連載小説「出涸らしのティーバッグ」第9話
9-1
私の週末が試験会場の視察で埋まってしまい、理央さんに会いに行けないまま時間だけが過ぎてしまう。
6月に入ると、ワクチン接種が進む一方で、都内ではインド型変異ウイルスのデルタ株感染者が出ていた。7月初めには、東京で4回目の緊急事態宣言が出され、この状況で東京オリンピックを開幕して大丈夫かと心配になってしまう。
理央さんから朝晩入っていたLINEは、次第に内容が形式的になった。私がトーニオさんに心が傾いていたように、理央さんも並行して連絡を取っている相手がいるのだろう。婚活アプリの機能を考えれば自然なことで、そのことに心を乱されはしなかった。私もいつしかスタンプだけの返信になり、それに呼応するように理央さんのLINEも間遠になった。
トーニオさんとお別れした後、もう一度、理央さんと向き合うべきかと考えた。それでも、熟考の末、私からLINEを送信することは控えた。別世界に連れ出してくれそうな理央さんの情熱に魅力を感じていたが、生い立ちと環境の違いを考えると、彼の隣にいる未来を描きにくい。トーニオさんのときに感じた心地よさは得られないだろう。
夏休みを目前に、父と祖母から見合いの日程の候補を挙げるよう言われ、そろそろ重い腰を上げねばならないと思ったときだった。
理央さんから頻繁にLINEが入るようになった。彼にも状況の変化があったのだろう。空虚な淋しさを抱えていた私は、会えないならZOOMで話さないかという彼の提案を受け入れた。彼への思いが変化したわけではなく、心細さが増していたからかもしれない。
仕事が終わった日曜の夜、私はノエラのボタニカル柄のワンピースに着替えて画面の前に座った。気持ちを切り替えるために、前に理央さんとZOOMで話した時と同じ、シャネルのクリスタルオーヴェルトを周囲にプッシュする。
黒豆茶のティーバッグを熱湯に浸し、一番香ばしい一杯目を抽出する。いつでも二杯目が飲めるよう、一杯目を淹れたティーバックは小皿にとり、電気ポットを傍らに置いておく。
醍醐理央:
澪さん、お久しぶりです! お疲れのときに無理を言ってすみません。
理央さんは形の良い眉をなだらかなアーチ状に緩めて微笑む。艶やかな黒髪は夏らしく短くなり、涼し気な目鼻立ちを引き立てている。ポールスミスのポロシャツからのぞく二の腕は程よく筋肉がついている。姿を見るだけで、夏の扉が開かれたような開放感に包まれる。
鈴木澪:
こちらこそ、私の都合で長らくお伺いできなくてすみません。
醍醐理央:
お仕事なのですから、気にしないでください。こっちは、また感染者が増えて緊急事態宣言が出たので、出てこなくて正解です。
今日はどちらでお仕事だったのですか? 暑かったでしょう。
鈴木澪:
高崎市での試験です。はじめて使う施設だったので、会場の導線、設備などをチェックする良い機会でした。無事に終了でき、コロナ禍でも試験に協力してくれたスタッフに本当に感謝の一日でした。
醍醐理央:
お疲れ様でした。お仕事の話をするときは、きりっとした顔になりますね。そんなところも素敵です。やっぱり、澪さんは魅力的ですね。
いつになく積極的な彼を前に、並行して連絡している相手が頭にあるのだろうと思ったが、高く評価されるのは素直に嬉しい。
雑談が落ち着いた後、私は彼にさりげなく尋ねる。
鈴木澪:
そういえば、理央さんは子供はお好きですか? 欲しいと思いますか?
