見出し画像

「カモメと富士山」17

 カズヤは、祖母の面影を探すかのように、深く力強い視線を私に向ける。
「もちろんだ。覚えているすべてを話そう」

 ミネラルウォーターのグラスを運んできたジョージが尋ねる。
「グランパと富士子さんの第一印象は、良くなかったんだよね。グランパは、アメリカ留学に憧れる彼女に、アメリカのことを尋ねられて鬱陶しかった。アメ公とからかわれてきたから、アメリカ出身であることを蒸し返されたくなかったんだね」

「ああ。西海岸の日系人差別を彼女に話しても、失望させるだけだと思った」

「祖母の印象が変わったのは、いつですか?」

「何度か会ううちに、印象は変わったね。商大のキャンパスと津田のそれは近かったので、佳史くんが妹に会うとき、私もよく誘われたんだ。ちなみに、佳史くんは中学のとき病気で1年休学したので、1歳下の妹と同学年だった。
 私は彼女と会うたびに惹かれていった。日本舞踊と琴を習った彼女には、二世の女性にはない所作の美しさと慎み深さがあり、ふとした仕草に目を奪われた。彼女は、外国の文学だけではなく日本文学まで幅広く読んでいて、作品の批評も鋭く、本気で議論しなければ負けてしまう聡明さがあった。西田幾太郎とか、ドストエフスキーなんかについて随分やりあった。夏目漱石『こころ』に出てくるKの自殺の理由について、3人で口角に泡を飛ばして議論したこともよい思い出だ」

「グランパ、すぐにデートを申し込んだ? 俺が富士美を誘ったみたいに」

「ハハ、そうはいかなかったよ。アメリカで女性に積極的だった私が、彼女に積極的にならなかったのは、日本生活が長くなってシャイになったからではない。 
 二世の私には国籍と徴兵の問題があった。当時の日本では、20歳になった男子は郷里で徴兵検査を受けることを義務づけられていた。2つの国籍を持つ私も例外ではなく、日本で徴兵されればアメリカ国籍は抹消されてしまう。大学生の間は徴兵猶予があるが、卒業すればその資格を失う。日本国籍を離脱してしまえば徴兵されないが、国籍を抜くことは両親に反対されていた。だから、私が卒業後に帰国することは両親も納得した。いずれ帰国する以上、親友の妹に中途半端なことをするのは良くないと思った」

「当時の日米関係は、緊迫していましたからね。宇佐美の家に行ったのは、商大に入学した1940年ですか?」

「そう。夏休みに、佳史くんが招いてくれた。当時は東京からも富士山が見えたが、途中で寄った箱根で眺めた雄姿は格別だったよ。ゆったりと裾野を広げる富士山には女性的な美しさがあり、ふと富士子さんの姿が脳裏をかすめた」

「当時は、大沢おおさわ家ですね。両親と長男の岳史たけふみさんがいたんですよね?」

「うん。宇佐美村の大沢家は、叔父の家とは比べ物にならない大規模なみかん農家で、周囲には大沢家が所有する土地が広がっていた。一家は私を大歓迎して海や山の幸でもてなし、父親が好きなだけ滞在していけと勧めてくれた。私はその言葉に甘え、離れの2階で1週間世話になった」

 ジョージが思い出したように口を挟む。
「グランパは、優雅で格調高い一家と、息子を移民に出した家の違いを思い知らされたと言ってたね。移民の息子であるグランパも、アメリカで将来に行き詰まって、日本に彷徨ってきた。富士山のようにどっしりと根を張った彼女と、彷徨い続ける自分の違いが悲しくなったと言ってたね」

「ああ。そんな悲しみを抱え、離れの窓辺で若山牧水の歌集を繰っていた私の目は、ある歌に釘付けになった。

 白鳥しらとりは 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まらずただよふ

  私の抱える孤独を代弁してくれる短歌を見つけ、思わず声に出して読んだ。白鳥が、アメリカにも日本にも染まりきることを許されない私と重なり、目頭が熱くなった。

 気がつくと、麦茶のグラスを乗せた盆を持った富士子さんが、部屋の入口に立っていた。

―牧水ですね。お好きなの?

 彼女は私に麦茶を勧め、火を点けた蚊取り線香を蚊遣かやぶたに入れながら尋ねた。

―僕の心を代弁してくれるような歌を見つけて驚いた。

―白鳥の歌のことですか?

