視点が大きく影響するから、地頭が良ければ(?)それだけ良いアウトプットが出せる(ように見える)、と言われているのであろう。
曰く、
個人的には、人の写真を拝見して そこまで考える(感じる)ことはなく、、
この方の特殊な能力のように思う笑。
その写真や展示の外側に広がる何かは自分には見えないし、ましてや作家のパーソナリティなど そこまで読み取ることは全くできない。
もちろん 二コパチ写真のオンパレードだったりすれば、それは浅はかとしか思えない💦
ともあれ、自分が判断できるとすれば その程度のことである。
少し考察してみた。
…しかし どう考えてみても、写真そのものに思考や視点が反映されるとは思えない💦
ただ、その周辺であれば可能性はある。
例えば自分は写真を撮ったり構成したりする時に、頭の中で連想ゲームをすることがある。
というか多くの場合 している笑
最初に何か 1つテーマ、あるいはキーワード、のようなものを決めて、そこから連想される物事をどんどん出していって、それをストーリーや撮影自体に反映させていくのだ。
何を言っているのか分からないが笑、そんなことをしている。
ただ、、それは到底 頭が良いと思わせることではないであろう💦
いずれにせよ、自分の直感的な解釈は ある程度的を得ていたのではないだろうか。
写真を撮る、あるいは展示を行う際に その骨格を決めるわけだが、それが深く しっかりしたものであればあるほど 撮影自体、展示自体、写真集制作自体 は明確なもの(簡単なもの)になっていくであろう。
自分も、それができれば都合が良いと考える。
しかし残念ながら、自分は そこが感覚的であり…。
賢さや深みを感じられるような代物ではないハズなのである。
感覚的にこなしていること自体には一定の能力を感じなくもないが、写真からは判断できないことのハズなのである。
同じようなことを繰り返し書いているような気もするが、それが自分の見解である。
写真や展示を見て 地頭の良し悪しなど分からん!笑
以上、最近頂戴した 2つの少し驚いた感想(?)について掘り下げてみました。
皆さんは 写真や展示から何を読み取ろうとされているでしょうか。
あるいは 何が読み取れるでしょうか。
私も今回の感想(?)を戴いて、もしかすると少し写真や展示を見る目が変わるかもしれません。
ただ 見る目が変わったとしても、読み取れるものは変わらないかもしれません←。
修業はまだまだ続きそうです。
私は永遠の写真練習家。
#対戦ありがとうございました (?)
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