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「声を上げても変わらない」と言われたけれど

間も無く100記事になります。そこで今日は、行政との関わりなどについて、改めて感じたことを書いてみようと思います。

私は日ごろから、不登校の子どもを育てる親御さんと関わりながら、支援活動をしています。
その中で、行政や学校に対して 「こういう支援があったらいいのに」 と思うことがたくさんあります。

それは決して「苦情」ではなく、「願い」に近いものです。
「困っている親子が、もう少し生きやすくなるように」
「今の制度では届かない声が、ちゃんと届くように」
そんな思いから、私は活動を続けています。


市長に伝えたい。

あるとき、子どもに関わる支援者が集まる会で、私はこう提案しました。

「この想いを市長に直接伝えませんか? 懇談の機会を申し込んでみませんか?」

すると、ある方からこう言われたのです。

「あなたはご自身の活動を通して色々感じることがあるのでしょう。でも、それを市長に伝えたからといって、何か変わるとは思えません。それどころか、このメンバーで市長に会いに行くことで、それぞれの立場の“株”が下がるかもしれませんよ。」

この言葉を聞いて、私は驚きました。

「市長に話しても、何も変わらない」
「立場の“株”が下がるかもしれない」

——私の活動は、そんなに“無駄なこと”なの?


「株が下がる」とはどういうこと?

「株が下がる」と言われたとき、私は頭の中が 「?」 でいっぱいになりました。

私が市長に話をすると、私の株が下がるの?
「株が下がる」って何を指しているの?
信頼を失うということ?
では、黙っていれば信頼を得られるの?
正直、よくわかりませんでした。

ですが、「困りごとを一つ一つ拾い上げていたら、大変なことになる」と言われたとき、私は共感しつつも 「それでもやらなきゃいけない」と心から思いました。


私の活動の原点

私がしているのは、「困っている人の声を拾い上げること」 です。

不登校になって初めて気づくこと
制度の隙間に落ちてしまう親子の苦しさ
「仕方がない」と片づけられてしまう現実
そうしたものを 「仕方ない」で終わらせたくない から、私は動いています。

「声を上げたところで、何も変わらない」と言われるかもしれません。
でも、それなら 「何も言わなければ、もっと変わらない」のではないでしょうか?

ただ行政や学校に不満を言いたいわけではありません。
でも、「困っている親子がいる」ことを、 「なかったこと」にしたくはない のです。

たとえ「変わらないかもしれない」と言われても、
たとえ「意味がない」と思われても、

「仕方がない」ではなく、「何かできることはないか?」を考えたい。

それが、私の活動の原点です。

そして私は、これからもこの思いを大切にしながら、動いていきたいと思っています。

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