連鎖 1-(2)
低血圧の凪は朝が辛い。それが月曜日だと尚更だった。身支度を済ませ、窓を開けると、物憂い梅雨空がのしかかってきた。階下のダイニングにおりると、母が昨夜の残りの御飯と味噌汁を温め、スーパーで買った野沢菜としらずぼしを手早く食卓に並べていた。食卓についた父と凪、小学生の弟は、寸暇を惜しむようにそれをかき込む。
かちゃっとドアが開き、小奇麗に身繕いした祖母が、リウマチで痛む脚を引きずりながら入ってきた。食卓を一瞥した祖母は、きつい口臭を漂わせながら、しゃがれ声で嫌味を言う。
「玉子も納豆も、お魚もないねぇ。物が豊かになったのに、我が家の食卓は寂しくなったもんだ」
パートに出る時間が迫っている母は、聞こえないふりをして、黙々とお茶を入れ、食器を洗う。
「あたしは、毎朝ごはんを炊いて、だしを取ったおみおつけを作って、魚や卵焼きを焼いたもんだけどねぇ」
祖母の嫌味は、食卓についてからも、だらだらと続く。面倒に巻き込まれたくない父が席を立ち、凪と弟もそれに続く。際限なく繰り返される橘家の朝の風景だった。
曾祖母にいびられ続けた祖母は、その仕返しをするかのように母に辛くあたる。母は弟が結婚したら、嫁に同じことをするのだろうか。
凪は、その連鎖が、裏校則が受け継がれていく過程に似ている気がして、ますます気が滅入った。
今朝は鮮やかな紫や空色の紫陽花さえも、物憂げに映る。凪は徒歩で登校する途中、すれ違った先輩にぺこりとお辞儀をし、下駄箱の前で知らない先輩に頭を下げ、階段を上って教室に行く途中で先輩集団に丁寧にお辞儀をした。ごく稀にお辞儀を返してくれる先輩もいるが、大抵は何も返ってこない。一日に何度意味のないお辞儀をしなければならないのかと思うと、思わず大きな溜息が出た。いっそ、何度お辞儀をするかを数えてやろうかと思った。
凪は入学したての頃、部活の先輩だけにお辞儀をすればよいと勘違いしていて、裏校則の番人と呼ばれる2年の太田先輩に「お辞儀するんだよ、わかんねえんかよ!」と階段で怒号を浴びせられた。それ以来、きちんとお辞儀をしているのに、すれ違うときに睨まれ、お辞儀の仕方が気に入らない、目つきが悪いと言われ、目の敵にされてきた。成績優秀で物静か、真面目の固まりのような凪は、後輩を締めあげることでしか優位に立てない先輩に最も嫌われるタイプだった。
凪は先輩に締められて、関わり合いを恐れた友人に仲間外れにされるのが怖いので、先輩には人一倍気を遣った。裏校則を遵守し、お辞儀は馬鹿がつくほど丁寧にした。太田一派と顔を合わせないように、彼女が階段掃除に当たる週は、その階段を避けた。太田のクラスが教室移動で凪の教室の前を通る時間は、室外に出なかった。
そのおかげか、太田一派から締められることはなかったが、運悪くすれ違ってしまうと射殺すような視線が飛んできた。凪は一緒にいる友人がそれに気づかないかと気が気ではなかった。
神経をすり減らし続けた凪は、下らない裏校則を継承してきた先輩たちが気の毒な人たちに思え、自分はそうならないと心に決めていた。