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二分の一成人式と十三祝い
今でも行われている学校があるようですが、私の子どもたちが小学校の頃、「二分の一成人式」 という行事がありました。
この行事の中では、
・「親への感謝の手紙」を書く
・子どもが生まれてからの10年間を振り返る(写真や名前の由来を発表する)
といった内容が含まれていました。
「親への感謝」 というのは、もちろん素晴らしいことです。でも、このプログラムは すべての子どもにとって心温まるものとは限らないように感じています。
家庭環境によっては、苦しい時間になることも。
例えば、家庭で虐待を受けている子どもは、「親への感謝の手紙を書きましょう」と言われたらどう感じるでしょうか?
そもそも感謝できるはずのない状況の中、手紙を書くことで、無理やり「感謝しなきゃ」と追い込まれたり、正直な気持ちを書けるはずもなく、苦しい時間になります。
また、離婚や再婚、里親のもとで暮らす子ども、施設で育った子どもたち にとっても、「過去の10年間を振り返る」というのは 簡単なことではない かもしれません。
以前、視察で訪れた 「子どもの村」 に住む子どもたちのことを思い浮かべると、この行事が どれほど辛いものになるか も容易に想像がつきます。
学校行事として取り入れるのであれば、すべての子どもたちに配慮したプログラムになってほしいと思うのです。
沖縄の「十三祝い」と二分の一成人式の違い
私が育った沖縄には、「十三祝い」 という行事があります。
これは、数え年で13歳になった子どもが 最初の干支を迎えることを祝うもの です。
十三祝いも、二分の一成人式も、「10歳や13歳という節目を祝う」という点では似ています。
でも、その 意味 はまったく違います。
二分の一成人式 と十三祝いを比べてみると、
感謝の手紙や振り返りで、親への感謝を伝えるという「親への感謝が中心」の二分の一成人式。
子どもの成長を祝い、子どもの幸せを願う、子どもが主役の儀式の十三祝い。
二分の一成人式は、どちらかというと 「親がしてきたこと」に焦点が当たりがち です。
でも、十三祝いは、子ども自身の成長や未来を祝うものなのです。
沖縄では、「生まれ年=厄年」と考えるため、厄払いをして目に見えない存在への感謝をする風習 があります。
男の子には 自立や強さ を、女の子には 新たな門出の準備 を願い、家族みんなで盛大にお祝いするのです。
特に女の子にとっては、次の干支が回ってくる 「25歳のトゥシビー」 ではすでに結婚して家を離れている可能性もあるため、
「十三祝いが実家での最後のお祝いになる」という考え方もあるそうです。
私自身も 50年ほど前に十三祝いをしてもらいました。
昼間は友達を招き、夜は家族・親戚・近所の人が集まってお祝いをした記憶があります。
学校行事で行うならば、配慮が大切
昔から 節目を大切にすること はとても良いことだと思います。
でも、それを 学校行事として実施するならば、すべての子どもにとって意味のあるものであってほしいと思います。
たとえば、
・「親への感謝」ではなく、子どもの成長そのものを祝う形にする
・過去を振り返るのではなく、「未来に向かって」メッセージを考える
・家族構成や背景にかかわらず、すべての子どもが安心して参加できる工夫をする
そんな配慮があれば、二分の一成人式も 「誰かにとって辛い時間」ではなく、「すべての子どもにとって意味のある時間」 になるのではないでしょうか。
子どもが 自分の人生を肯定できるような、未来を描けるような行事であってほしいと願っています。