巡礼 8-(1)
彰は昨日と同じように、美しいグラスにゴーヤー茶を注いでくれた。食卓には、沖縄の伝統的な焼き菓子「ちんすこう」も並んでいた。プレーン、紅芋、パイナップルなどいろいろな味があり、見ているだけで楽しかった。ココナッツ味を食べてみると、さくさくとした食感と優しい甘みが気に入り、結城へのお土産に買っていこうと決めた。昨日、数時間を一緒に過ごしたことで、彰との間に流れる空気はいくらか柔らかくなっていた。
「アメリカが侵攻してきた沖縄を守るために、菊水作戦という海軍の特攻作戦があった。私はその一員として特攻に行った」
都は思わず彼の顔を凝視した。二世の彼が祖国の艦船に突入する。これほど過酷な運命があるだろうか! だが、いま彼が生きているということは、散華しなかったことになる。
「レイテ沖で護衛空母に体当たりした関行男大尉らの話を聞いたのは、1944年11月頃。私は、戦闘機は空で戦うための機で、厳しい訓練で技術を修得するのも戦って勝つためだと思っていた。特攻が間違っていると思うのは、自分が日本人ではないからかと思った。もっとも、そのときは、レイテは遥か遠くで行われている戦闘だと思っていた。
だが、それほど時間が経たないうちに、それが他人事ではないと思い知らされた。1945年2月、谷田部の講堂に予備学生が全員集められた。飛行長が緊迫した雰囲気を漂わせ、日本の戦局は切迫していて、それを打開するために残された道は、君達が特攻をするしかないという演説をした。日本語が不自由だったので、一語一句は覚えていないが、そんなことを言っていたと思う。
その後、2枚綴りの藁半紙が配られた。1枚目に名前と階級、家族の氏名を記入し、2枚目には特攻を『希望せず』、『希望する』、『熱望する』と書かれていて、いずれかに印をつけることになっていた。
掌に滲んだ汗で紙がよれよれになりそうだった。私は自分の意志で航空勤務を選んだ。ここまできて、特攻を拒否するのは卑怯だとわかっていた。それでも、私はもっと訓練を続けて技量を上げ、戦って死にたかった。それで死ぬなら本望だと思った。こんな作戦で死にたくないという思いがあり、震える手で『希望せず』に印をつけた。
予想通り、上官たちに呼び出されて痛めつけられた。私は日本語が不自由な二世なので、アメリカと通じていないかと不信の目を向けられてきたから、ここぞとばかりに制裁を受けた。『おまえはそれでも帝国軍人か! 見損なったぞ』と言われたので、『軍人だからこそ、敵と空戦して死にたくあります!』と抵抗した。だが、彼らは『貴様に空戦ができるようになるまで待つ余裕はない、今できることで国を守ろうと思わんか!』と聞く耳をもたなかった。
結局、私は特攻要員にされた。もう腹をくくるしかなかった。燃料不足で、谷田部では飛行訓練が行われていなかったが、特攻隊員に指名された者だけが零戦に乗って訓練できた。選ばれた者は、短い訓練を終えると、司令の激励を受け、水盃を交わし、鹿児島の鹿屋海軍航空基地に向けて飛び立った」
「私は4月初めに指名された。遂に来たかと、暫く口が聞けなくなるほどの衝撃だった。先に指名された仲間が、昼間は元気に振舞っていても、夜になるとうなされたり、すすり泣いたり、叫びだしたり、部屋を抜け出してどこかで死の恐怖と戦っているのをいたたまれない思いで見ていた。私も消灯後、暗闇のなかで体を固くして死の恐怖と向き合った。
私達は零戦を改造した2人乗りの機で訓練した。このときの訓練は、赤トンボのときより遥かに厳しかった。最初に教官に同乗してもらい、離着陸の練習をした。零戦は赤トンボと較べると、格段にスピードが出て、安定感もなくて戸惑った。赤トンボでつけた自信はすぐに打ち砕かれた。どうにか単独で離着陸できるようになると、編隊飛行の練習に移った。そして、最後の3日間は突入の練習。レーダーに捉えられないように目標まで超低空飛行で進み、目標直前で機体を引き上げ、そこから急降下。すさまじい集中力が必要で、終わるとくたくただった。私達が乗っていた機は使い古されていて故障も多く、一瞬の油断が事故死につながる怖さがあった。私は3月9日の東京大空襲のことを聞いてから、宮子さんのことが心配で心をかき乱されていたが、そうした思いを封じ込め、訓練に集中した。