醍醐理央:
僕ですか? 子供大好きなので絶対欲しいですね。この歳になると、親がどれほど大切に自分を育ててくれたかわかるんです。今度は、僕が子供に愛情を注ぐ番です。
瞳に光を宿して語る理央さんを前に、思わず口元がほころぶ。自然にそんな言葉を口にできる彼が眩しく、涙が出そうなほど胸を締め付けられる。嬉しくなって、黒豆茶を一口飲むと、香ばしい豆の甘味がふんわりと広がる。
鈴木澪:
私もそう思います。親とは、遠慮がなくなる分、思いがぶつかりあい、すれ違うこともありますが、自分のことを思ってくれるのがわかります。親から学んだことを生かして、子育てがしたいと思います。
醍醐理央:
そうですね。
僕自身がいろいろ経験させてもらったので、子供にも、できるだけたくさんの経験をさせてあげたいと思います。
透き通った眼差しの理央さんを見つめながら、彼が生まれ育った環境を思う。子供ができたら、幼稚園に入る前から、幼稚舎受験を視野に入れて準備しなくてはならないのだろうか。地味だが上質なスーツに身を包み、子供のために奔走する自分を想像する。慶應と縁もゆかりもない私の存在が不利に働かないかと心配になってしまう。
9-2
醍醐理央:
そういえば、澪さんが過去にお付き合いした方のこと、聞けずじまいになっていましたね。
鈴木澪:
はい。ずっと、ペンディングになっていて申し訳ございません。
醍醐理央:
いえ。僕も恥ずかしい話をしたので、遠慮せずに聞かせてください。ずっと、気になっていました。
鈴木澪:
はい。今までお付き合いしたのは、高校の同級生、大学のときのバイト仲間、会社の先輩です。自分の身近にいる人を段々好きになり、交際にいたるパターンでした。
理央さんは画面の向こうから真摯な眼差しを向けて頷く。体全体を相手に向け、話を聞こうとする姿勢は、この人になら話したいという思いを自然に引きだす。そんなところに育ちの良さが垣間見える。
それに導かれ、胸に秘めてきた恋の話をしようと決めた。理央さんが自分の経験を率直に話してくれたように、トーニオさんが包み隠さずに本音を聞かせてくれたように、私も彼と真摯に向き合おうと思った。
私は黒豆茶を一口含んでから問いかける。
鈴木澪:
理央さんは一目惚れをしたことがありますか?
彼は不意打ちを喰らったように目を見開き、黒々とした眼球を動かす。
醍醐理央:
一目惚れ……。う~ん、あまり考えたことはないですけど。まあ、考えている時点で、ないのでしょうね。
鈴木澪:
ですよね。私も、あのときまで、そんなものが存在することさえ信じていませんでした。
実は30年以上生きてきたなかで、一度だけ一目惚れをしたことがあるんです。
醍醐理央:
なんだかすごくロマンチックですね。わくわくしてきました。
理央さんは好奇心をむき出しにした瞳で、かすかに体を乗り出す。私は目を閉じ、何度も脳内再生したあの瞬間を呼び起こす。
鈴木澪:
3年前の年度末、直属の課長から、4月から課長代理に就く男性をホテルの最上階にあるバーで紹介されました。その方を見た瞬間、電気ショックを受けたように体の動きが止まりました。
その人は小柄でしたが、ぴんと伸びた背筋、整った目鼻立ち、凛とした立ち姿が強い存在感を放っていました。彼を作る全ての要素が、確固とした意志をもって生きてきたことを主張しているかのような佇まいでした。筋が通らないことは受け入れない頑なさが感じられ、そんな男性が好みの私は一瞬で魅了されてしまいました。
醍醐理央:
澪さん、筋を通す人が好きなのですね。実は僕も結構頑固で筋を通すほうですよ。それに、僕は164センチで小柄ですよ。
鈴木澪:
ふふ、頑固なのは知ってます。前回のお話しでよくわかりました。私も154センチしかないです。
理央さんは、照れ笑いを浮かべ、そわそわする子供のように画面に身を乗り出す。
醍醐理央:
その方とは、うまくいったのですか?
鈴木澪:
正確にお答えするのが難しいのですが……、心は通じ合いました。
彼が課長、私が主任で一緒に仕事をしていましたが、驚くほど考え方が似ていて、とてもやりやすかったです。話すたびに共通点が見つかり、自然に精神的な距離が近づいていきました。
奥様と息子さんがいる方だったので、私は気持ちを隠すと決めましたが、止めることは不可能でした……。
理央さんの目元が濃い翳りを帯びたように見えたが、話に入り込んでいるのだと思ってそのまま続ける。
鈴木澪:
一緒に働き始めて半年ほど経った頃、仕事のトラブルに対応するために、二人で広島に出張しました。もちろん部屋は別で、何もありませんでした。
でも、そのとき、私と彼はアイデンティティの根幹にある悲しみが似ているために、互いの心に届く言葉を持っていることに気づきました。それをきっかけに、私と彼の心は急速に近づいていき、互いに同じ思いであることがわかりました。
醍醐理央:
それから、お付き合いが始まったのですか。
感情を取り払った口調が気になったが、私は力なく首を左右に振る。
