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「取り残さない」ではなく「取り残されない」。校長ちゃんの言葉に学ぶ

福岡では、立花高校の斎藤眞人先生をご存じの方も多いのではないでしょうか?
在校生の8割が不登校経験者という学校の校長先生であり、子どもたちに寄り添い続ける教育者 です。

先日、私が住む町で開催された社会教育関係団体の人権学習会に、斎藤先生をお招きしました。
会場は満席。老若男女、多くの方が関心を持って足を運んでくださり、改めてこのテーマへの関心の高さを感じました。

斎藤先生は、生徒たちから 「校長ちゃん」 の愛称で親しまれています。
私も今回の投稿では、そんな温かい呼び名でお話ししたいと思います。


「取り残さない」と「取り残されない」の違い

校長ちゃんのお話は、何度聞いても毎回感動し、涙が込み上げてきます。
でも、校長ちゃんはこう言うのです。

「決してお涙ちょうだいの話ではありません。」

そこには、子どもの人権についての本質が、深く、鋭く語られています。

今回、特に心に残ったのは「誰一人取り残さない」と「誰一人取り残されない」の違いについてのお話でした。

「誰一人取り残さない」
大人たちはよくこう言いますが、これはあくまで 大人目線の考え方 なのだと校長ちゃんは言います。

たとえば、学校や社会に居場所を感じられず、「ここにいたくない」「抜け出したい」 と思っている子どもたちがいたとします。
それでも大人は「この子たちを取り残さないようにしなきゃ」と、良かれと思って手を差し伸べる。

けれど、そうして追いかけ続けることが、本当に子どもたちにとって必要なことなのでしょうか?

大切なのは、「取り残さない」のではなく、「取り残されない」こと。
そのためには、「ここにいたい」「ここにはいたくない」 という 子ども自身の意思が尊重される環境 を作ることが必要なのです。

この考え方には、深くうなずくしかありませんでした。


「苦手なままでいていい」——校長ちゃんの「よかよか」の精神

校長ちゃんが子どもたちに伝えている言葉の一つに、「よかよか」 というメッセージがあります。

「苦手なことが、安心して苦手なままでいられることもまた、大切。」

これまでの社会は、「みんな同じであること」 を求めてきました。
でも、本当は、「違っていることの方が自然」 なのです。

校長ちゃんの言葉を借りれば、

「同じでも違っても、同じように尊い。」

子どもたちが自分らしくいられること。
苦手なことを「克服しなさい」と言われるのではなく、苦手なままでも「よかよか」と受け止めてもらえること。

そんな環境があれば、きっと安心して自分のペースで進むことができるのでしょう。


「自分も話したい!」と飛び入り参加した生徒さん

当日の講演会には、わが町から立花高校に通っている生徒さん が、なんと飛び入り参加をしてくれました。
講演の1週間前、彼は先生に 「自分も話したい!」 と直談判したそうです。

その姿勢からも、学校でどれほど自分を受け止めてもらっているか が伝わってきました。
講演の場でも、校長ちゃんの温かいまなざしと、彼の話を聞く先生方の姿勢から、子どもたちが丸ごと受け入れられている ことが感じられました。

本当に、心に残る学びの場となりました。


子育てに活かせること


校長ちゃんの言葉は、不登校の子どもを持つ親御さんはもちろん、すべての子育てに悩む方々にとって、大きなヒント になると思います。

私たち親も、つい 「子どもを取り残さないように」 という意識を強く持ってしまいます。
でも、子ども自身が「取り残されない」と感じる環境 を作ることの方が、ずっと大事なのかもしれません。

そして、子どもの苦手な部分を 「直さなきゃ」「頑張らせなきゃ」 と思うよりも、

「苦手なままでもよかよか」

と安心させてあげることが、子どもにとって何よりの救いになるのではないでしょうか?

私たち大人が、「この子を変えなきゃ」ではなく、「この子をそのまま受け止めよう」 と思えるようになったとき、
子どもたちは、きっと自分の力で前へ進んでいくのだと思います。

「同じでも違っても、同じように尊い。」

この言葉を、これからも大切にしていきたいと思います。

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