急降下がうまくできないとき、意地の悪い教官から『貴様、どこかに不時着して、アメリカの捕虜になるなんておかしな気を起こすなよ。貴様は二世だから、捕虜になったら八つ裂きにされるぞ』と言われた。殴りかかりたいほど頭にきた。ここまで来てしまった以上、覚悟はできていた。死の恐怖と戦いながら、厳しい訓練に耐えているのにこんなことを言われ、私の心はずたずただった」
彼の声はかすかに震えていた。彼は気持ちを鎮めるために、ゴーヤー茶を口にした。
「あの頃は、尋常ではない精神状態だった。そんなとき、一緒に練習していた仲間が着陸に失敗して亡くなった。たった1週間で離着陸から突入の練習までを行う無理な訓練をしていたので、起こって当然の事故だ。亡くなったのは、初年兵訓練からずっと一緒で、口数が少ない私にもよく話しかけてくれた気さくな男で、心を開いて付き合えた数少ない戦友だった。ショックは言葉にできなかった。彼の遺体は基地内で荼毘に付され、私ともう1人の同期が、東京郊外にある彼の家に遺骨と遺品を届けることになった」
「彼の家を尋ねた後、帰りの汽車まで少し時間があったので、宮子さんに会おうと決めた。特攻に行くとは言えないが、死ぬ前に一目だけでも愛する人に会いたかった。
私は焼け跡のなかを下宿屋に直行した。連日の空襲で変わり果てた東京の惨状を見ると、初めてアメリカを憎む気持ちが湧いた。アメリカというよりも、都市を焦土にしてしまう野蛮な戦争そのものを呪ったのかもしれない。日本もアメリカも、政治家も軍人も市民も、みんな狂っているとぶつぶつ言いながら足早に歩いた。無論私自身も狂っていて、尋常ではない形相だったと思う。狂っていなければ、あの時代を生きられなかっただろう。
心配した通り、下宿は焼けていた。裏にまわると、焼けずに残った蔵のなかに、むしろが敷いてあった。誰かが寝起きしているのかと思い、戻ってきたら彼女の安否を尋ねようと、汽車の時間までそこで時間を潰すことにした。むしろの上に横になると、連日の疲れが出たのか、途端に眠気に襲われた。小一時間ほどして、誰かが近づいてくる足音に目を覚ますと、モンペ姿でブリキのバケツを手にした彼女が蔵の入口に立って、私を見下ろしていた。思わず飛び起きたよ。
2人は蔵のなかに体を寄せ合って座った。空襲で下宿が焼かれ、大家夫妻が広島に帰った後、彼女も妹がいる呉の親戚宅に置いてもらうつもりだったそうだ。それでも、ここにいれば私が訪ねてくるかもしれないと思い、友人の家に身を寄せながら、焼け跡の片付けをしていたそうだ。
それを聞いて愛しさがこみ上げ、彼女を自分のものにしてしまいたい衝動にかられた。それでも、彼女はミツの恋人だと思うと拳を握り締めた。何だかんだ言っても、私たちはミツを介してつながっているに過ぎなかった。
私は衝動を抑えこんで彼女を見据え、『あなたは僕の心の支えでした。あなたを守るために戦ってきます』と1つだけ確かな思いを伝えた。彼女は私が戦場に行くこと、もしかしたら特攻に行くことも察したのか、血の気の引いた顔で食い入るように私を見つめた。私は何も言えず、彼女の姿を目に焼き付けようとしていた。すると、いつも冷静な彼女が目にうっすらと涙を溜め、『必ず、必ず帰ってくると約束して。私にはあなたしかいないの!』と取り乱して言った。その思いは私も同じで、思わず彼女の両肩を掴んでいた。彼女は潤んで熱を帯びた瞳で、懇願するように私の腕にすがった。彼女の思いに答えられないのが切なく、私は衝動的に彼女を引き寄せて激しく接吻してしまった。彼女は抗わなかった。この思い出だけで……、彼女を守るために死ねると思った」
都は回り続けるレコーダーを呆然と見つめていた。極限の状況で結びついた2人の気持ちはあまりにも純粋で激しかった。兄の恋人の唇を奪う彼に嫌悪を覚えたが、そこに自分が倫理観を挟む余地などないように思えた。