 私は肯いた。卓袱台ちゃぶだいの横に正座した彼女は、私の話を促すように好奇心に溢れた目を向けた。

―歌に詠まれた白鳥が、2つの国籍を持ちながら、どちらにも染まりきることを許されない僕に思えた。僕はアメリカではジャップと差別され、日本ではアメ公とからかわれた。時々、どちらにも居場所がない孤独に襲われる夢を見る。僕の解釈は作者の意図と違っているかもしれないが……。

 この孤独は日本にいる二世仲間となら分かち合えたが、日本人の彼女には理解されないとわかっていた。しかし、気分が高揚していた私は、ついまくしたててしまった。

 彼女は凛とした声で言った。

―たとえ作者が詠んだときの思いと違っても、歌は読者に解釈されて新たな意味を与えられると思います。様々な解釈がされる歌は、それだけたくさんの人の心の琴線に触れる歌なのでしょう。

 この歌に詠まれた哀しみには、周囲に馴染めない孤独を感じている多くの人が共感すると思います。今の日本にしても、他国を蹂躙することに疑問を持ち、熱狂する周囲と一体になれない孤独を感じている人はこの歌に共感するのではないでしょうか。私は、この国を愛していますが、時々これでいいのかと不安になるんです。

―僕もこのままでは、日本はどんどん敵を増やしてしまうと思う。

 話が重苦しくなってきたので、私は短歌に話を戻した。

―僕はアメリカ人と日本人のように文化が違う民族同士でも、歌に詠まれた孤独という人間が共通して持っている感情は共有できると思う。東洋人が西洋の文学や音楽に魅了されるのも、文化を超えて共有できる感情が表現されているからでしょう。

―私も英米文学を学んでそう思いました。感情を表現する方法は文化によって違っても、根本にある感情はそう変わらないと思います。

 思いを共有した高揚感で互いの視線が絡んだ。私の頬は赤く染まり、それを隠そうと窓辺に立った。窓から差す西日が私の顔色をごまかしてくれた。

 彼女が私の隣に来て言った。

―貴方は2つの国の良いところも悪いところも客観的に見られるのでしょう。日本しか知らない私に見えないものも、たくさん見ていると思います。その分、辛いこともあるでしょう。でも、そんな貴方の能力が求められる道がきっとあるはずです。

 彼女が二世の私の苦悩を察し、前向きにさせる言葉をくれたことに驚いた。聡明なだけではなく、繊細な心遣いもできる女性だと思った。

 思わず振り返ると、意外に近いところに端正な顔があり、吸い込まれそうに大きな瞳が私を見ていた。軒下につるされた風鈴が揺れ、りーんと涼やかな音が響いた。西日を浴びた2人は魔法にかけられたように見つめ合った。私は彼女の頬に手を添え、接吻したい衝動を必死で抑えていた。

 身体が接触したわけではないのに、全身が火照っていた。一晩眠れば落ち着くと思ったが、夜が明けても興奮は覚めなかった。どうしようもないほど、好きになってしまったんだ。あのとき鳴った風鈴の音は、見つめ合った記憶と深く結びついている」

 祖母が好んだ歌、つるしていた風鈴、離れの建て替えを頑なに拒んだこと、私の頭のなかで何かを知らせるように鳴る風鈴……。それらが、頭のなかでパズルのピースのように組み合わさる。カズヤの部屋の風鈴が涼やかに鳴り、私の頭の中で鳴っている音と共鳴する。

「私が東京に帰る前の晩だった。佳史くんと私が夕食後に散歩に出かけるのを見て、富士子さんもついてきた。彼女は白いワンピースを着て、薄化粧をしていた。その晩は美しい満月で、私たちは海辺に足を向けた。月明かりに、彼女の白い服と色白で華奢な手足が映えていた。私は先を歩く彼女を見つめすぎないように努めていたが、どうしてもその姿を追ってしまった。1時間ほどぶらぶらしてから家に戻って、私たちは離れの2階で将棋を指した。彼女は母屋に引き上げず、傍らで見ていた。
 しばらくして、階下からお父さんが野太い声で彼女を呼んだ。彼女が降りていって少しすると、母屋から言い争う声が聞こえてきた。最初は私も佳史くんも、気にせず駒を動かし続けた。だが、激昂した声が聞こえてくると、さすがに気になり、様子をうかがいに行った。

―お父様がそんなつまらないことをおっしゃるなんて、思いませんでした。

―娘を思って言っているのに、つまらないとは何だ!