鈴木澪:
彼は私の思いを受け入れられないと、きっぱりと言いました。
そのとき、彼は家庭の事情を話してくれました。彼の奥様は15歳年上で、双極性障害を患っていました。彼は奥様が体調を崩したことに責任を感じていて、気分が不安定な奥様のケア、仕事と家事、息子さんの世話に奔走していました。
私は、彼が私への思いを深めれば、同じだけご家族への思いも深める人だとわかっていました。それでも、私は心身共に疲弊している彼が心配で、見過ごすことはできませんでした。ずっと1人で頑張ってきた彼は、誰かに寄りかかっていいと思いました。私のもとで、ご家族を守るエネルギーを充電してもらい、家庭に送り出す役目でもいいと思ったのです。
言葉にできないほど彼を思っているのに、彼に守られている奥様への嫉妬でおかしくなりそうなのに、そんな気持ちが湧くのが不思議でした。こんな愛し方もあると初めて知りました。
理央さんは険しい表情で、腕組をして視線を落としている。そのことが気になり、問いかけるように小首を傾げたが、そのまま続けるよう目で促される。
鈴木澪:
それから数か月は、今まで通り、上司と部下の関係を維持していました。気持ちを表に出せない分、相手の眼差しや仕草に特別なものを読み取ろうとしていました。
年度末、送別会の会場で、私がある先輩に空いていた部屋に押し込まれ、乱暴されそうになったんです。助けてくれた彼がタクシーで家まで送ってくれたとき、一線を越えてしまいました。
それから、関係に気づかれないよう細心の注意を払いながら、逢瀬を重ねていました。彼が絶対にご家族を捨てないことはわかっていたので、いつかは終わると覚悟していましたが、私から終止符を打つことはできませんでした。
状況が一変したのは、二人で出かけた新潟でした。荒れ狂う日本海を臨む砂浜で、彼が一緒に新しい人生を始める覚悟はあるかと私に尋ねたのです。 彼が正気だと思えず、何があったのか問いただすと、病気が寛解した奥様が火遊びをしていて、もう堪忍袋の緒が切れたと……。18年ものあいだ、奥様を献身的に支えてきただけに、お洒落をして出かけていく姿を見せられて、耐えられなくなったようです。家族への経済的援助は続けるけれど、息子さんが大学に入ったら別居するとのことでした。
醍醐理央:
そこまでいった関係をどうやって終わりにしたのですか。
理央さんの声に感情は読み取れなかったが、そのぶん強い感情を押し込めているように響く。
鈴木澪:
それから間もなく、新型コロナウイルスが流行し始め、感染を恐れた彼の奥様は、強迫症を発症しました。
最初は新型コロナウイルスを恐れていたそうですが、恐れる対象は不潔だと感じるものすべてに広がり、手洗いや消毒が止められなくなりました。日常生活を送るのも困難になり、心身共に追い詰められて自殺未遂をしたそうです。彼は、そんな奥様を見捨てることができず、家庭に戻っていきました。
悲しみで体が分解してしまいそうでしたが、これで良かったという思いも確かにありました。御家族に知られ、傷つける前にお別れできてよかったと思います。
理央さんは何かを堪えるかのように固く腕組をしたまま、視線を落としている。
画面越しに感情の機微を読み取らなくてはならないコミュニケーションは、対面以上に集中力が必要になる。息をするのも躊躇われるような空気が流れるが、なす術がない。
しばらく沈黙が続いた後、彼が口を開く。
醍醐理央:
あなたが純粋に人を愛したのはわかりました。そこまで愛せる人は、人生でそう出会えないと思います。
美しいお話なのでしょう。でも、僕には単なる不倫にしか思えません。彼のため、彼の家族のためと言い訳していたのかもしれませんが、結局はあなたが彼の傍にいたかっただけではないですか。
彼の家族のこと、特に病気の奥様の心情を本気で考えたなら、自制できたのではないでしょうか。
理央さんは紳士的な口調を崩さなかったが、核心をつく言葉が持つ威力で私の胸を切り裂いた。曲がったことを許さない彼には、到底受け入れられる話ではなかったのだろう。その反応は、彼に似つかわしく、好感さえ湧いてくる。
大切にしていた思い出を土足で踏みにじられた失望はあった。だが、高尚な言葉で言い繕ってきた自分のエゴが、冷徹な言葉で言い換えられたことで、視界が明瞭になった。
鈴木澪:
おっしゃる通りです。ご不快な思いをさせて申し訳ございません。
いい歳をして、奥様のいる人への思いを抑えられなかった私の弱さを露呈しただけの話でした。目が覚めた気がします。
醍醐理央:
失礼なことを申し上げたことは、御詫びします。いまどき、めずらしいことではないですし、いい年をして子供っぽいとわかっているんです。でも、僕は不倫していた人はどうしても無理なのです……。
彼はペットボトルの水をあおるように飲み、両手で顔をこすってから、絞り出すような声で話し出す。
醍醐理央:
僕が小学生のときに両親が離婚し、父が出ていったことは話しましたよね?
