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人からのアドバイスは、自分に残るもの以外は、噛み砕いて流した方が健康的なのかもしれない.

去年・一昨年、色んな人の卒制相談をしていた時、必ず最後に言ってたことをまた最近思い出した.多分、最近は自分が教授から色々言われる時期になったからだと思う.あとは、後輩の就職活動(というてもインターンだが)が始まったからだろう.

~まあ、色々言ったけど、あなたの心に響いたこと以外は忘れてください.僕が言ったことは「僕は今までの経験からこう考えます」というだけの話なので...頑張ってください.~

あるいは

自分の場合は、こういうことを当時考えていたからこういうことをしたんだけど、〇〇さんは、これについては今どう考えてるの?

などなど

・・・

ここからは自分の話になるが、先生や先輩方に言われたことってやっぱり色々な経験をしているからか重みがあると思っている.そして、「そうだったのか!なるほど!!」と思ってなんでも飲み込もうとしてきたし、噛み砕いて飲み込んでいたつもりだった.

でも、そうした助言ばかりに耳を傾けていると、いざ「自分は何が良いと思ってこう考えているのか」とか、「これだけは譲れない」とかについて考えていると、自分の考え方の中に先生や先輩方の©️マークがチラつくことがよくある.

「誰それはこう言っていて、違う人もこう言っていた.あの人は、こういう意見だった.そして、僕はこう考える.」

複雑な文脈を構築して、僕だけが行き着いた場所へと案内する感じ.いい意味で言うとそんな感じだが、率直に言って、純粋な自分の考えではなくなってしまっている気がする.自分が発する言葉に意思というか命がなくなっている感覚.

それはきっと、色々な書籍や話の中で言っていたこと、言われたことが自分の中で噛み砕けていないと言うことだろう.
もちろん色々言われても、常に自分なりに噛み砕き、自分がやりたい軸は大きく曲げずにやっていくことができる人もいる.そういう人には無縁の話だとは思う.無意識にできる人を僕はリスペクトしているし、そうなれるように意識はしているけど、なかなか難しい.

だからこそ最近、言い方はあまりよくないが、「話半分」を少し心がけている.別に話を聞いていないわけではなく、話を聞きながら、自分にとって大事だと思うところはすぐにその場で考えることにしている.
このやり方にも問題はあって、自分が大事だと思っている観点と話している人の大事な観点が大きく異なると質問等した時に話が噛み合わなくなる.的外れなことを言ってしまう.

難しいことだが、いかに相手が何を伝えようとしているのかを勘ぐりながら、自分の頭で考え、相手の文脈に乗った質問をするか.これが、僕にとっての今後の課題.
これに関しては、場数を踏んで、たくさん恥をかくしかないだろう.兎にも角にも考えて手を上げて.

色々話してきたが一つの結論としては、やはりいろいろな人(先生や先輩、同期、後輩)と話して得られるものは大きい.自分が考えていることの先を行っていると自分も頑張ろうと思えるし、今やっていることについて考えさせられる.
そういう機会を上手く活用しながら、自分が良しとするもの(大袈裟に言えば、思想)を探していきたい.その時にただ相手の話をうなづいて聞いているだけでは至極もったいなくて、コミュニケーションが取ろうとするかが大事だと思う.

そして、自分がアドバイスを受ける立場であれば、自分の軸をしっかり持ちながらコミュニケーションを取り、自分がアドバイスをする立場であれば、自分が経験を通じて得たものを下地に話していることを伝えて、話していこうと思う.

最終的には、全て自分の頭で考えて選択していくのだから、そのぐらいが健康的なのかもしれないと思っている.

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