ポートレート写真って。
こんにちは、写真練習家のきっちん篠山です📷
#人形町 に滞在しています🏩
昨年の終わり頃、 #ポートレート写真 について少し書きました:
この記事で、
みたいな事を言っていたかと思います。多分。
それで 3年振りくらいで撮影会に参加してみたりしています。
撮影会じゃなくても普通にポートレート撮影はできる(逆に撮影会でもポートレート写真っぽくなく撮れる)じゃないかと言われそうですが、、
前に書いた通り、制限のある環境と時間の中で撮ることで 訓練になると考えているためです💡
ポートレート撮影は、
アドリブで工夫を施し
短時間でシーンを見極め
良い表情を引き出す
そして確実に切り取る
といったことが重要、それらができることがベースにあるべき、と思っています。
だから訓練なのです。
それで今のところどうなのかと言われると、よく分かりません笑
自分の熱量の問題なのかも、と思ったり思わなかったり。
ラジバンダリ。
繰り返しになりますが、
というのにはいくつか理由(意味)があります。
1つはポートレート写真の定義に基くものです。
と自分の中では定義しているので、あまりそういう感覚で撮ることのない自分の写真は違うな、と。
そして2つ目が、多くの場合事前に用意したテーマやシーン、ストーリーに基いて撮影を行っている点。
もちろん被写体(モデル)に合ったものを用意して撮影に臨むわけですが、それで被写体(モデル)が主体かと言うとちょっと違う気がするのです。
8割がた私が創作したものが主体になっているはずです。
そして関連して3つ目、それはやはりいつも言う、撮り手と被写体(モデル)の関係性です。
関係性の感じられない写真は ただの(?)ファッション写真やアート写真だと思っていて、あいえ、ただの、は言い過ぎでした笑
それをポートレート写真とは呼びたくないのです。
一方で、いかにもな写真、いわゆる「モデル好き好き写真」みたいなのもNGです笑
リアルな関係性があってのそれならOKですし、きっとそれは「モデル好き好き写真」には見えないでしょう。
リアルな関係性に基いて撮られた写真は全ての人の心を掴みます。
どなたかが賞を獲られたアレは、そんな風に見えますよね笑
さて、ポートレート写真の勉強ということで、ここ数週間でいくつかのポートレート系の写真展を拝見させて頂きました💡
普段であれば純粋に、「写真」という目線で拝見するのですが、今は加えて「ポートレート写真」という目線でも拝見しています。
ただ、烏滸がましくも篠山的に気に入った写真(展示)を書かせて頂いたりもしていますが、あれは純粋な「写真」としての評価です笑
それで、いわゆるポートレート系の写真展を拝見させて頂いて感じたのが、自分もこう撮りたいなと思わせられるものが ほぼ無かったこと。
私は比較的公平に評価しますので、気に入った(高く評価した)写真が必ずしも自分も撮りたい方向と一致するわけではありません💦
つまり、ポートレート系の写真展でありながら、篠山的にポートレート写真だと思える写真がほとんど無かった💦、あるいは そう思えても、ちょっとこれは高く評価できない💦💦(←)というものがほとんどだった、ということになります。
うーん、なんかすいません。
分析します。
篠山の考えるポートレート写真とは ひと言でいうと「関係性が見えるもの」ですが、そう見えても高く評価できないのは何故か。
まず、多くの場合被写体(モデル)は各自の好みで選ぶと思います。
そして、多くの場合ある程度恋をします←
「ガチ恋」レベルにはいかないまでも。
そうなった時に、特にまだポートレート撮影を始めたばかりの人は被写体(モデル)を「画的に」主体にして撮りがちです。
いわゆる「モデル好き好き写真」はそれに当たるわけですが、残念ながら高く評価することはできません。
そもそも、関係性が見えるといっても 撮り手からの一方的な好意しか見えないものだとしたら それに共感できるのはファンだけです💦
被写体(モデル)の技量が激しく高く、関係性が一方的に見えない(レベルで演技ができる)とすればどうか。
篠山の目指すところはおそらくそこにあって、そして画的にも被写体(モデル)主体でないものでしょう。
シーンやストーリー全体において被写体(モデル)を主体として捉え、関係性を描くもの。
そんなものが創れたらいいな、と思っています。
本当は、いつも言っている通りリアルな関係性を(少し誇張して)記録できればよいのですけどね。
うーん、誰か養子になりませんか(うそ)。
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