私が頷くと、彼は力ない口調で続ける。
醍醐理央:
父は輸入雑貨専門商社の三代目でした。母は都銀の頭取の娘で、コンサートピアニストを目指してドイツに留学し、海外のコンクールを渡り歩いていました。二人は親の勧めで見合い結婚しました。母は結婚を機にプロの道を断念し、音大で指導者の道を歩み始めました。
南麻布のマンションに住み、子供も2人生まれ、傍から見れば絵に描いたような幸福な家族でしょう。でも、父には愛人がいて、僕が幼稚園に入った頃から夫婦関係は破綻していたようです。
父方の祖父母はそれに気づいていましたが、両親が揃っていないと、幼稚舎受験に不利になるかもしれないので、離婚はしないよう言い渡したそうです。そのおかげで、姉も僕も幼稚舎に入学できました。
ですが、僕が幼稚舎に入った年の秋、父が愛人の女優とホテルの地下駐車場で一緒に車に乗り込むところを写真週刊誌に撮られたんです。母は僕たちに見せませんでしたが、父と女優が車に乗り込むところをスローモーションで再生する映像がワイドショーで何度も流れたようです。家にマスコミがたくさん来て、ひっきりなしに呼び鈴を押され、電話が鳴り続け、母にカーテンを閉めて窓際に立つなと言われました。父はホテルに避難して帰ってきませんでした。幼稚舎は車での送迎が禁止だったので、僕と姉はいつも徒歩とバスで通っていたのですが、カメラやマイクを向けられるのを防ぐために休まされました。母もしばらく外出できませんでした。小さかった僕は、何が起こったのかわからなかったのですが、とにかく怖かった……。
その女優は記者会見を開き、父に誘惑されてお付き合いしたのに、一緒になる約束を反故にされたと涙ながらに訴え、世間の同情を引きました。父にもらったカードやメッセージも週刊誌に公開されたようです。
彼女が若手の演技派女優で人気がうなぎ上りだったこともあり、父に対する誹謗中傷はすさまじく、会社の株価に影響したそうです。ネットには誹謗中傷があふれ、家の写真までアップされました。僕と姉は、家政婦さんの車で近くまで送ってもらって登校しましたが、マスコミの車に追跡されて、嫌な思いをしたのを覚えています。わけがわかりませんでしたが、父が悪いことをしたのは、わかりました。
結局、そのことが引き金になって、両親は離婚しました。母は南麻布のマンションと、養育費をもらっていたので、生活には困りませんでした。でも、母は何年もPTSDに苦しみ、病院通いを続けていました。僕や姉も、ずいぶん経ってからもマスコミや知らない人に声を掛けられたり、学校で好奇と同情の混じった目を向けられたり、嫌な目にあいました。
事情を理解できるようになると、他人の家庭を壊しておいて、平然と笑顔を振りまいている女優に強い憎しみを覚えました。その女優は、今でもドラマに映画、CM、バラエティと精力的に活躍しています。母はメディアの報道、ネットや電話の誹謗中傷がフラッシュバックし、何度か大学を休職していたのに……。
もちろん、父に対しても嫌悪が消えません。いま父は、祖父から南麻布の家を相続し、若い再婚相手と暮らしています。
そのことがあって、不倫をする方は、どうしても無理なのです。
彼が「どうしても無理」というのは、透さんが子供を望まないように、理屈ではない感情だろう。このまま関係を始めても、互いが大きな我慢や犠牲を強いられる。それを一緒に乗り越えようと彼に求める情熱は、今の私にはない。私は、よくよく理央さんのようなタイプと縁がないらしい。
それなら、自己紹介文に不倫経験がある人はご遠慮くださいと書いておいてほしかったと心の中で毒づく。だが、そんなことを書く人は見たことがないし、普通に考えてもやりすぎだ……。
鈴木澪:
おっしゃることは良くわかります。辛いことを思い出させてしまい申し訳ございませんでした。
醍醐理央:
でも、悔しいです……!
鈴木澪:
え?
理央さんは画面に勢いよく手を伸ばし、手のひらを打ち付けたのか、どんという衝撃音が聞こえた。
醍醐理央:
澪さんに会って、声を聞いて、触れあって、もう離せないくらい夢中になってしまった後なら、そんなことどうでも良くなった気がします。それくらい、僕の好みなのに……。
ああ、コロナ禍じゃなかったら……!
鈴木澪:
コロナ禍じゃなかったら……。確かにそう思います。
私たちは、会う前に互いを知り過ぎてしまったのかもしれませんね。
醍醐理央:
その通りだと思います。
項垂れる理央さんを見ているのが居たたまれず、残しておいたティーバッグをカップに入れ、電気ポットから熱湯を注ぐ。いくらティーバッグを揺らしても、上下させても、熱湯は染まらない。出涸らしのティーバッグは、もう出し尽くしたと弱々しく主張するだけだ。
(完)