『ジャッジするのは〇〇の役割』
物事には「良い」も「悪い」も
ない・・・
というのはどこかで聞いたことありますか?
じゃあ、
これは誰の目線での
意見か・・・?
というのは考えたことはありますか?
物事に良いも悪いもないってことを
敢えて言葉にして伝える現象が
起こっているということは、
物事に「良い」や「悪い」と
判断している現象が起こっていたから、
そうじゃない、
「良い」も「悪い」も
ホントはないんだよ。
って言葉にして伝えられているわけです。
それぞれの視点から
その判断や現象を捉えているんですね。
この世界は2元の世界です。
今、何かを見たり聞いたり話したりしている
この物質的な世界は
2元性の世界。
2元とは、
「高い」があれば「低い」がある。
「表」があれば「裏」がある。
「好き」もあれば「嫌い」がある。
「良い」もあれば「悪い」もある。
「ポジティブ」があれば「ネガティブ」がある。
「陰」もあれば「陽」もある。
とこんな感じです。
両極が必ず存在するんです。
比較というコントラストがあるから
存在が際立って見えます。
光と影がないと、
「形」は現れません。
そう。
その2元が必要な世界に
私たちは生きています。
そして、その両極である、
「良い」や「悪い」
「好き」や「嫌い」を
判断する役割が
自我なんです。
この世界に生きる私たちですね。
そして、
視点は一つじゃありません。
2元を判断、ジャッジする視点もあれば、
1元(ワンネスやノンデュアリティ)を体験する視点もあります。
つまり、どちらを体験するのも
わたしであり、わたしでないんです。
「わたし」を判断できている時点で
2元の世界に生きています。
「わたしはいない」という世界が
1元の世界。
最終的に何が言いたいかというと、
この世界に生きている私たちは
大いに判断やジャッジして
生きていきましょうって話です。
「好き」なものを知るために
「嫌い」があります。
「良い」を判断するために
「悪い」が存在してくれています。
「ヒーロー」が活躍するには
「悪役」の存在が不可欠です。
そうやって、
この世界を遊んで、
楽しんでいるんです。
結局は1元の世界から、
わざわざ2元を体験したくて
この世界にいるんです。
2極を楽しみましょう。
全体像を理解したうえで
判断・ジャッジするのと、
何も見えない状態で、
判断・ジャッジをするのとでは
大きく差があります。
後者は、苦しく・辛い思いを
してしまうので、
歓びに溢れて楽しく生きるなら、
「良い」も「悪い」もないんだ。
という1元を理解したうえで、
敢えて2元というコントラスト(比較)を
楽しみましょう(^^♪
ではまた!
★2018年12月2日のアメブロ記事を転載しました。