「カモメと富士山」19
カズヤの横顔に暮れていく陽が差し、刻まれたしわを際立たせる。サイドボードの上に並ぶ写真立ても、ベールのような夕陽に包まれる。ジョージは、写真に写る有名人についてカズヤを質問攻めにしている。カズヤは相好を崩し、アルバムを見せながら、日系企業の幹部との思い出を語る。私はそれに耳を傾けようと試みながらも、別の方向に思考を流されていく。
富士子とカズヤの愛のかたちは、母の多美子と私の人生にも影を落としている。
多美子は私に話してくれた。母の富士子は、一人娘の多美子を膝に乗せ、周囲のものを指さし、日本語と英語で呼び方を教えた。幼い多美子の手を引いて、生のアメリカ英語を聞ける場所に連れていき、4歳から英会話教室に通わせた。家に帰る道すがら、おまえは他の子と違って英語がよくできるのだから、外交官になるんだよ、日本とアメリカを仲良くさせるんだよと言い聞かせた。
多美子は、英語が好きではなかったが、母が喜ぶ顔を見たくて頑張った。だが、もともと好きではないので、中学・高校の英語の成績は伸びず、母に悲しい顔をさせた。中学・高校を通して陸上部に所属した多美子が、勉強よりも夢中になったのは長距離走だった。高校卒業後は、大学に進むよりも、子供の頃から手伝っていたみかん畑を継ぎたかった。両親にそれを告げると、父の勇次郎は大喜びしたが、母は激怒した。戦死した佳史叔父さんは、学びたくても学べなかった。好きなだけ学べる時代が来たのに、その特権を生かさなくてどうすると譲らなかった。2人は激しく衝突し、多美子は陸上部を辞めさせられた。両親に食べさせてもらっているので従うしかない多美子は、母を笑顔にしたくて受験勉強に力を入れた。だが、叔父と同じ大学に受かるには実力が遠く及ばず、合格したのは東京の無名大学だった。母を落胆させてしまったことで、多美子の心に深い傷ができた。多美子が上京し、物理的距離が開いたことで、母娘の心の距離も開いていった。富士子は多美子に、商社か外務省に入って喜ばせてと励まし続けたが、多美子には重荷でしかなかった。多美子は、陸上部のOBと恋に落ち、3年生の冬に私を身ごもった。その結果、彼と結婚し、2人でみかん畑を継ぐことになった。
再び1つ屋根の下で暮らすことになった富士子と多美子は、互いに歩み寄り、距離を埋めようと試みた。だが、その距離は、富士子の関心が孫の私に移ったことで、さらに開いてしまった。祖母の資質を母より濃厚に受け継いだ私は、祖母が望む通りに人生のコマを進めた。英語が好きになり、アメリカに憧れ、大叔父と同じ大学に合格し、外交官を夢見てアメリカ留学を決めた。祖母の愛情は、私が彼女の望む通りに人生を進めるごとに深まった。もちろん、母も喜んでくれた。だが、母が私に嫉妬めいた複雑な感情を抱いていることは、ふとした言葉や態度から伝わってきた。母の気持ちに気付いた小学生の頃から、私は2人との距離に神経をすり減らしてきた。
女3代のぎくしゃくした関係は、互いに求めるものがずれてしまった故のすれ違いだと思っていた。それが、カズヤと富士子の愛のかたちに端を発しているとわかると、壁紙が塗り変えられるように、記憶が塗り替えられていく。胃の底から、むかむかしたものが入道雲のように湧きあがる。それを炸裂させたい衝動に駆られるが、カズヤに向かってそうするのは間違いだろう。
突き詰めていけば、戦争という大海に行き着くのだ。
大叔父2人は戦死しているが、今まで戦争の爪痕を自分のものとして受け止めることはなく、強い反戦意識を持つこともなかった。だが、カズヤの話を聞いた今ならわかる。戦争は、世界中で多くの家族の運命を狂わせ、その余波は孫世代にまで及んでいる。
「ハニー、どうかした?」
ジョージが、彫像のように表情を失くしている私の肩を抱く。びくりと身をすくめた私に、ジョージのほうが驚いてのけぞってしまう。
「ごめんなさい。いろいろ、考えることがあって……」
私はぬるくなったミネラルウォーターを口に含み、気持ちを立て直す。カズヤに伝わるよう、慎重に言葉を選んで英文を組み立てる。
「カズヤさんのお話を伺い、戦争を防ぐために貢献できる外交官になりたい思いを新たにしました」
ジョージが腑に落ちないと言いたげな表情で尋ねる。
「富士美は外交官が嫌なんじゃなかった?」
「改めて意義を感じたの。英語を克服するモチベーションも高まった」
ジョージはしきりに首を傾げ、さらさらの前髪をかき上げる。
2人と順に目を合わせ、何度もつっかえながらも、思いを英語で伝えようと試みる。
「アメリカに来て、9・11に遭遇して、日系アメリカ人の方々の経験と考えを知る機会になりました。カズヤさんたちが、ヘイトクライムを許さず、憲法上の権利を守る活動を続けていると知り、日本人の私も気付かないうちにその恩恵を受けているとわかりました。アメリカ社会で、日系アメリカ人と日本人の区別がつきにくい状況では、日米関係が悪化すれば日本人もヘイトクライムの標的になり、勉強や研究、ビジネスに支障が出ます。それがわかると、外交官になって、安定した日米関係の構築に貢献したい思いが強まりした。
貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。カズヤさんが話してくださらなければ、祖母のことを理解しきれなかったと思います。多分、祖母も空の上で喜んでいると思います」
カズヤは潤んだ目を拭い、私の奥にある面影を探すように見つめてから、しっかり視線を合わせる。
「あなたに会えてよかった……。アメリカに来てくれてありがとう」
私とカズヤは、それぞれの思惑から見つめ合う。互いに思うことは異なるが、カズヤが話してくれたこと、私がそれを聞いたことには意味があった。カズヤの部屋の風鈴が夕風に揺れ、たなびくような余韻を残していく。頭の中で、祖母のつるしていた風鈴の音が寄り添うように響く。
★
カズヤの家を辞し、サンタモニカのビーチに歩みを進める。海に落ちようとする夕陽が、空と海を焼けるような茜色に染める。カモメが頭上を滑るように進む。夕陽が沈む瞬間を見守る人々が砂浜に集まり始め、私とジョージも砂浜に腰を下ろす。
「祖母の口から、カズヤさんへの思いを匂わせる言葉が出たことは、一度もなかった。でも、思い当たることはあるの。幼稚園の頃、祖母と何度も宇佐美海水浴場にいった。祖母とカズヤさん、佳史さんが満月の夜に散歩した砂浜。幼い私は、寄せては返す波との追いかけっこに夢中になって、それに飽きると砂遊びをした。砂浜に腰を下ろした彼女は、私を見守っていてくれた。ときどき、祖母が、私ではなく、水平線の彼方を見つめているのに気づいた。子供心に、祖母がどこかに行ってしまうようで怖くなって、袖を引っ張った。我に返った祖母は、カモメと一緒に飛べればいいねと微笑んでいた。今思えば、彼女は、青春時代に戻ってカズヤさんに寄り添っていたのかもしれない……」
「そうか……」
ジョージは私の肩を抱き寄せる。
「富士美は、富士子さんと同じ富士山だね。日本に根を下ろした日本人だ。富士山は海の向こうでも、俺の富士山はここにいる」
髪を撫でるジョージの手に口付け、茜色に染まる空を旋回するカモメを見上げる。
「あなたはカモメ?」
「うん。俺はアメリカ人だけど、日本語でも自然に思考できるくらい日本に馴染みたい」
「カズヤさんのときとは違って、あなたは自ら望んでカモメであることを選べるのね。私たちは、カモメと富士山でも一緒にいられる時代に出会えた」
「ハニーの頭脳は俺よりずっと上だな……。俺がここで優位に立てるのは、英語ネイティブで、アメリカで生まれ育ったことだけだ」
「あなた、アリシアが言ったように、私をピュアでシャイ、お人形さんのようなジャパニーズガールだと思ったの? だから、近づいたの?」
ジョージは、気まずそうに、ライトアップされたパシフィックパークに視線を泳がせる。大観覧車がピンク色にライトアップされ、瑠璃色の空に映えている。
「最初はそうだった……」
彼は、むっとした私を宥めるように言い継ぐ。
「一緒にいて思った。富士美の頭脳は、瞬時に物事の本質を把握する。そして、昂然と頭を上げていられる道を選ぶ。俺は仰ぎ見るばかりだ」
「ジョージは、私よりずっと柔軟に物事を考えられる。既成概念にとらわれず、とても創造的。私にはない資質で、救われてるわ」
ジョージは、眼鏡の奥の目でふっと笑う。
「ハニー、俺は来年卒業する。そしたら、帰国する富士美と一緒に日本に行く。俺が日本に行けば、いまの富士美と同じように言葉に苦労するから、対等になれるだろう」
「嬉しいけど、日本に来てしまったら、9・11後の自由を守る活動に関われなくなる。あなたは、日系アメリカ人として、それに関わるべきだと思う。カズヤさんだって、寂しいでしょう」
ジョージは、優しく目を細める。
「今はインターネットがある。日本にいてもメールマガジンを発信したり、資金を集めたり、できることはいくらでもある。富士子さんとみかん畑を守りたかったグランパは、俺が日本に行くと言えば喜ぶよ」
「あなたは、そのことに囚われないんじゃなかったの?」
「俺が日本に行きたいのが一番の理由。グランパのことは後付け。俺たちは俺たちだろう」
祖父母の生まれかわりのようにめぐり逢った私たちは、一生離れないと誓うべきかもしれない。それでも私たちは、義務のように一緒にいることが正しいと思わない。
「そうね。互いが必要とする限り、一緒にいよう」
「そうだな。まず、ビザを取るために仕事を探さないと。いい仕事に就くために、日本語をもっと上達させておかないと。あー、忙しくなりそうだな」
「あなたのルックスなら、日本でファッションモデルができそう」
「マジで? それで名前が売れたら、翻訳家としてデビューするのに有利になるかな?」
「はやくデビューしてね。国外でも翻訳の仕事ができれば、私が海外赴任したとき、一緒に行けるでしょう」