「巡礼」16
3人は昼食をとる店を探し、迷った末にファーストフード店に入った。時計を見ると午前11時を回っていた。8時前に出てきたので給油と休憩をはさんだ3時間以上のドライブだった。
「マンザナーに行く前に、立ち退きの日のことを話しておかないとね」
アイリスがコーヒーにミルクを注ぎながら言った。
「9066が出て4日後、海軍基地があったターミナル島の日系人約3千人に、48時間以内の立ち退き命令が出たの。行き場のない日系人がリトル・トーキョーに集まってきたわ。ターミナル島は和歌山出身者が多かったから、同郷の両親を頼ってたくさんの人がうちにやってきた。両親はできる限り受け入れて、温かい茶粥をふるまっていたわ。その立ち退き命令を皮切りに、次々と命令が出されたの」
「リトル・トーキョーに命令が出たとき、街は騒然となったわ。家も商売道具も家具も、1週間で処分しなくちゃならないのだから。うちのボーディング・ハウスは白人から借りていたので、設備はそのまま置いていけばよかった。でも、家族が暮らしていた部屋の家具は処分しなければならなかったから、庭に家具を出して、立ち退きセールを開いたの。リトル・トーキョーには、噂を聞きつけた人々がぞろぞろ押し寄せてきたわ。彼らは、立ち退きまでに日がないことを知っていて、足元を見るような値段で家具や商売道具を買っていったの。大事にしてきたベッドや机が、ただ同然の値段で持っていかれるのは悔しくて堪らなかった。無邪気に駆け回っている幼い妹に、やつあたりしたのを覚えているわ。でも、ママはさすがに肝が座っていた。苛々したって仕方がないだろって怒られたわ」
「商売道具を二足三文で売ることが悔しくて、自ら壊した人もいたよ。うちの近所のドレスメーカーでは、親父さんがミシンを床に放り投げ、奥さんが泣きながら止めていた。仕事に妥協がない頑固親父で、白人にも評判がよかった。子供の頃から、店の前を通ると難しい顔でミシンを踏んでいる彼の姿が見えた。何十年も真面目に仕事をやってきただけなのに、どうしてと爆発しちゃったんだろうな」
「似たようなことはたくさんあったはずよ。近所の家から、家具や商売道具を燃やす煙が上がっていたのを覚えているもの。立ち退きの日がくると、私達は身の回りのものだけ詰めたスーツケースを持って、胸に認識票を付けて集合場所に集まったの。それから、兵士に監視されて汽車に乗せられた」
「僕達はバスだった。バスに乗せられて街を離れる前に、空っぽになった日系人の家に、物取りが侵入するのが見えたよ」
「その頃、まだ収容所の準備ができていなかったから、集合センターと呼ばれた競馬場に1ヶ月くらいいたの。馬小屋だったところに、私達を入れたのよ。壁に馬の小便の匂いが染み付いていて、とにかく臭かった。私たちがシャワーを浴びたのは馬の洗い場。子供の頃から忠誠を誓ってきたアメリカが、こんな仕打ちをしたと思うと悔しくて情けなくて、なんで自分は日本人の血を引いて生まれてきたのかと恨んだわ」
「頭にきたのは、何をするにも行列、行列、行列。食事、洗濯、シャワーにぞろぞろと並び、1日の大半が行列に費やされた」
都は言葉が出なかった。罪なき人が、日本人の血を引いているだけで生活や財産を奪われ、馬のような扱いを受けたのだ。数多の日系人が発した「どうして」という叫びが、都の胸に木霊してくるようだった。
言葉を失った都を前に、アイリスが明るい声で話しだした。
「マンザナーに移されると聞いて、やっとここを出られるとほっとしたわ」
「ところが、マンザナーもひどかった。マンザナーはシェラネバダ山脈の麓にあって、そこから見える万年雪をたたえた山々は美しかったよ。だけど、そこは有刺鉄線に囲まれていて、黄色い肌で平たい顔の老若男女が、見張り台から銃口を向けられて暮らす異様な空間だった。バラックに執拗に吹きこんでくる砂、厳しい暑さと寒さ、隣の声が筒抜けのプライバシーのない生活。夜はサーチライトの光がぐるぐる回って、収容所を照らし出していた。窓から入ってくる光が気になって、慣れるまでは目を閉じて布団をかぶっても眠れなかったよ」
「収容所内に見張り台が8つくらいあったわ。兵士の銃口はバラックの内側、私達に向けられていたのよ。祖国から銃を向けられるなんて、私達がどんな悪いことをしたのかと悲しくなったわ」
2人の話を聞きながら、都はマンザナーに行くのが怖くなった。そこには、砂漠に追いやられた日系人の怨念が渦巻き、自分を手招きしているように思えた。行き場のない恨みを抱え、死に憑りつかれている今の自分は、そこにはびこる怨念と共鳴し、魂を連れ去られそうだった。さっと鳥肌が立ち、都は心のなかで良に助けを求めた。