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母としての私に通称を使う場はない

戸籍姓=古関 Koseki、通称(出生姓)=有稀 Umare を選択した私の話。

私はお母さんになったのですが、娘の名は「古関ひなこ」となりました。
そして古関ひなちゃんのお母さんは、、「古関さん」です。
そうですね、論理的ですね。

保育園、習い事、公共手続き、産院病院等々、、子どもの人生が始まり子どもの世界が広がるわけですが、同時に母親である私の世界も広がっていきます。子どもを介しての新しい世界。先生、友達(いわゆるママ友)、いろいろな知り合いがたくさんできました。
その方々にとって私は、「ひなちゃんのお母さん=古関さん」です。

「古関さん」として私をラベル付けし、「古関さん」はこんな人と私を理解していく人たちがどんどん増えていきます。
他者から見ての「古関紫野」がどんどん出来上がっていきました。

一方でわたし自身。
「古関さ~ん」と病院でも学校でも、そしてママ友からも呼ばれ続けるに加え、子どもに関する様々な書類、申込書や手続きやの何やかんや、、全てもちろん「保護者、母:古関紫野」と記入です。
自分の中にできあがっていく母、それは古関紫野として出来上がっていきました。

そこに、有稀紫野が介入する余地は一切ありませんでした。

たしかに、保育園の先生にもママ友にも「私は古関ひなこの母だけど、私自身のことは有稀Umareさんって呼んでください」と言って回ればよかったのかもしれません。

って・・・いやいやいや、それめっちゃ迷惑ですよね(笑)、混乱させますよね?、えーなんで?って感じですよね。
まだ、なんで?って聞いてくれれば説明の余地もありますが、子どもと母親の姓が違うと聞けば普通、離婚したのね、って思いますよね?

子どもにまで影響がおよぶ誤解リスクとめんどくささを乗り越えてまで、この状況で通称を使おうという気力は私にはありませんでした。
いやこれは気力の問題ではないな、どう考えても現実的ではない。
さらにどうも自分自身だけの問題ではなくなってきた。

母としての私は「古関。ほぼ24時間,母としての時間が過ぎていく間に古関(戸籍姓)としての私が大きくなっていきました。

※育休中の通称アイデンティティ度 0%

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