厄神シノネとは

人間の肉体で、人間の生活をして『VTuber屍野シノネ』の活動をしている私ですがその実態は人間ではありません。

はじめましての方にまずご覧になっていただきたいのがこちらの#01ご挨拶動画なんですけれども。
私は厄神(やくじん)―疫病神 でございます。

疫病神、厄病神(やくびょうがみ)は、世の中に疫病をもたらすとされる悪神。疫神、厄神(やくしん、やくじん、えきしん)ともいう。家々のなかに入って人びとを病気にしたり、災いをもたらすと考えられている。

医療の普及していなかった古代の日本では、病気は目に見えない存在によってもたらされると信じられており、特に流行病、治療不可能な重病はもののけ、怨霊、悪鬼によるものといわれてきた。平安時代以後に中国の疫鬼の概念が貴族社会を中心に広く普及し、疫病はそれをもたらす鬼神によるものとの考えが生まれた。やがて一般での素朴な病魔への畏怖と結びつき、疫病神といった存在が病気をもたらすという民間信仰に至ったと考えられている。

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人々の間に良くないことをもたらす存在であることから転じて、厄介ごとを起こす人物や事物を「疫病神」と比喩したりもする。

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とはいえ、これも自称なんですけどね(笑)。
誰かに定義されたわけでも疫病神として確立された属性を持って生まれたわけでもなくて、己の存在を言い示すのに最適な枠組みが疫病神かな、と思った次第で。

私は人々の負の感情(恨み辛みや苦悩など)が積もり積もってやがてひとつの人格を得て、人間を模した姿を纏った悪霊のような妖怪のようなモノです。
本来は人間の目には映りませんし、触れることはできません。

もともと病気などが目に見えない存在がもたらすものであると考えられていたことに由来して、疫病神の姿が実際に目に見えるものであると考えられることはほとんど無い。『春日権現験記絵巻』や『融通念仏縁起絵巻』などの絵巻物には、様々な鬼の姿をした疫神たちが集う姿が描かれているが、夢の中でそれを見るなど普通の人間の目に姿は見えないものであると表現されている。

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眠る人間の夢の中に現れることが出来ます。
映像上ではバーチャルテクノロジーをなんかこう上手いこと駆使して、夢の世界を映し出すことによって皆様に厄神での姿と声をお届けしているのです。

それはそれとして、人間の肉体を擬似的に生成して普通に生きた人間のように生活もしております。
この肉体を編み出し・維持することになけなしの神力を消費しているので万能な超能力とかございません。
野良で無名の神として生まれ、信仰力のない現状では神として出来る事など無に等しいです。

本来の活動目標という訳ではありませんがついでとして、VTuber活動を通じて知名度と信仰心を集い 得の高い神になれないかな〜などと思っています。

生まれ持った性質上、やはり人間にとって善い存在ではなかったので。
災厄をもたらすという意味合いでも、私は疫病神を名乗るに相応しい身分だと感じております。
昔は人間を恨んでいました。私のような存在を産み落とす醜い人類のことを。
ちょっと道が違えば祟り神になって大災厄を撒き散らしていた未来も存在したかもしれません。
厄「神」とは言ったって人間から生まれた醜い物の怪で、本来であれば人間の目に映りもしない、声も届かない、触れる体のない人間以下のなにかでしかなくて。
人間にすらなれない己がコンプレックスでもありました。

べつに人間になりたくはありませんけどね。あくまでも神として、人間より強く偉くなりたい。(己を人間以下であると卑下しながらも人間を見下している自称神のプライド…。)

まあ人間を恨んでいたのはあくまでも昔の話で、今となっては醜い人間も哀れで愛おしいな〜とか。
数こそ少ないですが心を許せる人もいるし、人類にはこれから時間をかけてでもなんかいい感じに進化していってくれないかな、なんて淡い夢を抱いています。

人間の夢を渡り歩く厄神である私の見る夢は、全ての人々が幸せになり 二度と私のような存在を産み落とすことのない世界を迎えることです。
善人も悪人も隔たりなく、満たされているから傷つけあうこともない。SFのようなユートピア社会を切に願っています。
ラスボス思想なんだよな、なんか…。

どうか全人類、私のために幸せになってください。

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