「巡礼」33
沖縄から帰り、ミツを探し始めた都は、初端から思いがけないつながりに驚かされた。都は結城や二世の退役軍人団体に尋ねるより先に、一番身近なところからと思い、ベンに「ミツアキ・ハラダ」という二世を知らないかと電子メールを送信した。MISに携わった二世が何千人もいることを考えると、ベンがミツを知っていることには期待していなかった。だが、ベンは思いがけなく、そいつはNYKビルにいたときのルームメイトだが、彼がどうかしたのかと返信をくれた。
都は思わず「あっ!」と声を上げた。都の脳裏に、ベンがルームメイトと撮ったと言った白黒写真が鮮明によみがえった。その男は端正な造りの顔に笑みを浮かべていたが、瞳に深い悲しみをたたえていた。都は、今の自分もこんな目をしているのではないかと妙な親近感を覚えたのだ。
都は、写真に映っていた容姿端麗な男が、ミツアキ・ハラダで間違いないかとベンにメールで尋ねた。時差の関係でベンからの返信は夜になったが、彼は確かにその男だとスキャナで焼いた写真を添付してくれた。彼とは日本から帰国して以来、1度も会っていないが、何年か前にシカゴで会社役員をしていると風の便りで聞いたと書き添えてあった。
都は逸る思いでキーを叩き、日本にいる親戚が彼を探しているので、連絡先がわかったら教えてほしいと頼んだ。ベンはMISの仲間に電話をかけまくってくれたらしく、ミツがCEOを務めていた貿易会社を引退し、サンディエゴ北部のラホヤで一人暮らしをしていることを突き止めてくれた。
翌朝、沖縄の彰に電話で伝えると、彼は慄きで言葉を詰まらせてしまったので、都は一旦電話を切った。数時間後、地の底から響くような声でかけ直してきた彼は、ミツが元気でいるなら後は頼むと都に思いを託した。
ミツが生きているという事実を前に、都はどんな方法で彰の思いを伝えるかに頭を悩ませた。最も不安なのが、自分の英語力で彰の思いを十分に伝えられるかだった。事前に英語の原稿を書いていけば淀みなく話せるだろうが、話の運び方や言葉の選び方によってはミツに誤解を与え、彰の思いが届かなくなるリスクがある。そして、彼がその話を受け入れられる境遇なのかをどうやって確かめるかであった。
都は悩んだ末、結城に相談した。話を聞いた結城は、都がミツにインタビューをしてくることを提案した。彼女は、都がインタビュー対象に深く関わり過ぎたことを咎めず、9年弱も日本にいた帰米二世が、MISでどんな仕事をしたかは是非とも記録したいので、しっかり聞いてくるよう強調した。結城はミツを含め、彼女が指定した何人かの二世にインタビューをしてくることを条件に、プロジェクトの予算から旅費を出してくれた。ミツがインタビューに応じられない健康状態なら彰の話をするのは遠慮したほうがよく、応じてくれれば、そこでタイミングを探せばよいとの助言もくれた。ただし、どんな話の流れになっても、ミツのMISでの仕事については、しっかり聞いてくるよう念を押した。
都は結城に英語をチェックしてもらい、ベンに事情を説明する長い手紙を書いて、彼にインタビューへの同行を頼んだ。言葉の問題を考えると、彼の助けは必須だった。手紙を読んだベンは早速ミツに連絡をとり、彼の快諾を得てインタビューの日時を設定してくれた。
車輪が接地した鈍い衝撃が体に響いた。ロサンゼルス国際空港に着陸した旅客機は、轟音をあげて滑走路を滑っていく。都は風になびく椰子の木を見て、初めてアメリカに来たとき、着陸する機の窓から椰子の木を見て胸が震えたことを思い出した。
入国審査と手荷物受け取りを済ませた都は、スーツケースを引いてシャトルの停車場に向かった。西海岸のからっとした空気が頬をかすめた。十分ほど待たされ、ダウンタウン方面に向かうシャトルに乗せられた。乗客は都を含めて4人。英語に訛りのある白人女性が1人と体格の良いアジア系男性の2人連れだった。白人女性と黒人の運転手は、シャトルが走り出すと大声で雑談を始めた。運転手の英語も相当訛りが強く、語彙も限られている。都は、しばらくご無沙汰していた多民族が交じり合う空間に少々気後れしていた。2年前、ロスに着いて間もない頃、都はその活力に圧倒された。いま思えば、あの活気は、車と人の多さだけではなく、アメリカで新たな人生を切り開こうと世界中から集まった人々の気概から来るものだった。
車窓から見覚えのある建物が見える度に、沈んでいた記憶が次々と頭をもたげ、都は2年前と行きつ戻りつする時間に身を任せていた。やがて、リトル・トーキョーの赤い櫓が見え、全米日系人博物館の建物が現れた。
都は博物館の向かいにあるミヤコホテルの前で降り、運転手に御礼を言ってチップを渡した。腕時計を見るとまだ11時を過ぎたところで、チェックインまでには時間がある。都はフロントに荷物を預け、今から行くとキムラ夫妻に電話をし、タクシーを拾った。
2年ぶりに会うキムラ夫妻は、都を抱擁で迎えた。懐かしい居間に通されると、我が家に帰ったような安らぎを覚えた。
「いろいろ、お手数をかけて申し訳ございません」
都は開口一番、そう言った。ベンにはいくら感謝しても足りなかった。
「いいんだ、都。こんなことがなければ、一生ミツに会えなかったかもしれない。彼も大喜びで、アイリスも一緒に来るよう言ってくれた」
ベンは申し訳なさと不安が抜けない都を安心させるように言った。
「電話の声は、元気そうだったよ。仕事は引退したけれど、ジム通いは欠かさないと言っていた。きっと、弟のことを話しても大丈夫だろう」
「私たちもついているから大丈夫よ。弟さんの思いが伝わると信じましょう」
どこまでも前向きな2人と話していると、都の気持ちも上向いていった。
アイリスは都の好物だった鮭の香草焼きに、ご飯とインスタントの味噌汁を添えた昼食を用意してくれた。食事をしながら、ベンは、ミツが日本をはじめとするアジア諸国と取引する大手貿易会社で、CEOを務めていたことを教えてくれた。一線を退いて故郷に戻ってからは、日系老人ホームの設立と運営に尽したので、日系人のあいだでは名が通っているという。
都は食後のお茶をすすりながら言った。
「彰さんの話を聞いて、彼と宮子さん、ミツさんの関係が、妹と元恋人、自分の関係に重なることに気づいて、他人事とは思えなくなってしまって。彼の話を聞きながら、今まで気づかなかった妹の気持ちに目を向けられました。ミツさんが彰さんの告白に、どんな反応をするのかが気になります。彼が弟を許せるなら、自分もいつかは妹や元恋人を許せる気がして……」
「あなたの手紙を読んで、私もそれに気づいたの。2人を見届けるのは、あなたのためにも意味があるわ」
「人間ってやつは、どの時代に、どこに生まれても同じようなことで悩み、傷つくのだね」
都はベンの言葉に静かに肯いた。