―そんな時代錯誤な考えに縛られていることが、つまらないと言っているのです。そんなことを言ったら、漁師の息子だったお父様が、お母様と結婚したのも身分違いじゃありませんか。

―何だと! 移民のせがれと一緒にされてたまるか! とにかく、あの男とは親しくするな。

 佳史くんは顔色を変え、あんなの気にするなと言った。私はどう反応していいかわからず、黙って廊下に目を落としていた。ロシア系の少女の父親に、日系という理由で交際を反対された記憶が不意によみがえった。日本でも同じ思いをし、私を支えてきた心の糸がぷつりと切れてしまった……」

「グランパ……、富士子さんとそれっきりになってしまったわけじゃないよね!?」

 カズヤは頷き、ミネラルウォーターで喉を潤してから話し出す。
「東京に戻ってから、私は富士子さんのことを頭から追い出そうと努めた。そんな折、佳史くんに映画に誘われた。何を見たかは思い出せないが、そのあとカフェで話したことは鮮明に覚えている。

 彼は、妹をどう思うかと話を向けてきた。彼女が夏休み以来、私に思いを寄せているので、私の意向を聞きたいとのことだった。天にも昇る心地だったよ。だが、いずれ帰国することを考えると躊躇いが出た。私は彼に、富士子さんへの思いと、自分が抱える事情を打ち明けた。

 彼は開口一番に、こう言った。

―つまらないことを気にする奴だな。富士子は今の君を好きになった。それで十分じゃないか。

―でも、裕福な家庭で育った君や彼女と、移民の倅の僕は身分が違うとわかった。

―華族じゃあるまいし、身分なんてないだろ。アメリカでも愛媛でも辛酸を嘗めたからこそ、今の君があるんじゃないか。初めて会った頃、君は口数が少ないのに妙に存在感があって、どんな奴だろうと興味を持たずにいられなかった。話を聞いて成程と思った。富士子も逞しさの陰に、孤独を漂わせている君に惹かれたと言っていたぞ。君が卒業して帰国するまで時間がある。先のことは、2人で考えればいいじゃないか。

 彼はさらに続けた。

―富士子はお嬢様育ちに見えるが、自分の人生は自分で切り開く女だ。両親は富士子を非の打ちどころのない大和撫子に育てた。小さい頃から琴や日本舞踊の稽古に通わせ、礼儀作法も厳しく叩きこみ、日本文学もたくさん読ませた。女学校を卒業したらしかるべき家に嫁がせるつもりだった。
 だが、彼女は、女学校時代に外国文学を読み漁るようになり、欧米の文化を学びたいという意思が出てきた。親父は進学したければ地元の師範学校に行けと言ったが、彼女は東京に出たいと言い張り、親父と衝突した。それほど行きたいなら合格してみろと言われた彼女は、猛勉強して津田に受かり、親父を説得してしまった。
 そういう女だから、君と一緒にいたいと思ったら、両親が反対しても、アメリカでもどこでも付いていく。両親は富士子が卒業したら地元で結婚させるつもりで、見合い話をもちかけているが、彼女は興味を示さない。卒業後は、アメリカ留学を望んでいる。俺が君に富士子の気持ちを話したのは、君が妹を任せるのに不足のない男だと思ったからだ。君なら、どんな状況になっても妹を守ってくれると思った。俺は、2人が一緒になる覚悟なら全面的に味方につくつもりだ。

 佳史くんの力強い言葉は心底嬉しかった。だが、それから暫くして、来日した叔父に、両親の店が赤字続きで、借金してまで私の学費を工面していること、母が婦人科系の病気で医療費もかかっていることを知らされた。叔父もかなり援助したが、君も考えてほしいと言われ、私は今年度で帰国すると決断せざるをえなかった」

「富士子さんに気持ちを伝えないまま、アメリカに帰るつもりだったの?」

「私は佳史くんに事情を話した。突然のことに驚いた彼は、妹に気持ちを伝えなくてもいいのかと尋ねた。未練がなかったと言ったら嘘になる。だが、このときはこれっきりになってしまっても、仕方ない気がした。佳史くんには、日本に戻るつもりはないので中途半端なことはしたくないと、はっきり伝えた。
 彼は納得したようだったが、考えるところがあったのだろう。次の週末、3人で鎌倉に行くことになっていたが、彼は来なかった。私と同じように待ちぼうけをくらっていた富士子さんの姿を見つけたとき、やられたと思った。

 彼女は、何度か鎌倉に来たことがあるらしく、私を案内してくれた。鶴岡八幡宮に参り、高徳院の大仏を見て、最後に鵠沼海岸を散策した。私たちはどうしても互いを意識してしまい、終始ぎこちない空気が流れていた。
 私と彼女は、冷たい潮風に吹かれて、鵠沼海岸を歩いた。歩き疲れた私たちは砂浜に腰を下ろした。彼女が隣にいる空間に身を置くと、帰国が現実ではない気がして、このまま日本にいようかという思いも湧いた。それでも私は現実を見据え、来年の春、帰国すると彼女に話した。

 すると、いつも冷静な彼女が動揺を隠さず、自分も連れていってほしい、ずっとアメリカに留学したかったと懇願した。私はそんな彼女に、西海岸の日系人の惨めな状況を淡々と話した。日系であるために、白人の恋人の父親に交際を反対されたこと、将来に行き詰って日本に来たことも隠さず打ち明けた。私にとってアメリカは祖国だが、日本で恵まれた環境にいるあなたが、アメリカで惨めな思いをする必要はないと説いた。寄せては返す波を見つめながら、これで彼女の私への気持ちは消えてしまうのかと思うと、切なさで胸が張り裂けそうだった。

 それは私の思い違いだった。彼女は凛とした声で言った。

―日本で生まれ育った私は、あなたの哀しみを同じように感じることはできません。それはどうしようもなく悲しいけれど、それでも私は好きな人の傍にいたいです!

