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「みんな着ているんだから、着られるはず」ではない
「制服が着られない」子どもの困り感に寄り添うために
ジェンダーへの配慮が求められる中で、中学校の制服の在り方が少しずつ変わってきています。スカートとズボンの選択ができるようになった学校も増えてきました。しかし、制服のデザインや選択肢が広がる一方で、まだ十分に考慮されていない問題もあります。そのひとつが 感覚過敏を持つ子どもにとっての制服の着用の負担 です。
私の身近でも、この問題に直面した親御さんがいました。Omimiかふぇに参加されている親御さんが、感覚過敏を持つお子さんの中学校入学準備を進める中でのことです。
「制服を着ること自体が苦痛」な子どもたち
入学準備の一環として、制服や体操服の試着をした際、やはりお子さんは制服も体操服も着ていられませんでした。感覚過敏の子どもにとって、特定の素材の服を着ることは 「痛み」や「圧迫感」として感じられることがある のです。
今回のケースでは、体操服については自由に似たようなものを着用することが認められましたが、式典用の制服は「必ず着用するように」と学校から言われたそうです。仕方なく制服を購入しましたが、親御さんは 「うちの子は本当に着ることができるのか」 と強い不安を抱えていました。
式典のような特別な場面では、ただでさえ緊張するものです。そのうえ、不快感を伴う制服を着用しなければならないとなると、子どもにとっては 精神的なストレスが非常に大きくなる でしょう。
学校に相談しても「校長判断」…それで終わり?
親御さんが学校に相談したところ、「校長の判断になります」と言われたそうです。しかし、こう言われてしまうと、親御さんとしては 「学校側に理解してもらえなかったらどうしよう」「これからもずっとこういう試練が待っているのでは」 という不安が膨らんでしまいます。
制服の問題に限らず、不登校の子どもや、感覚過敏を持つ子どもにとって 「一人ひとりの困り感に寄り添ってもらえるかどうか」 はとても大きな問題です。「決まりだから」「みんなと同じだから」という理由だけで無理を強いられることが、本当に子どものためになるのでしょうか。
「制服=秩序を守るため」ではなく、TPOを学ぶ機会に
仕事で、制服のない高校に通う生徒と出会いました。彼がある事業に参加する際、他の高校生たちは制服を着ていましたが、彼は毎回私服での参加でした。発表会の日、彼がどんな服装で来るのか気になっていたのですが、彼は 制服に似たスタイルの服装で参加 していました。
「TPOを考えて服を選ぶように教えられています」と彼は話してくれました。制服がない環境だからこそ、「その場にふさわしい服装を自分で考えて選ぶ力」 が育っていたのです。
「制服がないと服装が乱れる」と考える大人は少なくありません。しかし、 「制服がないと秩序が保てない」「制服があるからこそ学校生活が成り立つ」 という考え方は、本当に正しいのでしょうか?
制服の選択肢を広げることが、子どもの可能性を広げる
ジェンダーの多様性が尊重されるようになり、制服の選択肢が広がってきているように、 感覚過敏を持つ子どもたちにも選択肢を与えることの必要性を感じています。
感覚過敏の子どもが制服を着る際に直面する問題は、想像以上に深刻です。 「少しチクチクするな」「ちょっときついな」 という違和感とは異なり、感覚過敏の子どもにとっては、 「痛み」や「強い不快感」として感じられる ことがあるのです。
たとえば、ある子どもは 「制服の襟が肌に当たるだけでムズムズして集中できない」 と訴えます。別の子どもは 「スカートのウエスト部分のゴムが締め付けられる感覚が耐えられない」 と言います。具合が悪くなることも。
話を聴きながら自身のことを考えると、首回りがチクチクする生地や苦手な素材の服を着ていると、着たばかりの時や、ふとした瞬間に気になって仕方がないことがあります。でも、私たちはある程度、他に気を取られると忘れていたり、 「仕方ないから我慢しよう」「あとで脱げばいい」 と割り切ることができます。
しかし、感覚過敏の子どもにとっては 「我慢する」ことが難しい場合が多い のです。 「肌に触れるだけで気になってしまう」「締め付け感が強くて体がこわばる」 といった感覚が続くことで、制服を着ること自体が 強いストレス になってしまいます。
「制服の生地が合わないなら、違う素材のものを用意する」
「式典の場では、制服に似たスタイルの私服を認める」
そうした柔軟な対応があれば、 「決まりだから我慢しなさい」ではなく、「自分に合った形で社会に適応する」 という学びにつながるはずです。
「みんなと同じ」ことを求めるよりも、 「その子が一番力を発揮できる環境を整える」ことが、学校や大人の役割だと考えています。
子どもの可能性は無限に広がっています。大人が 「決まりだから」「こうあるべきだから」 という枠にとらわれすぎず、 子どもの個性や特性に寄り添った選択肢を増やしていける社会にしていきたい ですね。