巡礼 5-(2)
「この辺りだと思うけれど……。ああ、あれだ」
ベンは彼の父親たちが作ったという日本庭園跡を探して車を止めた。一世にはガーデナーとして生計を立てていた人が多く、所内にはいくつも日本庭園が造られたという。庭園跡は、人工的に積まれた石や池を掘った痕跡がそれを思わせたが、何も言われずに見ればそうとは気づかない。
都は砂漠の真ん中に日本庭園をつくった一世の思いに近づきたくて、積まれた石にそっと手を触れた。収容所に現れた緑は、日系人の心を和ませたに違いない。都は目を閉じて彼らが作った庭園を思い描いた。
3人は収容所跡を車でまわり、点在する建物の跡を見ていった。そこには、戦後、施設を焼却したときにできたと思われる痕跡も見てとれた。残っている建物の基礎は、半世紀前にここで1万人の同胞が暮らしていたことを確かに伝えていた。
アイリスは病院だった建物の周囲を歩きながら言った。
「収容所では、食堂で食事をしたの。そうなると、自然に若者は若者同士で食べるようになるでしょ。それで、パパを中心に家族で食卓を囲む習慣がなくなってしまったの。家族をつないでいた1つ1つの習慣が壊れることで、パパの権威もほころび始めて、収容所生活で心が荒んだ若者を制御できなくなってしまったの」
「家族の溝を決定的にしてしまったのが忠誠審査だろう。1943年の初めだ」
「忠誠審査?」都は聞きなれない言葉に首を傾げた。
「収容から1年経って、収容所に経費がかかりすぎることが問題になりはじめたのよ。それで戦時転住局は、アメリカに忠誠心を持つ日系人が収容所を出て、西海岸以外に移住することを奨励しはじめたの。それに伴い、出所させてよいものとそうでないものを分別するために、17歳以上を対象にアンケート用紙が配られたの」
「質問には、兵役への意思を問うものもあった。陸軍省は1942年6月に、市民権その他の事情に関わらず、日本人及びその子孫が軍務につくことを受け付けないと発表していたんだ。軍隊にいた日系人は、便所掃除や飯炊きに回されていた。だが、兵役につく人材の不足を受けて方針を変えて、1943年1月に、日系人による連隊規模の部隊を編制すると発表したんだ。こうした含意で行われた審査に含まれた2つの問いが、家族や友人を引き裂いた。あの2問は今でも覚えているよ。
第27問 貴方は合衆国軍隊に入隊し、命ぜられたいかなる戦闘地にも赴き任務を執行する意思がありますか。
第28問 貴方はアメリカ合衆国に対し無条件の忠誠を誓い、内外のいかなる武力による攻撃からも合衆国を忠実に守り、日本国天皇あるいは他の国の政府や権力組織に対し、あらゆる形の忠誠や服従を拒否しますか。
あのせいで、あちこちの家族で言い争いが起こった。一世には酷な質問だったよ。アメリカ国籍がもらえない一世は、28問にイエスと答えれば無国籍になってしまう。この問題に気づいた戦時転住局は、一世への質問を、アメリカの法律を守り、戦争努力を妨害しないかという趣旨の質問に切り替えたんだ。様々な葛藤を抱えながら、家族と暮らすためにイエス、イエスと答えた者、ノー、ノーと答えてツールレイク特別収容所に送られ、日本送還を選んだ者と大きく道が分かれてしまった。
僕はイエス、イエスだったよ。二世の多くはそう答えた。でも、その心中は複雑だった。日本に親しい親戚や友人がいる二世は、27問にイエスと答えるのは辛かっただろう。収容所に入れられたことで国家に裏切られたと失望し、ここから出してもらえるなら27問にイエスと答えると言った二世もいた。また、28問にイエスと答えれば、今まで日本国天皇に忠誠心を持っていたと認めることになり、受け入れ難く感じる者もいた。そして、強制収容への抗議、日本と戦うことができないなどの理由でノーノーを選び、ツールレイク特別収容所に送られた『ノー・ノー・ボーイ』もいた」