 頭をがんと殴られた気がした。彼女は私とのあいだの如何いかんともし難い溝に気づいていた。それでも一緒にいたいと言ってくれている!

―あなたは日本を捨てて、異国で僕と生きていく覚悟があるの?

 試すように問い詰める私に、彼女は力強く答えた。

―日本人であることをやめるつもりはありません。私の大和魂に、ヤンキー魂を加えるだけです。大変なことはたくさんあるでしょう。でも、日本で同じ経験をしたあなたがいてくれれば大丈夫。

 そう言って彼女は微笑んだ。その言葉と微笑みが、私の理性をねじふせた。私は彼女を荒々しく抱き寄せて接吻した。抑えてきた思いが堰を切ったように溢れ出し、がむしゃらに唇を貪った。

―僕もあなたが好きだ。アメリカに留学しないか? 卒業したら結婚して、一緒にアメリカで暮らそう。

 彼女は口づけの余韻を残した唇で、必ずあなたのいるロサンゼルスにと囁いた。

 それから私の出発まで、2人の気持ちは片時も離れたくなくなるほど燃え上がった。暗くなってから、人目を忍んで武蔵野の櫟林や桜堤で落ち合い、2人で歩いたのは忘れられない思い出だ。
 
 私が日本を離れる日、佳史くんの配慮で、彼女だけが横浜に見送りに来てくれた。私たちは無言で波止場を歩いた。何か気の利いた言葉をと思ったが、何を言っても陳腐に聞こえそうで口を開けなかった。

 先に口を開いたのは彼女だった。
―カズヤさん、カモメが……。

 彼女の視線の先には、追いかけっこをするように空を行く二羽のカモメが見え、やがて寄り添うように並んで小さくなっていった。

―私、カモメをあなただと思うことにするわ。あれは哀しみを抱えて彷徨っているあなただと。私が再び寄り添える日まで。

 彼女は気丈にも笑みを見せた。

―それならあなたは富士山だ。

 彼女は唇を尖らせ、富士山はアメリカからは見えないと消え入りそうな声で言った。そんな彼女が堪らなく愛おしく、思わず大きな声を出した。

―見えるよ! 神々しいまでに美しくそびえる富士山。僕の心にどっしりと根をおろしている、忘れろと言われたって、できっこない!
 
 私は持っていた荷物を放り出して、彼女の両手を取った。本当は抱き締めたかったが、人目が憚られて自分を抑えた。

 こんな切ない別れをして私は船上の人になった。船がぐんぐん港から離れ、とうとう富士山が見えなくなったとき、涙が頬を伝った」

 彼はアメリカ人であることを選んだ。祖母のいる日本に残ることはできなかったのか、祖母と入籍して連れていくことはできなかったのかと憤りを覚えた。だが、彼がそうしていたら、私もジョージも、この世に存在していないと気付かされる。

「日米の郵便事情は悪くなっていた。帰国した私は、日本に引き上げる知人に、日本で投函してくれと彼女宛の手紙を託した。彼女の参考になるよう、ロサンゼルス近郊の大学の資料を集めて同封した。
 郵便事情のせいか返信は届かなかった。だが、彼女がアメリカに着いたときのために、リトル・トーキョーにある叔父の活動写真館に行くよう手紙に書いておいた。リトル・トーキョーなら見つけやすく、日本語も通じ、安全だと思ったからだ。海を渡ってきた彼女が、リトル・トーキョーに現れるかもしれないと期待し、私は時間があるとそこに行っていた。彼女と面差しの似た女性を見かけると、もしやと胸が高鳴った。だが、8月には太平洋航路が閉ざされ、12月には戦争が始まってしまった」

 カズヤが、私との待ち合わせ場所をリトル・トーキョーにした意味がわかった。彼が私を通して祖母を見ていること、孫のジョージと私を結び付けようと意図したことに、割り切れない不快感が胸の中でうごめく。だが、私の手を握るジョージへの愛おしさが、それを飲み込んでいく。そのぬくもりの前には、出会った理由など、こだわらなくてもよい気がしてくる。