「私の家は、両親と兄のセイジが対象だったわ。兄はイエス、イエスだったけれど、それを聞いたパパが顔を真っ赤にして怒り出したの。お前は自分と同じ顔をした日本の兵隊を撃てるのかって。いつもは穏やかな母もショックを受けて、市民権を持つお前たちまで収容所に入れたアメリカに、忠誠を誓えるのかと泣いたわ」
アイリスはしばし口を噤んだ。
「兄は、日米は戦争中だからアメリカに忠誠を示さないと収容所から出られないと両親を説得したの。私も収容所から出たかったから、兄と一緒に両親を説得したわ。ママは折れてくれたけど、パパは石のように心を閉ざしてしまったの。私たちがアメリカ人になってしまって、手の届かないところにいってしまったので、何もかもが虚しくなったのでしょうね。喘息の持病があったパパは、収容所に入った頃から砂や埃のせいで体調が良くなかったけれど、それを境にひどくなって、収容所内の病院に入院することになったの。パパの忠誠審査をイエス、イエスで出すと言っても、何も言わなかったわ」
「そんなの許さんと怒鳴ってくれたほうがよかったな……」
「そうよ。虚ろな目で、喉をぜいぜい鳴らしながらベッドに横たわっているパパを見舞うのは辛かったわ。ドクターが収容所の環境は良くないので、外部の病院に移すよう勧めたけれど、パパはもういいと拒み続けた。しばらく患って、ここにあった病院で亡くなったの……」
都は無気力にベッドに横たわるアイリスの父の姿を想像した。ベッドの上で、彼は報われることのなかった人生をどう振り返っていたのか。今の自分は生きる目的が見いだせず、ただ目の前にあることをこなすことで、辛うじてこの世とつながっている。もし、立ち止まったら、アイリスの父親のように生きる気力をなくしてしまうとわかっていた。
都は、低賃金と差別に耐えて築いた財産を奪われ、父親としての権威まで失った彼の口惜しさの前には、自分の痛みなど取るに足らないものに思えた。幼い頃から、戦時を生き延びた祖父母の苦労話ばかり聞かされてきた都は、彼らが口癖のように「いまの若者は根性がない」ということが嫌でたまらなかった。それへの反発ゆえに、勉強と家事を両立してこられたのかもしれない。強制収容を経験したベンやアイリスに、人種差別などなく、恵まれた環境で育った自分が、妹に恋人を盗られたくらいで、大金を出してもらってアメリカで遊学していると言ったら、どんな目で見られるだろうか。日系人の苦悩は、都に辛うじて残っていた自尊心を刺激した。
「さあ、アイリスのパパに会いに行こう」ベンはアイリスと都を促して車に乗せた。
「パパが亡くなって打ちひしがれている私達に、あなたの一家が親切にしてくれたわね。あの頃から、ベンとよく話をするようになったわね」
「僕はずっと君が気になっていたのに、君はなかなか気づいてくれなかった」
「あの頃、ママと私は日々の生活で精一杯だったのよ。兄は家族を養うために、軍に志願してミネソタに行ってしまったし」
ベンは車を走らせ、西の外れにある慰霊塔に向かった。白い大きな石に漢字で『慰霊塔』と書かれ、その周辺にロープで囲まれた墓がいくつかあった。風や太陽にさらされて色褪せた千羽鶴がかけられた墓もある。
「収容所で亡くなったのは、高齢者と赤ちゃんが多かったそうよ。パパはボイルハイツのエバーグリーン墓地に埋葬したけれど、亡くなった場所はここだから何年かに一度は来ているの」
3人は慰霊碑に花と一升瓶を供えた。都は慰霊碑の周囲にある墓1つ1つの前にひざまずき、人里離れた地で眠る魂よ安らかなれと手を合わせた。膝から伝わってくる焼けた砂の熱さは、収容所の環境がいかに厳しかったかを物語っていた。
立ち上がった都は、2人に拙い英語で言った。
「ここに連れてきてくれて、ありがとう。日系アメリカ人が、辛い日々を一生懸命生きたことに勇気づけられました。私も困難を乗り越えなくてはいけないと思いました」
都は英語力が足りないせいで、湧き上がる思いの半分も伝えられないのがもどかしかったが、2人は彼女のなかで何か変化があったことに気づいたようだった。